25.様々な事情
さて、私は皇妃様と二人残された。私は皇妃様をジトっとした目で見た。
「さて、皇妃様?私はもう一つ伺いたい事があります」
皇妃様は悪戯っぽい、いつも見せる何か企んでいるような笑顔で言った。
「お父様の事でしょう?」
話が早くて助かりますよ。今までの情報を総合して最後に気になったのが、権力欲の無かった宰相閣下が皇妃様が皇帝陛下の妃になった途端に権力を求めるようになった、という部分だ。印象だが、宰相閣下は剛直で意志の強そうな方だ。それに堕落には縁の無さそうな目をしていた。権力欲に取りつかれる人には見えない。というか、権力を手放したくないのならアルステイン様に取り入り、帝位に押し上げて恩を売った方が良い。公衆の面前で敵対心を露わにするなぞ世渡りの上手い権力者のやる事では無い。
皇妃様は少し胸が痛むような顔をなさった。
「お父様は伯爵です。しかもさして家格も高い家柄ではありませんでした」
それが先帝に抜擢され宰相の位に就き、喜び、心から先帝にお仕えしようと誓ったらしい。無私の忠誠と粉骨砕身の精勤で先帝からの信頼はどんどん厚くなった。そして夜会でヘラフリーヌ様と皇太子様は出会って恋に落ちた。当時ヘラフリーヌ様を未来の皇妃とするにあたり、宰相の家格の低さがやや問題視されたらしい。しかし宰相への先帝の信頼が決め手となり、先帝は婚姻を勅許。お二人は無事に結婚する事が出来たのだという。
その事で宰相は先帝への忠誠を更に厚くしたと同時に、不安も抱いたらしい。
「位は伯爵でしか無く、家格も低いお父様では私と皇太子様の後ろ盾として不足ではないかと思ったようなのです。当時はアルステイン様が戦功を上げ続けて、アルステイン様こそ帝位に就くのに相応しいという意見も強かったですから」
伯爵で家格も低い宰相は、当時は貴族社会での立場が強く無かった。その彼の後ろ盾では皇太子を無事に次代の皇帝へと押し上げられない可能性があったらしい。例えばアルステイン様が有力な侯爵辺りから妻を娶り後援を受けたなら、皇太子を飛び越えてアルステイン様が帝位に就く可能性が十分にあったそうだ。
先帝への忠誠心厚い宰相としては、自分の娘と結婚したために先帝が定めた皇太子が帝位に就けなくなるなど耐えがたい事であったのだろう。それで宰相閣下は権力を増強し、アルステイン様を帝位から遠ざけるために画策するようになったのだという。アルステイン様を臣籍に降下させたのもその一環だ。その仕上げがアルステイン様から軍権を奪う事だという。
ただし、皇帝陛下も皇妃様はそれは愚かな事だと考えているので宰相が如何に要求しても認めないらしい。確かに、ペグスタン皇国と紛争を抱えている状況で数々の戦功に輝くアルステイン様から軍権を奪うなど完璧に利敵行為だ。だが、宰相はその現実から目を逸らしてでもアルステイン様を帝位から遠ざけたいのだという。
先の皇妃様が、自分が崇敬する先帝を裏切ったかも知れないという疑惑の子である事と、自分の娘である皇妃様とその夫を守るため。その二つが宰相があれほどアルステイン様を敵視する原因なのだという。
私は頭を抱えたくなった。ダメじゃないですか。政治には疎い私にだって、内政に責任を持つ宰相と、軍務大臣であるアルステイン様がそれほど深刻に対立していたらダメだという事くらいは分かる。しかも仲立ちするべき皇帝陛下はご病気で執務も不十分で夜会にも出られない。このままではあからさまな破局を迎える事が目に見えている。
「皇帝陛下のご意向は譲位ではありませんか。その旨を宰相閣下にお伝えして協力してもらう事は出来ないのですか?」
「陛下が譲位なさる必要は無い。私がお支えする、の一点張りなのです。どうやら私達に子供が産まれ無いなら、遠縁から養子を貰う事を考えているようです」
それはちょっと悪手ですよね。もしもアルステイン様にお子が産まれたら、血の濃さから言ってアルステイン様の子が皇帝に相応しいとの声が必ず上がって、揉め事の種になるでしょう。絶対。
