閑話 とある令嬢の見たイルミーレ(上) ファフナー伯爵令嬢視点

 私はファフナー伯爵令嬢ホーレイミ・ホルマと申します。年齢は17歳。父のファフナー伯爵は街道省の大臣を拝命しております。


 私が最初にイルミーレ様の噂を聞いたのは、イルミーレ様が貴族商人として夜会に出始めてしばらく経った頃の事でした。


「ホーレイミ様はもうシュトラウス男爵令嬢にお会いしましたか?」


 ある日、仲良しであるカキリヤン伯爵令嬢をお茶にお招きしてお話していたらそんな話になったのです。


「いえ、どなたでしょう?」


 私は伯爵令嬢ですから、男爵令嬢は父の部下の男爵の令嬢くらいにしか会った事がありません。出る夜会やお茶会には子爵以下の貴族令嬢はほとんど出て来られませんし。


「今、帝都に来ている貴族商人の男爵令嬢ですわ」


 貴族商人?私は首を傾げました。カキリヤン伯爵令嬢のお話ですと、何でも夜会で商品の販売をする商人ですとか。?販売とは何でしょう。物を買う時は商人が屋敷にやって来て、勧められた物の中から選んで買いますわよね?良く聞くとその貴族商人とやらが夜会に商品を持ち込み、それをズラッと並べて、それを夜会に出た皆様でお話をしながら選んで買うのだそうです。なにそれ、楽しそうではありませんか。


「その貴族商人の男爵令嬢が素敵なのです!」


 カキリヤン伯爵令嬢が琥珀色の瞳を輝かせます。令嬢が素敵?令息では無くて?


「シュトラウス男爵令嬢、イルミーレ様というのですが、その、そこらの令息を負かしてしまうほどスラリと背が高く、緋色の髪は豪奢で、お顔立は端正で上品で、アイスブルーで切れ長のお瞳が細められるとそれはそれは素敵なのです!」


 カキリヤン伯爵令嬢は力説しています。


「それにダンスがお上手で、令息方とホールを舞うそのお姿は見とれるほど素晴らしいのです!立ち振る舞いもうっとりする程美しい上に、お話もお上手で面白いですし、外国の事を大変良く知ってらっしゃるのですよ!」


 大絶賛です。私は訝しみました。


「男爵令嬢なのですよね?」


「そうですけど、本当に素敵なのですよ。私、最初は珍しいフレブラント王国の商品目当てで夜会に出向いたのですけれど、今ではイルミーレ様にお会いしたくて夜会に通い詰めておりますの」


 カキリヤン伯爵令嬢は珍しい物が好きと聞いています。それと、三女なので結婚相手に格下の子爵男爵も考慮に入れているという話もしておりました。それで下位貴族の夜会にも出ているのでしょう。


 私も誘われましたが、下位貴族の夜会になど出たらお父様お母様に叱られます。私は断り、この時はそれで終わりました。


 次にイルミーレ様のお話を聞いたのはアングレーム伯爵令嬢の開催されたお茶会でした。


「お聞きになりましたか?ファフナー伯爵令嬢」


「何をでしょう」


 フリセリア侯爵令嬢がお顔を僅かにしかめながらおっしゃいました。


「忌々しい男爵令嬢の話です」


 男爵令嬢?カキリヤン伯爵令嬢の言っていた件でしょうか?


「貴族商人とかいう・・・」


「そうです!」


 フリセリア侯爵令嬢は歯を軋ませて唸りました。貴族令嬢がこんなに感情をあからさまにするのは余程の事です。


「その貴族商人の令嬢が、よりにもよってアルステイン様をたぶらかしているのですわ!」


 周囲の令嬢がまぁ!と驚きます。


「アルステイン様が?どういう事ですか?フリセリア侯爵令嬢?」


 アングレーム伯爵令嬢が勢い込んで尋ねます。フリセリア侯爵令嬢は血走った目をしながら説明を始めます。


 何でもその男爵令嬢が出る夜会に、先の皇帝陛下の第二皇子で現在はイリシオ公爵たるアルステイン様が熱心に通い詰めているそうなのです。彼女が出る夜会は下位貴族の夜会であるにも関わらずです。


