17.公爵邸一日目
なんだか雲の上にいるような気分だった。自分の下や包み込むようにかぶさっている物の感触が無いようであるようで良く分からない。目が覚めて感じたのはそんな感覚だった。
目を開けても真っ暗だった。あれ?まだ夜?私はフワフワした物に手をついて上体を起こした。それでそのフワフワフカフカしたものがどうやら触ったこともないような素晴らしい布団である事に気が付いた。
見回すと、どうやら厚い天幕がベッドの周囲をしっかり囲んでいる事が分かった。だから暗いのだろう。というか、でかいなこのベッド。軽く3人は寝られそうな大きさがあるよ。
さて、どうしようか、と考えていると、天幕の外から声が掛かった。
「お目覚めですか?お嬢様」
「あ、はい」
と素で応えてしまう。危ない危ない。私はお嬢様。
「ええ、起きました」
「失礼いたします」
さっと天幕が開き、周囲が明るくなる。
「おはようございます。お嬢様」
若い侍女が頭を下げる。見覚えのある侍女だ。え~と、確か・・・。
「おはようございますミリアム」
私が呼び掛けるとミリアムは驚いたようだった。
「覚えておいでだったのですか?昨日自己紹介をした時にはもう半分以上寝ていらしたから覚えていらっしゃらないかと思っていました」
「昨日の事は覚えていませんが、以前の夜会の準備の時そう呼ばれていたのを覚えていたのですよ」
ミリアムは目を丸くした。彼女は19歳。髪の色は濃紺、瞳は青。伯爵家令嬢だが五女なので家の中の扱いが良く無くて公爵邸で働くことにした、というのはもっと後で知った情報だ。
ベッドから降りようとするとミリアムが止め、髪を梳かして寝癖を直してくれた。そして布で出来たサンダル?を履かせてくれた。
天蓋から出るとそこは10m四方くらいの広い部屋だった。壁の色は暗い青で、装飾されたなんだかフワフワした素材で覆われている。絨毯も同じ色で毛足は物凄く長い。部屋の中央にドーンとベッドがある以外は、ドアの傍に椅子が一脚あるだけの殺風景な部屋だ。ここが私の部屋なのかな?壁の一面はガラス窓で、壁に囲まれた小さな中庭に面していた。きれいな花が沢山咲いている。・・・花?
「こんな季節に花が?」
帝都へ向かっている途中で新年になっている筈だ。つまり今は真冬の筈。どうして花が咲いているのだろうか?
「この中庭は上がガラスで覆われていて、温室になっているのですよ。それで一年中花が楽しめるのです」
なんとまぁ。そういえば部屋の中も暖かく、なんだか薄い服(ネグリジェというらしい)を着ている私でも寒くない。だがミリアムは慌てて暖かなガウンを着せてくれる。
するとドアがノックされた。
「はい」
「入ってもよろしいでしょうか」
エルグリアの声だ。
「どうぞ」
「失礼いたします」
エルグリアが入って来た。きれいに一礼する。
「おはようございます。お嬢様。お加減はいかがですか?」
「おはようございます。良く眠れましたわ。良いベッドで疲れも消えました」
「それはようございました。それではお召し替えを致しまして、朝食にいたしましょう。こちらへどうぞ」
と私を促しながら部屋を出て行く。?着替えのために部屋を出るの?私は不思議に思いつつも部屋を出た。
「うわっ!」
思わず上品でない声が出てしまった。部屋の外は廊下では無く巨大なお部屋だった。30mくらいの奥行きと20mくらいの幅があり、長い方の一面が全部ガラス窓だった。天井も私の身長の三倍くらいの高さがある。さっきの部屋とは打って変わって明るいベージュを基調に豪奢な装飾がこれでもかと施され、床には美しい文様の描かれた柔らかいカーペット。壁には様々な絵があちこちに掛けられていた。
大きなテーブルとベッドと見まごうばかりのソファーで構成された応接セット。瀟洒なティーテーブル。デスクや本棚、大きな姿見を含む化粧台、その他多数の家具。どれもこれも豪華豪華。下働き時代の私なら触る事も許されないような代物ばかりだ。
ガラス窓の向こうは絶景だった。下には輝く帝都の街並み。向こうに城壁。その向こうの広がる田園地帯まで一気に一望出来る。特に今日は良く晴れているので遠くまで見通せた。
は~。私が驚きのあまり立ち尽くしていると、エルグリアがクスクスと笑った。
「驚かれましたか?」
「驚きました。本当に。このお部屋が、このお屋敷のリビングルームなのですか?」
私が言うと、エルグリアはきょとんとした顔をした。
「何をおっしゃるのです?こちらはお嬢様の私室ですよ?」
は?私室?さっきの部屋が私室なんじゃないの?