むう。面倒臭い。皇帝陛下が思い切って宰相を遠ざければ問題が解決するのかもしれないが、宰相は有能だとアルステイン様が言うくらいの政治家で、しかも今では宰相派とも言うべき勢力を貴族界に築いている。無理に排除したら影響が大きくなり過ぎる。
ところで・・・。
「皇妃様は何をお望みですか?」
私がやや唐突に問うと皇妃様は目を軽く見開いた後、うふふ、と笑った。
「私の希望なんて関係あるのかしら?」
「皇妃様がお父上に付くか、アルステイン様を支持して下さるのかで解決方法は大分変ってきますもの」
皇妃様が皇帝陛下の御意向と違って父である宰相の意見に内心で同調しているなら状況が更に面倒臭いことになる。土壇場で皇妃様が味方してくれないなどという事になったら目も当てられない。
「・・・私の望みは、皇帝陛下が、夫が一日でも長生きする事です」
皇妃様のお顔は透き通るような憂い顔だった。微笑は消え、どこか遠い所を見ているかのような表情だ。
「夫にはこれ以上重責を背負わせたくありません。負担を無くし、静養すればまだ生きられるかもしれません。・・・あなた達には敵わないかもしれませんが、私達も結構な大恋愛の末結ばれたのですから、ね?」
皇妃様は最後はいつも通りの微笑に戻った。
帰宅したアルステイン様は一気に私に駆け寄って来て、がっちりと抱き着いた。
「お帰りなさいませ。アルステイン様?」
私が言っても返事が無い。痛いくらい私を抱きしめている。そして漸く言った。
「・・・無事で良かった・・・」
私はポンポンとアルステイン様の背中を叩いた。
「大丈夫ですよ」
「君が皇帝陛下に会ったと聞いて、生きた心地がしなかった。何もされなかったか?」
「何も。そのお話は食事の後に致しましょう」
私達は食事を終えると、リビングの三階、絨毯の間に上がった。ここは狭めだから秘密のお話には一番向いているだろう。
ソファーに密着して座り、頭をくっつける様にする。
「本当に無事で良かった。皇帝陛下は何のつもりで君一人を呼び出したのだ?」
アルステイン様はプリプリ怒っている。私はフフフっと笑う。
「アルステイン様は私が絡むと、珍しく感情的になるから、だそうですよ」
アルステイン様がむう、と唸る。私は王妃様に呼び出されてから、皇帝陛下に拝謁し、色々した話を詳しく話した。聞き終わるとアルステイン様は額を押さえて俯いてしまった。
「どうしました?アルステイン様」
私が聞くとアルステイン様はうーんと唸る。
「イルミーレ。それで、君はその話を聞いてどう思った?」
私は無言で肩をすくめた。私は皇帝陛下も皇妃様も良く知らないし、はっきり言うと信用していない。あの方々の言うことを全て信じるつもりはない。私が信じるのはアルステイン様だけだ。
「とりあえずアルステイン様の見解を伺わないと、私は何もするつもりはありません」
「そうか」
アルステイン様は私の頭を撫で、しばらく考えをまとめるように沈黙した後、言った。
「まず、私が母の、不義の子だというのは、嘘だ」
まずそこからですか。私はアルステイン様の手を握ったまま頷いた。
「正確には、私は嘘だと思っている。母と父は、母が私が10歳の時に亡くなるまで関係は良好だったし、私が父に隔意ある態度を取られた事は無い。証拠は無いが、それを言ったら全ての人がそうだろ?」
それはそうですね。疑い始めたら誰だって怪しいですよねそんなの。証明する方法も無い。先代皇妃様の不義の傍証とされた体格や健康なんて、誤差みたいなもんだと言えますからね。
「だが、宰相は事実だと信じて、仲間の貴族に広めた。そのせいで私は帝位から遠のいた」
なるほど。
「アルステイン様が積極的に否定しなかったから、広まり、皇帝陛下も信じた、という訳ですね」
「・・・なぜ私が否定しなかったと?」
「アルステイン様は皇帝になりたくなかったから、噂を利用したのかな?と」
アルステイン様は天を見上げて溜め息を吐いた。
「何もかもお見通しか、イルミーレ?」
「そんな大層な事ではありませんよ。アルステイン様は皇帝になる気は無いとおっしゃいましたもの。そのために利用出来るものはしたんだろうなぁ、と考えただけです」
アルステイン様の用意周到かつ目的の為なら手段を選ばない所は私が一番良く知ってますからね。
