三章 公爵様の婚約者
16.帝都への旅と公爵様の家臣たち
王都を出た馬車はそれほどスピードを出さずに進んだ。速度が遅かったせいか、あるいは御者の腕が良いのか、揺れも少なく快適だった。柔らかいクッションと暖かな毛布やひざ掛けもあったし。ただ、王都を出るまでは窓にカーテンを引くように御者に言われていたし、王都を出てからもあまり大きく開けて外から見られないようにとの注意があった。景色が見られなくてつまらない。
車内は一人。やる事も無い。やる事が無いと考えてしまう。私は本当に公爵様と婚約したんだろうか?したんだよね。私は自分の左手薬指に嵌まっている大きなエメラルドの指輪を見た。公爵様の瞳に合わせたのだろうその指輪。冗談でくれるには高価過ぎる代物だ。
でも、公爵様と本当に結婚出来るのだろうか。公爵様は楽観視していたけど、70年程前にあった特殊な一例しか無いような事は前例とは言えないだろう。帝都で社交界に出れば分かるけど、公爵から伯爵までの上位貴族と子爵以下の下位貴族では大きな差があるのだ。その差を乗り込えての結婚が簡単では無い事くらい私にも分かる。
ましてや私は外国人だ。フレブラント王国の貴族という事にはなっていても、外国の貴族籍を帝国貴族が同等の物と認めるのかどうか。ちなみに前回の私達はそもそも貴族商人として行っていたのでハナからまともな貴族扱いされて居なかった。貴族風商人という感じで最初は下位貴族からも下に見られていた。途中から懇意の貴族が増えてあからさまに嘲られるような事は無くなったけど。まして上位貴族からもてなされるような事は公爵様が贔屓にして下さらなかったら有り得なかったのだ。
しかも私はそんな下位貴族以下の状態で公爵様と帝国社交界を舞台にラブロマンスを演じた挙句、公爵様が計画した公開プロポーズで盛大にやらかしている。公爵様のプロポーズに返事が出来ずに気を失った訳で、断った訳では無いのだが、即座にOKの返事が出来なかった時点でアウトなのだ。その事を帝国の威信に泥を塗ったと怒っている貴族もいるだろう。
問題は山積みね。私は一人溜め息を吐いた。
しかし私はこの時既に、私も公爵様と結婚したい。公爵様の妻になりたい。と思っていた。そのためには、ありとあらゆる努力をして全力を出して頑張ろうと決意していたのである。あの方の隣にいるのは私でありたい。私で無きゃ嫌だ。私も公爵様が大好きなんだから。
帝都までは10日の旅だった。何しろ私の存在を隠さなければならないので宿は取れず、全て野宿の旅になった。もっとも、前回帝都から逃げ帰って来た時のように、碌に身も清められない着替えもままならない、寝るのは馬車の中というような過酷な野宿では無く、野営の時間になるとどこからともなくワラワラと人がやってきて、快適な天幕を張ってくれて、食事を作ってくれて、天幕の中に暖房と寝床とお湯を用意してくれる至れり尽くせりの野宿だった。何も手伝わせてもらえず、申し訳ないくらいだ。
ちなみに着替えは、なぜか王都の部屋に残していた筈のお仕着せや数少ない私服、下着類が全て持ち出されて馬車に積んであったので困らなかった。いつの間に。嬉しかったのは帝都で買った髪飾りがちゃんとあった事だった。でも誰が枕の中に隠してあったこれを見つけて持ってきてくれたのだろうか?