「あちらはお嬢様の寝室でございます」
私室がリビングと寝室に分かれているのか・・・。しかもこんなに巨大なお部屋なのに。私が喜ぶどころかドン引きしていると、エルグリアはそのまま部屋を突っ切り奥の扉を開けた。
「こちらがお嬢様の支度部屋でございます」
まだ部屋があったよ。そこはいわゆる衣裳部屋で、ドレスを掛ける場所が部屋を巡らせるようにしてたくさんあり、一面には巨大なタンス、靴箱。中央には姿見、化粧台が設置されている。
部屋は大きいが衣装は意外と少なく、20着くらいしかない(いや少なく無いな。部屋が大き過ぎて少なく見えるだけだ)。私が意外に思っているとエルグリアが項垂れた。
「衣装が少なくて申し訳ございません。お嬢様のお好みが分からないので、私の見立てでとりあえずこれだけ仕立てさせました。今日にでも仕立て屋を呼んでお好みの衣装を沢山仕立てさせます!」
お気になさらずにー!と声に出さずに叫んでおく。そんなにいらないよ衣装。今までは私服なんて二着しか持っておらず、ほとんどお仕着せで生活していたんだし。貴族商人生活も、モラード男爵の奥様から借りた5着のドレスをローテーションしてずっと着てたんだから。
とりあえず今日は外出の予定が無いという事で、室内着だという山吹色のドレスを着せてもらう。室内着でもドレスなのか。さすがにコルセットまではしなかったが。靴もヒールは低いがしっかりした細身の靴だ。髪も入念に梳かし、ハーフアップに結ってくれる。軽く化粧をして準備完了だ。30分は掛かった。お嬢様は朝から大変だ。出掛けないのにこれなら社交に出る時は・・・。この間の4時間コースが普通だとは考えたくないな。
着替えが終わるとダイニングに向かう。これもどうやら私だけが使うダイニングのようだ。お隣だもの。ちなみに、この後知ったのだがこの部屋には今まで見た以外にもトイレ、風呂場がある他に「お嬢様専用の」図書室、書斎、談話室がリビングに隣接してる。屋敷としてのそれらは別にまた大きいのがあるのだという。
ダイニングは大きな窓に面した10m四方くらいの部屋に大きな大きなテーブルが鎮座している。テーブルは真っ白で巨大なテーブルクロスで覆われている。洗濯が大変そうだなぁ、と下働きに同情してしまう。用意されてる椅子は一つだけで、もちろん私が座る分だ。来客があれば増えるのだろう。
ふと、不思議に思って私はエルグリアに聞いた。
「公爵様がお帰りになったらご一緒に食事をする事になるでしょう?その時はどこで食事をするのですか?」
「お二人共用のスペースがございます。そちらのダイニングの一つを使用します」
「・・・一つ?」
「ダイニングは一つではございませんので」
訳が分からないよ。食堂がなぜいくつも必要なの?と心から突っ込みたい。
椅子に腰掛けると早速料理が出てきた。籠に入った焼きたてのパン。クリームスープ。サラダ。茹でた卵に何やら掛けたもの。飲み物はグラスに入って数種類並んでいる。ふむふむ。美味しそう。私は給仕してくれるエルグリアにパンを取ってもらうと早速食べ始めた。うわ、何このパン。口の中で溶けるんですけど。スープに漬ける必要無いわね。スープも美味しいわー。サラダには柑橘系のドレッシングが掛かっている。卵も良く分からないけど美味しい。
なるべく上品に食べ終える。流石に公爵邸。今まで食べた料理の中でぶっちぎりで一番美味しかったわ。と満足してながらテーブルを見ていて気が付いた。あれ?そう言えばカトラリーがまだ沢山ある?