「まぁ、そうだ。私を帝位から遠ざけようとした宰相の運動は私の希望と合致した。だから私は噂を否定せず、言われるまま臣籍に降りた。しかしそのおかげで宰相が噂を事実と断じ、私を軽く見るようになってしまった」
おかげで宰相は強硬にアルステイン様の排除を主張するようになり、帝位継承も難しくなって現状がこじれてしまっているというわけだ。
「アルステイン様はどうしてそれ程に帝位を避けるのですか?」
どうも現状がこじれた原因は、アルステイン様が帝位を継がなかったからだと思えるのだ。健康で実績もあるのだから、先帝が崩御した時に帝位を求めれば、あっさり皇帝になれたと思う。
「イルミーレ。帝国皇帝というのはそれ程簡単な地位では無い。皇太子として帝王教育を受けた兄を差し置いて、私が皇帝になっても上手くはいかない」
アルステイン様は完璧を求め過ぎる所があるからね。でもね。
「アルステイン様が行う不完全な統治と、今の皇帝陛下の統治ではどちらが上手く行くと思いますか?」
アルステイン様が返答に詰まる。病弱でまともに政務も行えない皇帝陛下の現状をアルステイン様が知らない訳がない。結局はそれは言い訳なのだ。
「そんなに、お兄様がお大事ですか?」
アルステイン様は笑顔を消して真面目な顔で私を見た。この人は真面目で意志が強く、一度決めたらそれを曲げない。頑固だ。うん。良く知ってる。アルステイン様は何か譲れない思いを感じるエメラルドグリーンの瞳を私に向けながら噛み締めるように言った。
「私は兄の統治を助ける。そう誓ったのだ」
幼い頃に何があったかは知らないが、その誓いがアルステイン様を、ひいては帝国を縛っているのだ。何があったのかは・・・、今は良いか。いつか話してくれる気になった時に話してくれるだろう。
うん。アルステイン様がそう決めているなら、私は付いて行くだけだ。私にとって重要なのは帝国の未来ではない。私とアルステイン様の未来なのだから。私はアルステイン様の頬に軽くキスをする。
「アルステイン様がそうお考えなら、それで良いのではありませんか?ただ、皇帝陛下をお助けする方法は色々ありますでしょう?」
私が笑うと、アルステイン様は少し苦い表情をした。苦悩の色が深い。あんまり苦しんで欲しくはないんだけどな。私に出来る事は何か無いだろうか・・・。そんな事を思いながら見上げる先でアルステイン様は自分に言い聞かせるように呟いた。
「分かっては、いるのだ・・・」
私とアルステイン様はある日揃って、ちょっと変わった夜会にやってきていた。何が変わっているかというと、主催者が変わっているのだ。
そのお屋敷は帝都の官公庁街の近くにある、それ程大きくは無いものだった。ただ、装飾は豪奢で、どことなく帝国とは違う雰囲気がある。
私達が馬車を降りると、主催者と思しき男性が近付いてくる。黒い髪と黒い瞳。特徴的なのは帝国人にはまず無い黒い頬髭を蓄えている事だ。
「ようこそお出で下さいました。イリシオ公爵閣下」
片手を胸に当てて頭を下げる。アルステイン様は微笑みを浮かべてそれを受ける。
「世話になる。大使殿」
そう。ここは貴族のお屋敷では無く、ペグスタン皇国の大使館なのだ。カストラール帝国とペグスタン皇国の仲は悪いが、それはそれとして協力し合わなければならない場面は多々あるため、お互いに大使を派遣しあっているのだった。今回は新しい副大使着任の御披露目の夜会であるとかで、アルステイン様が招待を受けたのだ。
アルステイン様はペグスタン皇国の侵攻を何回も撃退している、皇国にとっては憎い相手だろうと思うのだが、それでも知らぬ顔で招待するのが国際的な感覚なのだろうか。良く分からないわね。
もちろんだが、無防備には来られない。アルステイン様には護衛が15人付き、横にはピッタリとワイバー副官が張り付いている。私にも厳しい顔をしたエルグリアと、女性の士官が軍服姿で二人付いている。それから食べ物飲み物は勝手に口にしないよう注意されていた。
「大使殿。こちらが私の婚約者であるイルミーレだ」
紹介を受けて私は初対面の挨拶をした。
