ラブレター
「……ってことがあってさ」
「ふふっ、そうなんですか。
放課後を迎え、アルバイト先である喫茶店へと向かうべく玲奈と隣り合わせで歩いていた。そうして、昇降口に差し掛かり、靴を履き替えるため各々自分の下駄箱を漁る。
その時だった。
「え」
俺の意思とは関係無しに、声が漏れ出る。
上履きから靴に履き替える動作を行う処理ができないくらい、俺の脳が事態の把握に時間を要している。
たっぷり五秒ほど、それを見つめていると、怪訝そうに玲奈がひょいと顔をのぞかせた。
「どうかしましたか? 浩人くん」
「い、いや……な、なんというか」
俺が答えを渋っていると、玲奈が下駄箱に視線を向ける。
それを発見すると、彼女も俺と同様の反応を示していた。
数秒の沈黙を経て、玲奈が
「……ら、ラブレターですよね……これ」
「だ、だよな。どう見ても」
赤いハートのシールで閉じられた、白い封筒。
これぞラブレターと言わんばかりの姿形をしている。
恐る恐る手に取ってみる。
「え、えっと……よ、よかったですねっ、浩人くん! カノジョ作りたいって言ってましたし、早速叶いそうで。結局、私はなにも協力せずに終わってしまって申し訳ないですが、影ながら応援してますっ」
「え、ちょ……玲奈?」
玲奈は、無理矢理作ったようなぎこちない笑みを浮かべ矢継ぎ早にそう言うと、駆け足でこの場を後にする。追いかけようにも、上履きのまま追うわけにもいかず、目で追うことしか出来なかった。
俺は困ったように首筋を指で掻きながら、ラブレターへと視線を落とすのだった。
*
結論から言って、下駄箱に入っていたのは正真正銘のラブレターだった。
指定された場所に行くと、同じクラスの女子がいた。
接点はほとんどなかったと思う。そうして、彼女とやり取りを終えて、現在。
俺は喫茶店の仕事に精を出しているわけだけど。
「井之丸くん。玲奈になにかしたのか」
「いや、なにもしてない……と思いますけど」
「そんなことはないだろう。あんな
「マスター、足挫いてるならあんま動かない方がいいですよ」
ぎゅっと右手に力を込めて、眼鏡を光らせるマスター。
だが、すぐに足の痛みを覚えたのか、苦痛に顔をゆがめていた。
厨房の仕事だけなら、どうにかなりそうだが、接客業までとなると辛そうだな。
「大体、今日は玲奈より来るのが遅れていたではないか。普段は、私に悪びれもせず玲奈と一緒にやってくるくせに」
マスターは憎々しげに俺を見つめる。
「それは、まぁちょっと用事があったといいますか」
「ふんっ、もし玲奈に何かあったらどうするつもりだ。一応キミがいることで不審者や事故の魔の手から多少は逃れられるというメリットはあるのだぞ」
眼鏡のブリッジに指をかけ、見下ろすように視線を注いでくる。
この人は、俺と玲奈を一緒に下校させたいのか、させたくないのかどっちのスタンスなのだろう。よくわからない。
俺が苦笑してこの場をやり切ろうとしていると、マスターが続けた。
「幸いにも今は客入りが少ない。今のうちに玲奈の機嫌を取ってこい」
「え、いいんですか?」
「なんだ鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔して」
「だって、仕事中に玲奈と関係ないこと喋るの禁止って、この前言ってましたよね」
「私が許可出してるのだから特例だ。ほら行け。あ、だが玲奈がいつも通りに戻ったら、私語は厳禁だ。わかったな」
「了解です」
マスターからの許可が下り、テーブルの拭き掃除をしている玲奈の元に近づく。
と、すぐに俺の気配に気がついた玲奈は、ビクッと肩を上下して、その場を立ち去ろうとする。
俺はすかさず彼女の腕を掴んで、引き止めた。
「あ、待って玲奈」
「な、なんですか……仕事中ですよ……」
俺とは目を合わせてくれないまま、ぼそりと呟く。
「玲奈こそ、ずっと様子変だけど、もしかしてラブレターのこと気にしてる?」
