異世界から帰還した異端児

ヒロ

プロローグ

第1話


 「本当に行ってしまうの?」

 「ああ。もともと俺はこの世界の人間ではないしな」

 

 金髪の美女が悲しげに問い掛けているが、秋月吹雪あきづきふぶきの気持ちは変わらなかった。

右も左も分からなかった異世界で魔王討伐という重責を果たし、肩の荷が下りた気分だった。もうこの世界でやり残したことはないと、達成感に満ち溢れていた。


 魔王に支配された異世界に召喚され、血で血を洗うような毎日を過ごしてきた。

劣勢を強いられた人類を救済するために、魔王討伐に十一年の年月を費やした。

 血反吐を吐くような厳しい修練を積み、ひたすら己の技術を磨いてきた。


 時には挫折を味わい、心が折れてしまうような出来事もあったが、それでも仲間の支えがあり、困難を乗り越えてきた。

 人の殺し方、魔物の殺し方、能力の使い方、沢山のことを学び、今では吹雪と対等に戦える者はごく少数の人間に限られていた。


 数多の犠牲を払いながらも、やっとの思いで魔王を討伐したのが先日のことである。この世界に来た当初はまだ十五歳の少年だった吹雪も、今では二十六歳の立派な成人になっていた。


 「そんな……貴方のお陰で平和が訪れたのに」


 もとの世界に戻ろうとする吹雪を引き留めようと、金髪の美女は必死になっていた。すらりとした細身な体躯に純白のドレスを身に纏っているが、その表情は今にも涙が零れそうになっていた。

 

 アルステムダム王国第一王女リリス・フォン・アルステムダム。

二人が初めて出会ったのは十五歳の頃であり、かれこれ十一年の付き合いになる。                                               

 戦争中の異世界を生き抜くことに必死で男女の関係になることはなかったが、信頼のできる仲間であり、人として好感の持てる女性でもある。

 共に戦う仲間として支え合い、様々な苦難を乗り越えてきた。

 

 「悪いな。俺には帰る場所がある。もう会うことはないだろうが、元気でな」

 「はい……お元気で。吹雪さん」


 宿願であった魔王討伐を何とか果たしたが、その代償はあまりにも大きかった。      ともに戦っていた仲間は戦死し、生き残ったのは吹雪とリリスだけとなっていた。

 リリスと共にこの世界に残る選択も考えたが、悲しい出来事があまりに多すぎた。

失った仲間はもう戻ってこない。魔王を倒しても喜べる状況ではなかった。

 

 それに魔王が居なくなった今となっては、吹雪の存在は異端でしかない。

このままこの世界に残れば、吹雪の存在が争いの火種になってもおかしくはない。

 だからこそもとの世界に帰還する選択を選んだ。

 

 「吹雪さん。この国の第一王女として感謝の意を込めて……」

 「そういう堅っ苦しいのはなしにしよう。お互い進むべき道がある」

  

 自分のことよりも他人を優先させ、思いやりに溢れているリリスには尊敬の念を抱いていた。生真面目なリリスは、初めて出会った頃と何も変わらない。

 正義感に溢れ、誰よりも国民のことを思いやるリリスは、魔王がいなくなった今もアルステムダム王国の国民のことを考えている。

 彼女ならアルステムダム王国を復興させることができると信じていた。


 「はい……でもそれでも感謝を伝えたいです」

 「気持ちは受け取った。これからは王女として国を導いてくれ」

 「はい……」


 何を話せばいいのか分からなくなり、二人の間に沈黙が訪れる。

だが、気まずい空気ではなく、残り僅かな時間を噛み締めているように見えた。

 仲間と共に笑い合った日々、魔王を討伐するために仲間と厳しい修練に明け暮れた日々、沢山の思い出が蘇るが、感傷に浸る時間はなかった。

 

 別れの時間は刻一刻と迫っていた。

リリスもこれが最後になると理解したのか、引き留めることを諦めたようだった。                            

 吹雪がもとの世界に戻れば、今までのように気軽に会うこともできなくなる。

リリスは最後の最後まで自分の感情を押し殺し、涙を流さないように堪えていた。

 こんな時でも他人を思いやれるリリスに、畏敬の念さえ抱いていた。


 「……じゃあな」

 「はい」


 地面に描かれた幾何学模様が輝くと、体が宙に浮かぶような浮遊感に襲われる。

これでこの世界ともお別れか……長いようで短かった気がする。

 感傷に浸りながらも辺りを見渡すと、何人かの騎士が敬礼をしていた。


 感謝の気持ちを伝えているのだろうと察した吹雪は、最後はとびっきりの笑顔で別れようと思ったが、なぜだか涙が溢れてきた。

 涙を流すなんて何年振りだろうか。もう涙は枯れたものだと思っていた。

 

 「吹雪さん!」

 「じゃあな!」


 この世界で役目を果たした吹雪に後悔はなく、やっと祖国に帰れるという思いが強かった。徐々に吹雪の体が透けていき、存在感が薄れていくような気がした。

 目を開けていられないような淡い輝きが視界を覆い、気付いたら吹雪の意識はそこで途切れていた。


 