「はじめまして。大使様。私はシュトラウス男爵令嬢、イルミーレ・ナスターシャです。お見知りおき下さい。出会いを記念して大使様のご多幸を女神に祈らせて下さいませ。神に祈りを」
私の言葉に大使様は怪訝な顔を返した。
「男爵令嬢?イリシオ公爵の婚約者では無いのか?」
「そうでございますよ?」
「・・・そうですか。感謝を」
大使は憮然とした顔で感謝を返した。・・・あんまり良い態度では無いけど、まぁ、外国の、しかも半分以上敵国の人だしね。仕方無いね。
ホールには見覚えのある帝国貴族の他に、頬髭を生やした人が何人もいた。大使館の役職者の外、帝都にいる皇国の商人も来ているようだ。
帝国と皇国は言語が多少異なるが、全く理解出来ない程ではない。服装もほぼ同じ。もちろん流行に違いはあるけど。皇国の男性は必ず髭を蓄えているというのが分かり易い外観上の違いだ。
両国の最大の違いは宗教だ。大女神ジュバールを信仰しているという大枠には違いが無いのだが、帝国では宗教はあまり盛んではない。人々は日常的に神に祈るような事はほとんど無く、挨拶と季節の祭りの時くらいしか神を意識しない。
しかし皇国は違う。ペグスタン皇国はそもそも大女神から啓示を授かったという初代皇主が興した国で、非常に女神信仰に熱心だ。初代皇主が女神に授かったという啓示を元にした戒律を厳しく守る事が全国民に義務付けられており、人々は一日に二回、一斉に女神に祈るという。
皇国は帝国を「女神の恩寵の足りない国」と見做しており、軽蔑しているらしい。国境地域では皇国の宣教師が皇国式の女神信仰を布教して良くトラブルになっているのだとか。その他にも生活習慣上の違いも色々あり、肥沃な土地の領有をめぐる争いや商業ルートの争いなど両国の対立点は多い。両国の勢力は今のところ帝国がやや優勢くらいでほぼ拮抗しており、関係はずっと緊張しているらしい。
両国に紛争が多発する原因は民族にもある。皇国はそもそも遊牧民が多く暮らす土地で、皇国が興る前から遊牧民が事ある毎に国境を越え、帝国に略奪をしに押し寄せて来ていた。それを皇国が統一してからは遊牧民を皇国軍として組織化して、大規模に略奪にやって来るようになったらしい。理屈としては皇主が大女神に世界を救えと啓示を受けたとか理由をつけて。遊牧民がなんで略奪に来るのか私には分からないけど、良い迷惑だ。
だから大体、帝国と皇国の戦争は攻め込んでくる皇国を帝国が迎え撃つ形で起こる。アルステイン様が全軍の指揮を執るようになってからは一度も負けて無いらしい。さすが。つまりアルステイン様は皇国にとっては目の上のたんこぶで宿敵なのだ。だから会場の皇国人の視線は厳しい。
当たり前だが、居心地は良くない。せっかくの会場に漂う異国情緒を楽しめるような雰囲気では無かった。元々、招待を断ると皇国に対して無礼だとか、アルステイン様が皇国に対して臆しているとか言われかねないから仕方無く来ただけなので、大使と新副大使に挨拶したらすぐ帰る予定だった。しかしまぁ、そう簡単にはいかない。
皇国の大使と副大使は挨拶を終えると早速アルステイン様に絡み始めた。何しろ絶好のネタがあったので。
「アルステイン将軍は婚約なさったのですか。しかしまた、なぜ男爵令嬢などと?」
大使は侮蔑も露わに言う。アルステイン様の顔色が変わったがむしろ大使の表情は挑戦的になる。
「卑賤な生まれの女を娶らずとも、幾らでも高貴な女と婚姻可能でありましょうに。物好きですなぁ」
副大使もあざ笑う。男爵令嬢を卑賤扱いは酷いな。帝国ではさすがにそこまで貶められた事は無い。皇国は帝国より女性の地位が低いらしい。女性は男性に従うのが当たり前という文化だと聞いた。帝国女性は捕虜になると戦利品として貴族に配分されるらしい。男爵令嬢あたりだと価値が低いのかも知れない。まぁ、私はそもそもそれどころの騒ぎじゃないけどね。
「卑賤な生まれの者は未来永劫、卑賤な血から逃れられ無いのです。そんな女と結婚しては将軍の血が汚れますぞ?止めた方が宜しいのでは?」