「き、気にしてなんかいません。無事、浩人くんにカノジョが出来て喜ぶべきところで、私が余計なこと考えたりなんかするわけないじゃないですか……」
「でも、あれからずっと目合わせてくれないじゃん」
「そ、そうですか……?」
「そうだよ。ほら、また逸らした」
俺が目を合わせようとすると、すぐに明後日に逸らされる。露骨なまでに、距離を置かれていた。
「と、というか良かったんですか……お仕事なんかして」
「え? どういうこと?」
「せっかくカノジョできたのに、放っておいたら愛想尽かされちゃいますよ。幸か不幸か、今日はお客さん少ないですし、カノジョさんのところに行ってくれても……」
「あ、やっぱ誤解してるんだ」
ぶつぶつとぶっきら棒に呟く玲奈。
それを聞いて、俺は得心がいっていた。
玲奈は、小首を傾げると頭上に疑問符を立てる。
「誤解ってなんですか?」
「俺、カノジョできてないよ」
「だって、ラブレターもらって……それに、告白されたらまず付き合ってみるって、この前言ってましたよね……?」
「あー、言ったねそういえば」
始業式の日まで遡ることになるが、確かに言った覚えがある。
俺は、微笑をこぼしながら続けた。
「でも、今は気持ち変わってるからさ」
「そうなんですか?」
「そ。やっぱ、自分が好きになった子と付き合わないとかなって」
「そ、そうですか。勿体ないですね。せっかくカノジョが出来るチャンスだったのに、でもそうですか。カノジョが出来たわけじゃ、ないんですね……へへ……」
「あ、やっと目合った」
「……っ、べ、別に目くらい合いますよ。大げさです!」
「いや、さっきまでわざと目逸らしてたじゃん」
「そんなことないですって」
俺は唇を前に尖らせると、鼻骨のあたりを指で掻きながら、呟くように言う。
「……結構心配したんだからな。嫌われたのかなって」
「き、嫌ってなんかっ……ないです」
玲奈は、目をアッと見開く。水気を取る犬みたいに、首をブルブル振った。
その様子にホッと安堵すると、微笑をこぼす俺。
「ならよかった」
「そうですか……」
「うん」
「……」
「……」
ん、なんだこの空気……。
誤解が解けたのはよかったが、続く話題が思いつかない。
お互いに黙ってしまい、それとなく視線を逸らす。いっそ、仕事が舞い込んでくれば良いが、その気配は一切なかった。
俺は必死に思考を回して、話題を探す。
「そ、そういや、そろそろゴールデンウィークだな」
「そ、そうですね」
「玲奈は、なにか予定あるの?」
「な、ないです……けど」
今更だが、この切り出し方は間違えた気がする。
予定を確認する、イコールなにか誘う前準備のようなものだ。
玲奈の頬に朱が注がれ、期待を含んだ瞳が俺に向けられた。
「そっか」
「はい」
「……」
「浩人くんは、何か予定あるんですか?」
再び沈黙に陥りそうになると、玲奈が同じ質問を投げてくれた。
「俺も特にはない、かな」
「そうですか……」
「……」
「……」
「じゃ、じゃあさ」
「は、ひゃいッ」
俺が切り出すと、玲奈が動揺を露わにして居住まいを正した。
俺は一呼吸置くと、頬を指で掻きつつ、続けた。
「どっか遊びにでも行く?」
「ぜ、是非ッ。行きたいです」
前のめりになって顔を近づけてくる玲奈。
端麗な顔が目の前に近づき、俺の頬が自然と赤くなる。
俺よりワンテンポ遅れて、息が掛かるほど近いこの距離感に気がついた玲奈も、同様に頬を赤くした。
再び、俺らの間に沈黙が落ちる。
この居たたまれない空気から脱するべく、視線を逸らす俺。と、その先にマスターを発見する。
マスターはグラスを拭きながら、鬼の形相でこちらを見ていた。OH……。
普段ならとっくに茶々を入れてきただろうに、足を挫いているせいでここまで来れなかったらしい。その代わりと言わんばかりに、眼圧が凄い。
俺はだらだら滝のような汗を掻きながら、そっと視線を元に戻す。
後でマスターに殺されない事を、胸の内で祈る俺だった。
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