しかしながら旅の途中、私はずっと独りぼっちだった。御者は無駄な口を利かず、話し相手になってはくれなかった。野営の準備にどこからともなくやってくる人も一切口を開かない。移動中は馬車の中でひたすら独り。ガラガラ煩い馬車の中で独りでジッとしていると気がどんどん滅入ってくる。嫌な事も色々考えてしまう。公爵様のお屋敷で使用人にいじめられたらどうしようとか、公爵様が王国で何か危険な目に遭ってはいないかとか、公爵様がもしかして私以外の素敵な女性と出会って私との婚約を後悔していやしないかとか、実は公爵邸に行くというのは嘘で牢屋に入れられるのではないか、とか。埒も無い事がぐるぐる頭を回る。
終いには完全に気鬱になってしまい、馬車の中では座席に横になり、野営で食事は食べられず、夜もあまり眠れない有様になってしまった。ぐったりしながら旅する事数日。馬車はようやく帝都ヴァルシュバールに到着した。
遠くに帝都が見えると少し気分が上昇した。再びあの壮麗な帝都を見る事が出来るとは思わなかったなぁ。街の様子も見たかったが、御者にカーテンを閉めるように言われたため見られなかった。仕方が無い。薄暗い馬車に揺られる事さらに数時間。何かやり取りが合って馬車は緩い坂道を登り始めたようだ。公爵邸に着いたのだろうか。
馬車が停まり、ドアが開けられる。私は御者にエスコートしてもらうと馬車を降りた。
「うわ・・・」
思わず声を上げてしまうほど美しかった。公爵邸の車寄せの雨よけは半球形のドーム状で、一番上の明り取りの天窓から夕刻のオレンジ色の光が降り注いでいた。それが大理石で舗装された床や柱を染め上げて、あたかも神殿に迷い込んだかのような荘厳な空間を形作っていたのだ。そしてその奥にある巨大な白い扉は大きく開かれており、その前に数人の使用人が並んでいた。
私は御者に道中のお礼を言うと、使用人が並んでいる方に歩いて行った。勿論、細心の注意を払って優雅に高貴に見えるように。私はいずれここの奥様になるのだ。礼儀作法がなってなくてバカにされる訳にはいかない。もっとも、この時の私の格好はボロボロのお仕着せなので、威厳などあったものでは無いと思うが。
私が近づくと、銀灰色の髪をした一人の男性が進み出て、胸に手を当ててしっかりとお辞儀をした。
「お帰りなさいませお嬢様」
「お帰りなさいませ」
残りの使用人もビシッと揃ったお辞儀をする。は~、さすがに公爵様の所の使用人は礼儀作法からして違うわね・・・。
私はそれを受けて、目下の者に向ける淑女の礼をした。スカートをつまんで軽く膝を沈めるだけで頭も下げずに目も伏せない。しっかり使用人たちを見ながら微笑みながら言う。
「お久しぶりですね。皆さま。女神のご加護により皆様との再会が叶いまして嬉しく思います」
私を見て使用人たちが息を呑んだ。あれ?何か間違ったかな?変な事はしていないと思うけど。
「女神に感謝を。私はトマスと申します。この公爵家の家令を務めております。以降、よろしくお願い致します」
銀灰色の髪をした男性が名乗った。年の頃は50歳前後で背は公爵様程では無いが高い。黒い燕尾服をかっちり来たダンディなおじさまだ。
「トマスとおっしゃるのですか。この間は大変迷惑を掛けたと聞きました。私を助け起こして下さったそうですね」
「!?覚えていらっしゃったのですか?」
「公爵家の執事と思しき方が公爵様の代わりに助け起こしてくれたとお兄様から伺いました。これからよろしくお願い致します」
続いて侍女服を着た30代くらいの女性が進み出て来た。髪の色は鈍い金髪。青い大きな瞳をした中々の美人だ。
「女神に感謝を。私はエルグリアと申します。侍女長を務めております。私が主にお嬢様に付かせて頂きます」
「ああ、この間はお世話になりました。エルグリア。着付けの時に色々監督して下さったでしょう?あなたのお陰で助かりました」
「!?え、いえ。勿体ないお言葉です」
恐縮するようなエルグリアを見ながら、私は思わず首を傾げる。う~ん。これは聞いておいた方が良いのかな?