 それはもうあからさまではありませんか。アルステイン様はここ何年も夜会に滅多に出て来ません。そのアルステイン様がわざわざ下位貴族の夜会に出て。男爵令嬢とダンスを踊り、親しく語らっていらっしゃるとは。


 アルステイン様は銀色の御髪とエメラルドの瞳を持つ端正な顔立の素敵な方です。憧れている貴族令嬢は沢山います。そのアルステイン様が男爵令嬢にご執心とは。心穏やかでない貴族令嬢は多いでしょう。特に今日のお茶会のメンバーは身分高い令嬢ばかりで、容姿もお美しい。我こそはアルステイン様の妻に相応しいと自認している方々ばかりです。


「それは黙ってはいられませんわね!何とかしなくては!」


「幸い、その男爵令嬢は今度、レリュージュ伯爵の夜会に来るとか。そこなら私達が出向いてもおかしくありませんわ!」


「ええ!皆様でその男爵令嬢に身分というものを分からせて差し上げましょう!」


 どうやら私もその皆様に含まれているようです。私は迷惑だな~という気持ちを押し隠して微笑んでいました。私はアルステイン様には拘りが無いのですが。


 そうして招待状も無いのに押し掛けた夜会で私はイルミーレ様に初めてお会いしました。いえ、会ってはいませんね。見ました。何しろ挨拶も無しでアングレーム伯爵令嬢とフリセリア侯爵令嬢はイルミーレ様に詰め寄り、吊し上げを始めてしまいましたから。


 初めて見たイルミーレ様はカキリヤン伯爵令嬢がおっしゃいました通り、非常に背が高く、緋色の髪も美しい令嬢でした。ですがこの時は詰め寄る高位貴族令嬢に恐縮しながら頭を下げていらっしゃいましたし、何だか色褪せたドレスを着て、お似合いですが安っぽい感じの髪飾りを着けてらっしゃった事もあり、あまり印象は強くありませんでした。


 この時はアルステイン様が珍しく怖いお顔でイルミーレ様を救い出しにいらして、私達は退散いたしましたから、その印象は変わりませんでした。ただ、去り際に見たイルミーレ様とアルステイン様は背丈も釣り合いお似合いに見えたものです。


 アルステイン様とイルミーレ様の事はもっぱらな噂になりましたが、イルミーレ様は男爵令嬢です。どんなに愛し合われてもイルミーレ様が愛人になるのが関の山でございましょう。そういう意味では私達は安心していました。


 しかしある日、アルステイン様主催の夜会の招待状が届いたのです。期日は三日後。お父様もお母様も私も大いに驚きました。しかし、公爵様からの招待状を頂いたのでは出ないわけには参りません。私は精一杯おめかしをして出掛けました。


 公爵邸の巨大な大広間には100人を超える上位貴族の方々が勢揃いしていらっしゃいました。宰相閣下のお姿も見えます。あ、スティーズ伯爵です!相変わらず素敵です!誰も同伴していらっしゃいませんね。一安心です。後でお話が出来るでしょうか?


 煌びやかな貴族と婦人たちでザワザワしながら公爵様のご入来を待ちます。何しろ公爵様が夜会を主催するなど初めての事です。何を目的にした夜会なのか、皆様不思議がっています。


 すると、二階にあたる場所にあるベランダの大扉がガコンと開きました。全員が注目します。「皇帝の扉だ」とどなたかがおっしゃいました。昔はここは離宮でしたからあそこから皇帝陛下がお出になられたのでしょう。今は公爵邸ですから、あそこからアルステイン様がお出になるに違いありません。


 案の定、背の高い銀髪のお方が現れました。そしてその横にやはり背の高い、緋色髪の女性がいらっしゃいます。どよめきが起こります。私も愕然と致しました。イルミーレ様が優雅な微笑みを浮かべ、此方を見下ろしていらっしゃいました。


 な、何ですかあれは!この間とは別人ではありませんか!


