自称ツンデレ彼女のツンが来ない 〜この彼女、俺にゾッコンすぎる〜

ヨルノソラ/朝陽千早

出会い

 中学三年生。二月某日。

 今日は、俺の十五年の人生において、最も重要と断言しても過言ではない日だった。


 いや、俺だけではない。隣の席に座って小声で英単語を詠唱している彼も、向かいの席座って狂ったように参考書のページをめくる彼女も同様だろう。


 なぜそれが断言できるのか、それは今日、これから高校入試が行われるからだ。

 この一年。受験生として努力した全てを、解放する機会がついにやってきた。合否は、内申点と入試試験、面接によって決まる。

 だが、内申点に関しては、ほとんどみんな横並び状態だろうし、面接でも大差は付かない。そうなると、差が出てくるのは入学試験だ。


 極端に言えば、今日の結果が良ければ合格するし、悪ければ落ちる。

 これから先の人生を考えると、今日という日は重要であることに間違いなかった。


 周りの受験生たちが血眼になって、最後の追い込みを行う中、俺はといえば先ほどから何度も指を折っては考え事をしていた。


 昨日の夜からずっと悩んでいることがあるのだ。その答えを今も出せていない。


 何を悩んでいるのかといえば、それは──。


「……ゃ、ゃめ…………さぃ」


 と、一人黙考を続けていると、不意に震えた女声が耳元を掠めた。

 ガタガタと、列車が線路を走り抜ける音が絶え間なく聞こえる車内。その声に気がついたのは俺だけだった。昔から、耳だけは人一倍良いのだ。


 車内は、満員という程ではないが、程々に混み合っている。だが一人一人のスペースを作れないほどではない。

 にも関わらず、制服を着た女子にほぼゼロ距離で密着しているオッサンがいた。


 この位置からだと、オッサンの手は確認できない。だが、あの距離感はどう見ても不自然だった。

 女の子の方は、身体を縮こめて、小刻みに震えている。


「ゃ、ゃめ」


 女の子の悲痛な声が、再び俺の耳元を掠めた。


 咄嗟に席から立ち上がると、俺はすぐさま現場へと向かう。


 スカートへと伸びるオッサンの右手首を掴んで、強引に俺側へと引っ張った。


「何してんすかアンタ」

「……ッ、な、何だ急に……!」

「今、この子に痴漢してましたよね」

「し、してない。言いがかりはやめろ」


 俺が睨みを効かせると、オッサンは年甲斐もなくビビり始める。俺の声に気がついた周囲の人が「え、痴漢……?」と騒めきだした。


 この期に及んでシラを切るオッサンに、俺は荒めの吐息を漏らすと。


「じゃあこの右手。こっから何も触らないでください。微物鑑定してもらえば、どっちが正しいかすぐに分かりますから」

「ふ、ふざけるな。私はこれから会社なんだ。仕事に穴を開けるわけにいくか。大体、いきなり現れてなんだキミは。礼儀がなってないんじゃないか? 目上の人に対する態度ではないな。これだから最近の若者──ぬアッ⁉︎」

