第二章
1 砂羽と彩香
砂羽と彩香は、鎌倉にある女子大の同じ教育学部に通う二学年生であった。
たまたまゼミが同じという事で知り合い、気が合ったことから親友関係になるもの早かったのである。砂羽は、両親から深い愛情をもって育てられたらしく、明るい性格で物事にこだわらない大らかさを持っている。彩香には、自分にはないそんな性格が羨ましく思え、友達の中でも特別な存在であると考えていた。
今から、二週間前のことであった。
砂羽の両親が不在であったことから、気兼ねなくおしゃべりが出来るという事で、彩香は、砂羽の家に招かれたのである。砂羽の家は、桜木町近くの『紅葉坂レジデンス』であった。彩香の住む鎌倉は、自然豊かで静かな街ではあるが、華やかな都会の雰囲気を持つこの街の環境も心躍らせるものがあった。。
「砂羽は、良いな。あんな優しそうな母親がいつもそばにいてくれて……」 彩香の口ぐせである。
「彩香は、ない物ねだりじゃないの? あーしろこーしろって、うるさいだけだよ。
外で働いたことのない母親ってさ、子供の幸せが自分にとっての一番の幸せみたいでね、ある意味,もっと外のことに関心を持ったらどうかって思うこともあるよ」
「そうなのかな……。私なんて、物心がついた時には、あの人の帰りがいつも遅くて…、可愛がってくれた記憶は少しは残っているけど、ベッドから起きた時にはもういなかった。たまの休みの日も、親父と言い争っていた記憶しかないな……」
「彩香と親父さんとの仲は、どうなのさ?」
「親父は、簡単に言うといい人なんだ。家庭的な人?。自分の仕事とかよりも、まず家族を大事にしてくれる人かな」
「ふ~ん、そこは、うちとは違うところだね。親父は、出世第一って考えてるみたい。収入を増やして家族にいい暮らしをさせるのが、家長の務めみたいなね」
「砂羽の家ってさ、ある意味バランスが取れてるっていうか…、適材適所だよね」
「そうかも知れない。だから私みたいな人間が出来上がった? 笑える~‼」
「じゃあさ、成宮家はバランスが悪くて、こんな娘に育たって砂羽は言うの?」
「そうじゃないよ! 彩香は、立派に育ってるって! そこは、私の親友だもの!」
「ありがとう、ご・ざ・い・ます! 私の親友さん!」
「ねえ、彩香、ランチ食べに行こう! 美味しいイタリアンで親父の付けのきくお店が近くにあるんだけど…」
「いいわね。ぜひ連れてって!」
その店は、坂の上のリストランテとして知られている『マンジャーレ』であった。
結婚式場伊勢山ヒルズの併設レストランであり、アフタヌーンティーを目当てに訪れる客も多い。ちなみに『mangiare』とは、イタリア語で『食べること』を意味するらしい。
彩香たちは、『ランチメニュー』の中でも一番価格の安いものを頼んだ。現役の女子大生にとっては、これでも充分豪華な食事と言えた。
「ほんとに美味しかったわ。砂羽って、いつもこんな豪華なランチしてるの? 」
「ううん、そんなことないの。 誕生日とか、何かの記念日の時だけだよ。それも、パパが同席していることが条件ね」
「へえ、そうなんだ。でも、羨ましいわ」
彩香と砂羽は二人して、最後にティラミスとコーヒーをウエイターに頼んだ。
運ばれて来る時間を利用して化粧室に立った砂羽が、フリーペーパーを手に戻って来た。
「ねえ、彩香、この『very』っていう情報誌がフロントに置いてあったんだけどさ、見たことある?」
「ううん、ないけど…」
「この人って、もしかして、彩香のお母さんかなと思ってね…」
砂羽は、ページを中程までめくると、彩香の顔の前に差し出したのである。 タイトルは、『横浜で活躍する最前線の女たち』であった。
女性司会者を中心にした各分野で働いている5人の女性たちによる座談会形式の特集記事であり、5人の顔写真が並ぶ中、偶然にも顔立ちが彩香に似た女性に目が留まったのであった。
「綺麗な人だね。彩香もある程度年取ったらこんな感じかな……。」
「嘘だよ、そんなことありえない。あの人が載ってるわけないよ!」
「だって、似てるよ。決して大きくはないけど、理知的な目の雰囲気とか、鼻筋が通っているとことか……」
彩香は、情報誌を砂羽から奪い取ると、素早く目を走らせた。