と思ったらスープの皿が下げられ、新たな皿が置かれる。多分、魚料理。へ?まさかこれがメイン料理?いや、しかし、並べてあるカトラリーは4列くらいある。まさか・・・。
「・・・エルグリア」
「はい?何でございましょう?」
「あと何皿出てくる予定ですか?」
エルグリアが不思議そうな顔をしながら言った。
「こちらが前菜でメインが魚、肉。デザートが二皿です。ご希望があれば承りますわ?」
マジか。朝からまさかのフルコース料理だった。
私は元々食が細い。既に殆ど満腹だ。そんなに出されてももう食べられない。
「エルグリア。私、もう満足ですから、残りの料理は出さなくて結構です」
すると、エルグリアは困惑の表情を見せた。
「お嬢様、食べられないならお皿が出された後にカトラリーを皿に乗せて頂ければそのまま下げます。お嫌いなものも同じように」
勿体ないじゃない!とは言えない。私お嬢様。全く食べ無いのも料理人に対して失礼かと思って、各皿一口づつは口をつけた。・・・より勿体ない感が・・・。しかも食べ過ぎて気持ち悪くなりそうだ。最後に出てきたお茶を飲みながらエルグリアに頼む。
「私は食が細いのです。次から料理はもう少し減らしてもらえますか?」
「今のように食べられるだけ食べて頂ければよろしいのですよ?」
「出されると頑張って食べてしまい、お腹を壊してしまいます。ですから、お願いします」
エルグリアは不可解だという顔をしていたが了承してくれた。
朝食を終え、トマスと今後の打ち合わせをするために、エルグリアの先導で自室を出る。トマスは男性なので私の部屋には入れないからだ。大きな天窓があるため明るい廊下を少し歩き、ドアを潜る。何の部屋なのだかもはや分からないがここも豪華な部屋だ。トマスが頭を下げながら迎えてくれる。
「ご足労頂きまして申し訳ありません。お嬢様」
ご足労という距離でも無いから気にしないで、とは言わずにニッコリ笑う。程良く歩いお腹がこなれてむしろ助かったわ、とも言わない。
ソファーに座ると正面に立ったままトマスが話始める。私だけ座っているのは居心地が良く無いんだけど。
「まず、既にそうお呼びしておりますが、イルミーレ様には申し訳ありませんが『お嬢様』とお呼びさせて頂きます。旦那様と正式なご婚礼を上げられましてから『奥様』となります」
何が申し訳無いのか良く分からないけど頷いておく。
「それから、旦那様からのご依頼でお嬢様にご教育を受けて頂く事になっています」
「教育?」
「はい。宮廷儀礼を身に付けておいて欲しいとの事でごさいます」
おおう。宮廷儀礼ときましたか。確かに公爵夫人ともなれば宮廷に上がる事もあるんでしょうからね。
「それと、帝国の地理や歴史を覚えて欲しいとの事です」
それも確かに必要ですね。でも・・・。
「何かごさいますか?」
「私が受けたい教育も受けさせてもらえませんか?」
「?何でございましょう?」
「字の読み書きを教えて下さい」
「は?」
トマスが目を丸くする。
「私、字が殆ど読めないのです」
「そ、そうなのですか?」
トマスはうーんと考え込む。
「では、私がご教授いたしましょう。帝国の内情については私がお教えするつもりでしたので、一緒に」
「お願いしますね」
トマスはメモに目を落とし、続けた。
「お嬢様には一か月後に皇妃様主催の園遊会に出て頂きます」
私は思わず固まった。
「皇妃様と聞こえましたが」
「はい。皇妃様主催の園遊会でごさいます。昼間に開催され、女性だけしか出席せず、皇妃様のお招きで断れないため療養中のお嬢様が病を押して出席した、という形を取り易いため、初回の社交に相応しいと思われます」
理由は分かりますけどね。皇妃様って・・・。
