第10話 〈白の地〉へ踏み込む覚悟は俺たちにあったのか。
「本当にごめんなさい」
今、リーナは二階の屋根の上にいる。満足げな様子で、おとなしく主人を待っている。
「いえいえ」
俺は麦茶をランさんに出す。
お互いに、事情を少し話した。
〈白の地〉では〈紫の霧〉の影響で、世界の境界線が崩れている。
そのため異世界の異種族同士が互いに〈相手が侵攻してきた〉、と、小競り合いとなることが絶えない。
……という状況下なので、今のように出し抜けになじみのない見かけの建物や人間が現れることに、この地の皆は、すっかり慣れてしまっているそうだ。
「そんなときに敬遠すべき相手って、だいたいわかるもんよ。慣れるとわかるものなの」
ありがたいことに俺たちは必要以上に警戒されずに済んでいる。
「おいしい」
シーフードミックスも気に入ってくれたようだ。
よかった。
「この子、ここ数日食が細くて目が離せなかったの。よほど気に入ったのね。あんな勢いで食べて」
ところでリーナ、ピザを取るときくちばしだけがかなり伸縮していた気がするのだが、あれは気のせいなのか、それとも叔父さんのご都合主義なんだろうか……
「ありがとう。でも、あなた方の食事を取ってしまったのは、本当にごめんなさい」
「いいえ!」
栞さんが、推しを見つめる目で言い切った。
「お役に立てて、嬉しいです」
「シオリさんに、アシハラさんに、コウヘイさん。ありがとう。
穀物をこねて発酵させて平たく伸ばした台に、赤い果実のソースを塗る。
乳を
うちの
もう行かなきゃ。最後の子たちがそろそろ到着するから」
ランさんは立ち上がり、俺の机にひらり、と飛び乗って、
「じゃあ。
この子たちはこれから、戦場へ向かうけれど、あなた方も気を付けてね」
「〈紫の霧〉の源へ?」
葦原がばかに落ち着いた声で言う。
「そうね。
でも、この〈白の地〉に暮らす人たちのためですもの」
「ランさんもどうぞ気をつけて」
ランさんは、さすが人気キャラクターだけあって、アイドルのように微笑んで手を振り、リーナと飛び去った。
「……素敵だったあ」
栞さんが、ぐだぐだな様子でいつまでも窓の外を見つめている。
窓の外。
「元に戻ったな」
紫の霧は吹き払われたようになくなり、いつもの町内が戻っていた。
「叔父さんは?」
「来なかったね」
「だって、今日の窓の外は、回想場面だったから。そのせいじゃないのかな。多分」
うっとりしたまま、栞さんが言う。
「さっき私が見つけた一行ね。
第20話で、〈翼竜〉一号二号と〈赤の竜〉の関係について知る場面の時の、ほんの回想場面の記述なの」
「……てことは、なんだ?」
葦原が頭の回転を速めるために、ポテトベーコンコーン増量を咀嚼する。
「この家と〈白の地〉が繋がるのは日曜で、それは、なにか物入りな時ってことなんだよな」
今日、物入りだったのは。
「リーナか」
食が細く、心配されていたのが、俺のピザを奪い回復した。
「でも、回想場面なのに?」
「こうも考えられる。叔父さんが今日来なかったのは、叔父さんが直接登場しない回想場面だからじゃないのか?」
どうなっているんだ。
「まあ、浩平も食えや」
三人でどうしようもない空気になり、黙って残り二枚のピザを腹の中におさめていった。
「たぶん……」
栞さんが、麦茶を飲みながら。
「私、小説書いてて時々こんなことあるんだけど。今日みたいな一行だけの場面ね」
「うん」
創作をしている人の話を聞こう。
「たまたま出てきて、役立つひと言だけ話していなくなるような。
そんな登場人物なんだけど、場を去ってお話の表側に出てこなくなったその後も、その人の暮らしや行動は引き続きあるのよね。当たり前だけど」
「うん」
そんなものなのか。
「それ、ずっと自分の中だけで広がるときがあって。
どこまでも暮らしぶりの想像ができあがってきて、書かないんだけど楽しくなる時がある。
スピンオフ書いちゃう人の気持ちがわかるなあ、って思うんだけど、自分だけが楽しいのかも知れないから、私は今のところは書くのちょっとためらうかな。
あ、ごめん、わかりにくい話で」
「いや、わかるよ、なんとなく」
で、今起こった件の結論としては。
〈白の地〉、今後どんな形で家の外に現れるか、まだまだわからないということか……
「あれ」
すっかり元の町内に戻って来た証拠に、俺のスマホに普通にメールが入った。
「え」
「どうした」
送信者の名前。
「叔父さんの勤め先の店長だ」
「なんだよ、サプライズだな」
葦原があまり面白くもなさそうに言ったのには訳があって、そうだ、栞さんにも話さなければいけないんだ。
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