「トマス、ちょっと伺いたい事があるのですが」
「?なんでございましょう」
「トマスも、エルグリアも、私よりもずっと身分が上の方ですよね?」
トマスが目を丸くする。
「どうしてそうお考えですか?」
「帝国では銀や金の髪の方は身分が高い傾向がございますし、公爵家の家令と侍女長なのですもの。位が高い貴族でもおかしくはないと思ったのです」
帝国社交界で見たところ、おそらく帝室との血縁がある家系の方が高い爵位を持っているからだろう、侯爵伯爵には髪の色が銀か金の人が多かった。帝室は公爵様見れば分かる通りキラキラした銀色だもの。
そして貴族の家や兵部省でも使用人の中でも侍女や従卒といった表に出る役職の人は良家の子女がなるものだった。なら公爵家クラスになれば貴族が務めてもおかしくはない。なら家令のトマスや侍女長のエルグリアは当然高い家格の貴族だろう。
「私より位の高い方が男爵令嬢である私に仕えるのは不快ではないか?と気になったのです。そうであれば私に付く方は私より身分の低い方にして頂ければ、と思いまして」
まぁ、本当は平民の私より低い身分の人はここにはいないと思うけどね。気持ち良く仕事をしてもらうには不快感を我慢してもらいたくないのだ。
「・・・確かに、私は伯爵の位をもって帝国に遇されております」
わーお。上位貴族だった。さすが公爵家。後で聞いたがエルグリアも伯爵家夫人。他の侍女も最低でも子爵家出身だった。男爵以下いないじゃん。
「しかし、お間違え無きよう。お嬢様は男爵令嬢ではなく『公爵様の婚約者』としてここにお出でです。その時点で私達よりも上位になるのです」
トマスは私の左手の指輪を示して言った。この指輪をした瞬間、私は男爵令嬢というだけでなく公爵様の婚約者という公的身分を得たことになるらしい。
「この公爵家にそのような不心得者はいないと信じておりますが、もしも身分を理由にお嬢様に無礼や無体を働く者がおりましたら何時でもおっしゃって下さい。すぐにクビに致します」
トマスはきっぱりと言い切った。
「私も旦那様がお選びになったお嬢様に、誠心誠意お仕えいたします!どうか何でもお命じ下さいませ!」
エルグリアも勢い込んで言ってくれる。なら、私も気にしないでいた方がお互いに良さそうね。
「分かりました。ありがとう。トマス。エルグリア」
挨拶が済むと私はトマスに先導されてお屋敷の中に入った。エントランスロビーはもう表現が追い付かないような規模だった。兵部省の寮がまるっと入ってしまう広さと高さに贅を尽くした装飾の数々。そこここに彫像が飾られているが、あれは神の像だろうか。
ただ、人が少なくてがらんとしている。まだ時間は早いから、使用人がもっと沢山働いていてもおかしくは無いのに。この屋敷の規模からしたら100人以上の使用人がいる筈だ。
「人が少ないのですね?」
私が問うと、トマスは少し声を潜めるようにして答えた。
「お嬢様はお部屋で臥せっている事になっておりますから。今日はこの辺りから使用人を遠ざけております」
え?その設定お屋敷の中でも有効なの?トマスとエルグリア、それと私付きの侍女数人だけしか今日私が来ることを知らないのだそうだ。・・・えー、私、病弱演技でもした方が良いのかしら?
そしてそのまま広い階段を上がって上の階に行く。先導しているトマスが言った。
「今日はお疲れでしょうからこのままお休み下さい。詳しいお話は明日させて頂きます」
それは助かる。正直、歩きながら頭がフワフワしてきた。漸く公爵邸に到着したという安心感でここ数日の寝不足が噴き出したのか眠くて仕方が無い。後ろを歩いていたエルグリアが私を支えるようにしながら言う。
「まだ我慢してくださいお嬢様。さすがに湯浴みをせずにベッドに入って頂く訳には参りません」
そうね。私お仕着せだしね。
しかし、部屋に入る頃には頭の中は半分寝てしまい、お仕着せを剝ぎ取られてお風呂に入れられる頃にはもう支えられないと立っていられなくなっていた。
「頑張ってくださいませお嬢様」
「ふあい・・・」
お風呂で身体を洗われ、出て身体と髪を拭われる頃にはもう完全に寝てしまい、何か服を着せられ、エルグリアとあと何人かの侍女が担ぐようにしてどうやらベッドらしきフワフワした所に乗せてくれたのを夢現に感じる有様だった。私は「お休みなさいませお嬢様」という侍女たちの声を遠くに聞いたのを最後に、完全に意識を消失した。
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