 __________________________________





 突然、ハッとなるように吹雪の意識が覚醒した。

久し振りにぐっすりと眠っていたらしく、思考が上手く働かなかった。

 異世界では戦争中だったために、ゆっくりと眠れることがなかった。

起きたら周囲を見渡して警戒することが癖になっていたが、すぐに異変を察知する。

 真っ白な天井が視界に入り、見覚えのない室内にいることに疑問が生じる。


 鉄パイプ製のベッドに横たわり、右腕には点滴が取り付けられていた。

窓の隙間から心地の良い風が吹き、頬を撫でつけていた。

 季節は夏だろうか。暖かな日差しが室内を照らしていた。


 「ここは……?」


 どこかの病室にいると察した吹雪は、上半身を起こしてから点滴を外した。

なぜ、病院にいるのか理解できなかったが、無事にもとの世界に戻れたことに安堵の息を漏らした。転移に成功したのだと悟り、笑みを浮かべる。

 

 現状を把握するために思考を働かせていると、病室の扉が豪快に開いた。

扉の先には純白の制服に身を包んだナースが驚きの表情を浮かべていた。

 

 「秋月さん……目が覚めたのですね?」

 「ええ。貴方は?」

 「担当看護師の葛原と言います。今、担当の先生を呼んできます。少しお待ちください」

 「分かりました」


 しばらくの間、ボケッとしていると白衣を身に着けた男性が室内に入ってきた。

男性の表情からは驚きと困惑が読み取れる。

 吹雪が生きていることが信じられないといったような雰囲気だった。


 「担当医の鈴木です。体に違和感は?」

 「少し頭がボーッとしますが、大丈夫みたいです」

 「信じられない。まさかここまで回復するなんて……」

 「あの……俺の身に一体なにが……?」

 「覚えていないのですか?」

 「ええ。すっぽりと記憶が抜け落ちているような感覚です」


 異世界から帰還して、気付いたら病室で眠っていたのだ。

記憶などある訳がない。

 転移に失敗し、危険な場所にでも落下したのではないかと不安が生じたが、担当医の鈴木先生は躊躇いながらもこれまでの経由を説明してくれた。


 「結論から説明しますと、いじめです。貴方は学院の生徒から集団リンチを受け、意識不明の重体だったのです。頭を強く打っていたために、意識が戻ることはないと思われていました」

 「え?学院?どういうことですか?」

 「記憶が曖昧なのは一時的なものだと思われます。なにせ貴方は一カ月も眠ったままでしたので……植物状態だったのです」

 

 一見すると会話が成り立っているように聞こえるが、会話が噛み合っていない。

担当医が何を言っているのか理解できずに、吹雪は余計に混乱する。

 異世界に召喚されてから十一年も経過しているのだ。

いきなり学院と言われても混乱するのは仕方がないことだった。

 本来であれば行方不明者として扱われていてもおかしくはない状況である。

 

 それなのに植物状態のまま眠っていたと言われても全く実感が湧かない。

会話の途中であったが吹雪は妙な違和感に気付き、唖然として固まってしまう。

 なんと自身の声が若々しいのだ。

まるで学生時代に時間が巻き戻ったような感覚に言葉を失ってしまう。

 

 ジッとしていることができずに、室内の鏡をまじまじと見詰める。

吹雪は鏡に映った自身の姿に驚きを隠せずに、茫然と佇んでしまう。

 なんと髪の毛が白髪に染まり、腰まで伸びていた。

違和感はそれだけではなく、十代の頃のように若返っていたのだ。

 あり得ない。一体なにが起こっているのか……。


 「困惑するのは仕方がないことだと思います。植物状態から回復した事例は稀なケースです。ですが、安心してください。すぐに慣れると思いますよ」

 「先生。今は西暦何年ですか?」

 「西暦は二〇二九年の八月になります」

 「二〇二九年……」


 異世界に召喚された日から一ヵ月しか経過していないことに気付いた吹雪は、無理やり思考を働かせ、どう現実を受け入れるべきか頭を悩ませる。

 初めは夢でも見ていたのかと錯覚しそうになったが、すぐにそれは違うと認識する。あの濃厚な日々の繰り返しを夢で終わらせるには無理があったのだ。


 熟考を重ねた結果、地球と異世界では時間軸が異なるという結論に至った。

異世界では十一年という時を過ごしたが、地球では数週間しか経過していない。

 確証は得られなかったが、そう考えるのが自然な流れでもあった。

あまりに突拍子のない出来事に、現実を受け入れることができずに唖然とする。

 だが、現実を受け入れざるを得なかった。


 「気を強く持ってください。これからリハビリを行い、復帰できるようにしていきましょう。ご家族の方に連絡をするので、私はこれで失礼します」

 「わかりました」


 担当医と看護師が足早に病室から去っていき、室内には吹雪だけが残される。

一人になった吹雪は過去を思い返すように記憶を探り、現状を把握しようと必死になっていた。そして異世界に召喚される直前に、学院に居たことを思い出した。


 「そうか。そういうことか……」


 異世界に召喚される直前に、学院の裏校舎に幼馴染に呼び出されたことを思い出した。いざ、裏校舎に向かうと複数のクラスメイトに囲まれ、集団リンチを受けた。

 吹雪の通っていた学院は、陰陽師を育てるエリート校だった。

だが、陰陽師としての才能がない吹雪は、学院では浮いた存在だった。

 そのため、いじめの対象になり、惨い学生時代を過ごした。

 

 そしてクラスメイトの非道な暴行に襲われている最中に気を失い、気付いたら異世界に召喚されていた。

 まるでパズルのピースを埋めていくように、点と点が繋がっていく。

異世界で過ごした十一年間は、地球では数週間の出来事だった可能性が高い。

 

 「つまり俺は精神年齢が二十六歳だが、肉体は十五歳ということか……」

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