「勿論、私は公爵様の婚約者として出席するのですよね?男爵令嬢としてでは無く」
「勿論でごさいます。皇妃様は公爵様の義理の姉になりますので、当然ご挨拶して頂かなければなりません」
うぐぐぐ。最初の社交にしては重大過ぎるんじゃないかしら。公爵様と無事結婚するためには皇帝陛下に認められなきゃいけないんだから皇妃様の心証を悪くする事は絶対に避けなければならない。重大ミッションだ。
「分かりました」
トマスとの話を終え、部屋に戻る。教育は明日からだそうなので、とりあえず今日はお休みだ。と、思っていたら、部屋に戻ったら仕立て屋が待機していた。そう言えばエルグリアが呼ぶって言ってたわね。
仕立て屋が私の寸法を計り、主にエルグリア他侍女達が盛り上がってドレスや靴や小物の発注をする。私は貴族ファッションに詳しく無いからほうほうと聞いているだけだ。好きな色くらいは言ったが。
ドレスの発注で午前中は埋まり、またもフルコース料理の昼食を食べる。頼んだ通りかなり少なくしてくれていたが、それでもまだまだ多い。完食はとても無理だ。
食事を終え、リビングに戻りエルグリアが淹れてくれたお茶を飲んでいると、トイレに行きたくなってきた。確かトイレはあのドアだったわね。
私が立ち上がると侍女たちがビクッとした。え?何?
「どうなさいましたか?お嬢様?」
「え?ト・・・」
あ、ダメだ。トイレのお嬢様的な・・・。
「ちょっと、お手水に」
「お待ち下さい」
侍女が急いでトイレに向かい、何やらやっている。?何だろう。
「お待たせいたしました。どうぞお嬢様」
・・・何だろう。
しばらくソファーにやることも無く座って外の景色を見ていたが、飽きてきた。確かそのガラス戸から外の庭に出られるんだよね?散歩しよう。
私がよいしょと立ち上がると、またも侍女達が驚いた。
「どうかなさいましたか?お嬢様?」
「あ、お庭に出てみようかと・・・」
「お待ち下さい」
侍女達が慌ててガラス戸から庭に出て行く。・・・これは、あれだ。私は傍に控えているエルグリアに聞いてみた。
「エルグリア、もしかして、私は何かする時は事前に伝えた方が良いのですか?」
私の困惑が伝わったのだろう。エルグリアがハッとしたような顔をした。
「あ・・・、そうなのです。帝宮での慣習で・・・。お嬢様がご存知無い事に気が付きませんでした。申し訳ありません」
そりゃ知らないよ。でも、この家の決まりなら守らないといけないわよね。
因みに、何かしたい事があったら侍女に耳打ちするか「少しお茶を飲み過ぎてしまったわ」とか「お花は綺麗に咲いているかしらね」などと遠回しに言うと、侍女達や護衛が先に不手際や危険が無い事を確認してくれるのだという。物凄く迂遠で面倒だが、皇族の方の安全確保のためには必要な事なのだろう。
ガラス戸から外に出て、広い「お嬢様専用」庭園をお散歩して本日は終了だ。当たり前にフルコースのディナーを食べ、お風呂に入れてもらいマッサージまでしてもらい、寝室のヘッドに横になると侍女達がきれいに揃ったお辞儀をして「お休みなさいませお嬢様」と言ってくれた後、天幕を下ろしてくれる。ちなみに必ず一人が寝ずの番をしてくれて部屋の入り口で一夜を明かすらしい。
物凄く疲れた。
初日でこれでは先が思いやられる。これが一生続くなら慣れるしか無いんだろうけど。何もかも公爵様と一緒になって歩むためだ。
それにしても、公爵様はいつ帰って来るのかしら。早く帰って来ないかな。お会いしたいなぁ・・・。などと考えながら、私の意識はまた雲のような布団に吸い込まれていった。
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