「痴漢する大人とか、どこを敬えばいいんですか? 教えてください」

「ぃグッ……は、離せ。やり過ぎだ。折れる。折れるだろ、そんな強く握ったら!」


 俺が骨を折る勢いで強烈に握ると、オッサンが苦悶に表情を歪めた。

 ふと、車掌さんのアナウンスが流れる。停車駅を告げると、列車の速度が急激に落ちていく。程なくして静止すると、扉がひとりでに開いた。


 ゾロゾロと人が乗り込んでくる。そのタイミングを見計らい、オッサンは勢いよく俺の手を振り払った。


「あ、おい。待っ……くそっ!」


 追いかけようかと思ったが、すぐに扉が閉まってしまう。扉の窓越しに、オッサンが年甲斐もなく走る姿が映る。足元をもたつかせて、盛大に頭から転んでいた。


 一応、天罰は落ちたみたいだな。納得はいかない結果だが。


 俺は乱雑に頭を掻くと、荒々しく息を吐く。

 俺が苛立ちを覚えていると、突然、制服の袖が掴まれた。


 視線を向ければ、痴漢に遭っていた女の子が、涙を目に浮かべていた。


「あ、ありがとう……ございます。助けていただいて」


「あ、いや全然。災難だったな。大丈夫?」


「は、はい。……なんとか」


「受験生、だよね?」


 俺が訊ねると、彼女はコクンと首を縦に振る。

 俺は頬を人差し指で掻きながら、笑みを浮かべた。


「えっと、もう大丈夫だからさ。元気出し──って、急にそんな無理だよな。ごめん。あんまフォローとか上手くなくて」


「ふふっ、いえ、元気出ました。ありがとうございます」


「ほんと? まぁすぐに気持ち切り替えらんないかもだけど、頑張ろうなお互いに。俺も受験生だからさ」


「そうなんですか。あの、どこ受けるのか聞いてもいいですか? 私は関栄せきえいなんですけど」


「え? 俺も関栄だよ」


 同じ高校の受験生だとは思わず、テンションが上がる俺。

 と、彼女はパァッと目を輝かせると、躊躇い気味にお願いしてきた。


「そ、その……迷惑かと思うんです、けど……一緒に高校まで行ってくれませんか?」


 さっき痴漢の被害に遭ったばかり。

 精神的にダメージが大きく、恐怖が身体中を駆け巡っているのだろう。


 俺と一緒にいるだけで、その負担が軽減されるなら、断る通りはない。


 俺は、出来る限り明るく、ニコッと笑みを携えながら。


「もちろん。俺も一人で心細くてさ。ありがと」


「……っ、い、いえ、感謝を言うのは私の方で……」


 頬に朱を差し込み、彼女は俯き加減に呟く。

 程なくして列車は速度を落としていくと、停車した。ちょうど、これから受験する関栄高校の最寄駅だ。


 俺たちは、電車から降りると、横並びになりながら高校へと向かった。



 ★




 雑談というほど雑談は行わず、受験生らしく試験の話題で持ちきりだった。何が試験に出そうか情報共有を行い、簡単に問題を出し合う。

 同じ高校を受験するだけあって、学力的には大差がないように感じた。


 高校に到着すると、厳粛な空気をヒシヒシと感じた。昇降口で、靴から上履きへと履き替える。

 俺と彼女は別の中学に通っているため、受験する教室も別だった。彼女は三階にある教室、俺は四階にある教室で試験を受ける。

 三階まで登ったところで、俺は切り出した。


「じゃ、俺はこっちだから」


「はい……」


「あ、そうだ。最後に一つ聞きたいことあんだけどさ。1から4の中で、好きな数字教えて」


「え? 好きな数字ですか。そうですね……それなら、2です」


「2。……なるほど、ありがと」


 俺は頭の中で数字の2を思い浮かべると、首を縦に振った。

 すると彼女は、不思議そうに小さく首を傾げてきた。


「なんでそんなこと聞くんですか?」


「ほら、入試って記述もあるけど選択式もあるだろ? もしどうしても答えが検討つかない時、何の数字にするかずっと迷っててさ」


 ここに来るまでやれるだけの勉強はやってきた。

 だから後は、運だ。いくら万全の体勢を整えたと言っても、想定外の問題や急なド忘れだってあるだろう。


 万が一に備えて、困った時に書く番号を用意しておきたかった。それを、昨日の夜からずっと考えていたのだ。


「じゃあ、困った時は2番にするってことですか?」


「ああ、そうさせてもらおうかなと」


「荷が重いんですけど」


「2だけに?」


「……っ、ち、違います。偶然ですから!」


「冗談だってば。どうどう」


「あ、あやさないでください」


 頬を赤らめて、矢継ぎ早に否定する彼女。

 俺が胸の前で両手を開いて、落ち着くよう指示をすると、彼女は不満そうに頬を膨らました。


「とにかく、そんな大切なこと……私、責任負えません……」


「いや、そんな重く考えないでよ。俺、昔から運が悪くてさ。大事な時は、毎回外すから。いっそ誰かに決めてもらった方が良いというか。大体、入試で分からない問題が出てる時点で、当たったらラッキーみたいな感じだし」


「そう、ですか。じゃあ、私にも一つ数字ください」


「え、だから俺、運良くないんだけど」


「だからこそです。そしたら、一つだけ数字外せるじゃないですか。その番号以外の三つで選ぶことができます」


「なるほど、逆転の発想だな。……じゃあ、1で」


「1ですね。了解です」


 彼女は嬉しそうに破顔する。

 俺は踵を返すと、四階へと向かおうと──したところで、制服の袖を掴まれた。


「じゃ──」


「ま、待って……ください」


「ん?」


「名前……最後に、名前教えてくれませんか?」


「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな」


 正確に言えば、名乗るタイミングはいくらでもあった。名乗ろうかと思ったが、これから受験という大事な時期。余計な情報を与えるのは迷惑かと避けていた。


 けれど、名前を聞かれたのなら、答えるしかない。


井之丸浩人いのまるひろとだ。キミは?」


胡桃沢玲奈くるみざわれなです。井之丸くん……今日はほんと、ありがとうございました。なんとお礼をしたら良いか……」


 深々と頭を下げられる。

 俺は彼女の肩を持ち上げて、無理矢理顔を上げさせると、柔和な笑みを浮かべた。


「お礼なんかいらないって。ほら顔上げて」


「でも、」


「じゃ、四月に会ったら声掛けてくれよ」


「え?」


「俺、友達作るの下手だからさ、胡桃沢が声掛けてくれたら勇気出る気がする」


「は、はい! 絶対声掛けます!」


 俺は微笑を湛えて今度こそ踵を返すと、四階へと向かう。

 一度振り返ると、胡桃沢は俺を見つめながら、ヒラヒラと小さく手を振っていた。


 寒さからか、手のひらが赤く染まっている。

 俺はポケットから、ある物を取り出すと、それを彼女に向かって放った。


「いくよ、胡桃沢」


 胡桃沢は慌てふためくも、なんとか俺が投げたホッカイロをキャッチする。


「え? へ、ちょ……っと」


「それあげる。手冷えてたら、試験に集中できないだろ」


「ありがとう……ございます」


「おう。じゃ、またな」


「はい。また」


 俺は軽く手を振り返すと、四階の教室へと向かった。

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