大使が更に挑発すると、アルステイン様の髪が怒りで逆立った。あ、マズい。ここでキレたらあちらの思う壺だ。私は慌てて一歩進み出る。大使と副大使が嘲りを隠さず私を睨み付けた。私はニッコリ笑って何でも無いかのように言った。
「卑賤な生まれの者は未来永劫、卑賤な血から逃れられ無いとおっしゃいましたか?」
大使はふん、と鼻で笑った。
「ああ、言ったとも。それがどうしたか」
私は頬に手を当て、首を傾げた。
「それは『聖典』に書いてあるのでしょうか?」
私の言葉に大使達が少し動揺した。異国人の私から皇国の「聖典」の名前が出てきたからだろう。
「聖典」とは、皇国の初代皇主が記したという、大女神から啓示や教えを記した本で、皇国では絶対視されているものである。聖典の教えと戒律を守る事は皇国人の常識にして義務なのだ。
私の言葉に動揺した大使だが、気を取り直して胸を反らした。
「ああ、そうだ。聖典にそう書いてあるのだ」
私は即座に言った。
「それは嘘でございますね」
「な、何?」
「私も聖典を読みましたけど、そのような事は一言も書いていませんでしたわ。逆に、第3章に『女神を信じる限り、人間は皆平等である』と書いてありますね」
大使の口があんぐりと開いた。副大使が驚きを隠さず言う。
「聖典を読んだと申したか!」
「ええ、屋敷にありましたから。言葉が古いから対訳辞書を使って読むのは大変でしたけど」
物凄く分厚い上に言い回しも難しくて読むには本当に苦労した。まぁ、内容は意外と面白くて、良い暇つぶしにはなったけど。
愕然と沈黙する大使達に構わず私は続ける。
「そもそも初代皇主様は羊飼い出身ですし、付き従った7人の高弟も大工やら漁師やら商人やらではありませんか。一人も高貴な生まれとやらの方はいらっしゃらないでしょう?」
「しょ、初代皇主様を愚弄するか!」
「なぜ聖典に普通に書いてある事を言ったら愚弄になるのですか?初代皇主様は弟子を諭してこうもおっしゃいましたわね?『生まれを恥じるのは無駄な事だ。大事なのはこれから何を成すかではないか』聖典の第2章を読んでみて下さいませ」
大使達の顔色が悪くなってきた。更に私は畳み掛ける。
「大使様?あなたは本当に聖典を読んだ事があるのですか?聖典の第1章の戒律に曰わく『嘘を吐くなかれ。特に神の教えを騙る者は呪われるべし』とあります。聖典の内容を騙る事はその禁忌に触れておりますわよ」
大使は今や真っ青な顔をして後退っていたが、苦し紛れに叫んだ。
「うるさい!生意気な女め!所詮、貴様等帝国人は大女神の恩寵から外れた異教徒に過ぎぬ!」
「ならば公爵でも男爵でもまとめて異教徒なのですから、卑賤も何もあったものでは無いではありませんか。それと、大女神の恩寵がどうとか言うなら、せめて異教徒の私より聖典を読み込んでから言った方がよろしくてよ?」
大使も副大使も死にかけの魚のように口をパクパクしている。そろそろ止めとくか。
「く、口から先に生まれた女め・・・」
「皆様、そうおっしゃいますわ。さて、アルステイン様、そろそろお暇致しましょう?」
「ああ、そうだな。大使殿、面白い夜会であったぞ」
アルステイン様は笑いを堪えながらそう言って、私達は踵を返した。大使たちは呆然と私たちが去って行くのを見送るしかないようだ。私達の護衛達は何だか胸が空いたような晴れ晴れとした表情をしている。エルグリアなどは満面の笑みで「流石は奥様ですわ」と喜んでいる。見ると、周囲の皇国の人達もざわめいて私達を見送っていたが、不思議と来た時よりも視線が好意的だった。何人かは私達に頭まで下げていた。なんだろう?何か原因があったかな?
出口に向かいながらアルステイン様が私の耳元に囁いた。
「これでイルミーレの名前がペグスタン皇国にまで鳴り響く事になるな。多分『帝国の緋色の淑女』とかいう異名付きで」
私は眉をしかめた。
「何ですかそれは。嫌ですよそんなの」
しかし、アルステイン様の想像したより酷い恥ずかしい異名付きで、私のとんでもない噂話がペグスタン皇国で広まっているのを知ったのは、かなり後になってからの事になるのだった。
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