 イルミーレ様は白と緑が重なるような素晴らしいドレスを着ていらっしゃいました。隣に立つアルステイン様とお揃いに誂えたと一目で分かるものです。まるで結婚衣装ではありませんか!そして、身を飾る宝飾品は一目で凄いものだと分かる程の豪奢な代物で、特に頭に載せられた繊細なティアラの輝きは圧巻です。更に凄いのはイルミーレ様がその宝飾品に負けておられない事で、優美に微笑み優雅に歩いてアルステイン様と階段を降りて来る姿は見ているだけで頭が下がる程の威厳に満ちておられます。


 カキリヤン伯爵令嬢のあれほどの興奮の理由を私は今、理解しました。これが男爵令嬢?嘘でございましょう。実はどこかの王族の姫君であると言われても何の違和感もございません!


 アルステイン様とイルミーレ様は並んで挨拶を受け始めました。私もお父様お母様と並んで初対面の挨拶を致しましたが、あまり良く覚えていません。鷹揚に頷きながら微笑むイルミーレ様が恐れ多くて顔が上げられなかったのです。


 しかしこの夜会はアルステイン様のプロポーズにイルミーレ様がなぜか即答出来ず、昏倒していまうという大事件で大混乱の内に終わりました。どういう事なのか、何が起こったのか分かりませんでした。


 数日後聞いた話では、イルミーレ様は緊張のあまり昏倒してしまいましたが、目覚めてからちゃんと求婚に応じ、アルステイン様と婚約なさったそうです。ですが元々身体がお強く無かった事もあり(そう言えばお痩せになっていらっしゃいましたね)そのまま公爵邸で静養なさっておられるとか。


 公爵様と男爵令嬢がご婚約なさった事は驚きでしたが、お父様によると例が無い事では無いそうです。ただ、アルステイン様は皇帝陛下の弟君で、皇帝陛下に御子がおられない現在、事実上の皇太子です。このままでは他国の男爵令嬢が皇妃になってしまう、とお父様お母様は憤っていらっしゃいます。


 お父様お母様でこれですから、アルステイン様に想いを寄せていらした令嬢方のお嘆きとお怒りは大変なもので、上位貴族令嬢のお茶会は大荒れでした。


 しかし、イルミーレ様はそれから何ヶ月もの間、姿を現しませんでした。どうやらご家族はとっくに帰国なさったようです。これはおかしい。実は公爵邸に静養中というのは嘘ではないか。実はご家族と一緒に帰国なさったのではないか?いや、男爵令嬢が公爵様のプロポーズに即答出来ずに昏倒なさるなど大変失礼な事です。その罰でイルミーレ様は既に処刑されたのだ。などという噂が乱れ飛びました。


 しかもその内、アルステイン様は出征なされてしまい、私は正直、イルミーレ様の事を忘れ始めていました。


 ところが、年明けに行われる皇妃様主催の園遊会にイルミーレ様が出席なされるという話が聞こえて来たのです。皇妃様の園遊会と言えば上位貴族婦人の集合する一大イベントです。療養中のイルミーレ様でも出席をお断り出来なかったのでしょう。


 その話を聞いた上位貴族の令嬢達は「嫌がらせをしてやりましょう!」と気勢を上げていました。私は先の夜会で見たイルミーレ様を思い出すにつけ、とても私に敵う相手では無いと心底思っていましたから、聞いてはいましたが自分に役目を振られないように慎重に振る舞いましたよ。


 そして園遊会当日。会場の温室庭園に入っていらっしゃったイルミーレ様は毛皮のコートを脱いで侍女に預けると会場を笑顔で見回しました。臙脂色に金の刺繍が入った、かなり派手なドレスなのですが、イルミーレ様は長身ですし緋色髪が鮮やかなのでそうとは感じられません。確かにお痩せになっていますが、顔色は良く、元気そうでした。


 イルミーレ様が進むと、周辺が明るくなるような錯覚すら起こします。絶対的な存在感です。イルミーレ様が皇妃様や上位貴族にどの様に扱われるか分かりませんから誰もが遠巻きに見ていますが、けして全員が嫌悪を持って見ている訳ではありません。カキリヤン伯爵令嬢などは近寄りたくて仕方が無い顔をしています。


 皇妃様が入場なさり、イルミーレ様が挨拶のために皇妃様の所に向かいます。するとアングレーム伯爵令嬢とフリセリア侯爵令嬢がその前に立ちふさがりました。イルミーレ様の随伴である伯爵夫人が叱っても退きません。イルミーレ様を見上げて睨み付けています。イルミーレ様は微笑んだまま二人を見下ろしていました。全く動じていません。眉一つ動かさないのです。


 やがてイルミーレ様はゆるりと踵を返しました。勝ったと思ったアングレーム伯爵令嬢とフリセリア侯爵令嬢は笑っていますが、私はイルミーレ様が踵を返す前に皇妃様をチラッと見たのを見逃しませんでした。イルミーレ様は端から二人の令嬢など眼中に無いようです。これは皇妃様との駆け引きなのです。


 イルミーレ様は会場を横切ると、そこにあったソファーに崩れ落ちました。会場がどよめきます。随伴の伯爵夫人がイルミーレ様を助け起こしました。どうやら体調を崩されたようです。確かにイルミーレ様は長い間療養中でしたからね。すると皇妃様がイルミーレ様の所に向かいました。社交の主催者としては当然の気遣いです。周囲の高位貴族夫人が引き止めようとしていますが、もしもこのままイルミーレ様がさっさと退場してしまうと皇妃様の失態になってしまいます。無理矢理には止められません。


 すると、皇妃様が近寄った瞬間、イルミーレ様がヒョイと立ち上がりました。驚くほど機敏な動きです。そして、一転してゆっくりと、優雅にスカートを広げて礼をします。見事な淑女の礼でした。皇妃様は目を丸くなさっています。


 それからお二人は少しお話をして和やかにお離れになりました。つまり、無事に初対面の挨拶を済まされたのです。私は唖然としました。


 アングレーム伯爵令嬢達が道を塞いだ時、声高に自分は公爵様の婚約者で上位である、と叫んだなら、会場の空気は悪くなり、イルミーレ様への感情は悪化したでしょう。しかし、イルミーレ様は場を荒らさずにその場を収めてしまわれました。迂回された形のアングレーム伯爵令嬢達は呆然としています。


 これはもう、格が違います。機転もそうですが、あの時イルミーレ様は皇妃様を確かに見ました。皇妃様ならこの程度のペテンに掛けられたぐらいで怒る事は無いとあの瞬間に見て取ったのでしょう。その洞察力。そして即座に実行する決断力。どれもそこらの令嬢では太刀打ち出来るものではありません。


 そしてその後、イルミーレ様はカキリヤン伯爵令嬢を始めとした旧知の令嬢との交流をきっかけに、あっという間に会場の空気を支配してしまいました。私達のようにイルミーレ様に隔意を示す高位貴族は隅に追いやられてしまいます。私はカキリヤン伯爵令嬢にでも紹介してもらえばお仲間に混じれたでしょうが、お母様が皇妃様のお側にいる現状で私だけがイルミーレ様の所に行くわけにも参りません。


 すると、皇妃様がお母様を始めとした取り巻きの婦人を引き連れて、しずしずとイルミーレ様に近付きます。もしやイルミーレ様と対決なさるのでは?私の周囲の貴族婦人の顔が輝きました。


 ところが、皇妃様はイルミーレ様と和やかにお話になり、突然、イルミーレ様のお手を取られたのです。そして微笑み合われています。高位貴族婦人が愕然となりました。何が起きたのでしょう?


 後で皇妃様のお側で一部始終を目撃したお母様に聞きましたが、イルミーレ様は周囲の婦人が誰も二年間も気が付かなかった、皇妃様秘蔵の黒真珠のイヤリングに一瞬で気が付き、皇妃様はそれを大層お喜びになったのだそうです。二年間も気が付かなかった当人であるお母様は顔色がありません。


 宝石の目利きまで出来るのですか。そう言えばそもそもが貴族商人でしたね。それにしても皇妃様もあっさり陥落とは。この時点で既にイルミーレ様に隔意を示す貴族婦人はもう少数派になっていました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る