記事の右端には、女性たちのプロフィールが書かれている。
『成宮綾乃 警察官 現在加賀町署強行犯罪係リーダー 役職警部補 職歴18年
女性警察官のパイオニア的存在 強行犯罪を絶対許さないという信念の持ち主』
「だって、成宮って、書いてあるよ。名前は綾乃だし、絶対間違いないよ」
「………、この人を、お母さんなんて認めたくないわ!」彩香は、拒んだ。
「どうしてそこまで、お母さんを恨むのか…、私には分からないけど…」
「砂羽は、立派な両親に育てられたんでしょ? …、分かるわけなんかないよ」
「じゃあさ、立派なんて誰が決めるの? 例えそうだとしても、全部の子供たちが立派な人間に育つというのかしら? 親から生命を与えて貰えただけでも、私は感謝するな。ある程度育ててもらったあとは、自分の努力次第なんだから……。 彩香は、卑屈になる必要なんてないと思うよ。こうやって頑張って、大学生までなったんだから。お母さんに会って、ありのままの今の姿を見せてあげたらどうかな…。
きっと、喜んでくれると思うよ」
「砂羽ごめんね。今日これで帰るから…」
彩香は、砂羽の制止も聞かず店を飛び出していた。砂羽の言葉が心に響いていたかのようにも見える。正直、かつて母の選んだ道が、今となって少しずつではあるが理解出来るような気もしていたのだ。しかし、素直に受け入れられない自分もいた。父親が苦労しながらも、自分を育ててくれたことに対する恩義であろうか…。
いくら考えても、気持ちの整理が付かなかったのである。
2 そして、紳士との遭遇
「お嬢さん、少しお話をしてよろしいですかな?‥・」 「あっ、はい…」砂羽は、返答に困った。
「たまたま、あなた達の会話が耳に入ってしまいましてね・・・」 隣の席で食事をしていた小柄な紳士であった。50代後半のように見える。背の高い秘書と思われる中年の男も一緒である。
「・・・、私にもあなた達と同じような年齢の娘がおりましてね。自分たちの恵まれた環境が当たり前のものだと勘違いをしているのですよ。二親が揃っているのが当然のようにね。私はあなたの意見に賛成ですな。砂羽さんと言いましたかな。 差出がましいとは思いますが、実は、彩香さんのお母さんを良く知っておりましてね。確かに、雑誌の特集に取り上げられるような立派な人ですよ。
ただ、私が危惧していることは、非常に危険な仕事をされているということですな。
会いたいと思った時には、すでに遅かったと、そんな後悔を彩香さんにさせたくはないと思った次第なのです。
世の中は、『諸行無常』です。勇気をもって、前に進むことが必要な時もある。
失礼、あなたには余計なことを言ってしまいましたかな。
そこで、彩香さんとお母さんとの親子対面を実現するために、一肌脱いで差し上げたいと思うのですが、いかがですかな。砂羽さんは、どう思われますか?」
「……、口では会いたくないようなことを言っていましたが、正直お母様と会うことが出来れば彩香も喜ぶとは思いますが……」
「そうですか、良かった。後の段取りは、わたしに、任せてもらえますかな?」
「はい、よろしくお願いします」
「そうだ、あなたの名前と、学校名を聞いておこうかな」
「はい、麻生砂羽で鎌倉女子大の二年です」
「そうですか、では、またお会いしましょう。お近づきの印に、ここのお支払いは私が・・・」
「いえ、そんな~」砂羽は、紳士の思いがけない提案に驚いた。
紳士は、ウエイターに目くばせをすると、砂羽たちのテーブルにあった請求書が回収された。そして、玄関前で支配人を始めウエイター全員に見送られると、紳士は黒い高級車に乗り込み、砂羽に向かって軽く手を上げると走り去って行った。
あっけにとられたのは、砂羽本人である。そばにいたウエイターの一人に聞いた。
「あのオジサマ、どなたなんですか?」
「それは・・・、大事なお客様ですが、お名前を申し上げる訳には・・・」 男は砂羽の急な質問に、言葉を濁した。
3 そして、二階堂へ
事件の起きた夜、綾乃は一睡も出来ずに朝を迎えることになった。
砂羽の拉致に彩香がどのように関わっているのか、考えるほどに頭は冴え、眠りは遠のいて行ったのである。
砂羽の親友として、真相を知っている可能性もあった。
このような形で、偶然にも彩香との再会の機会が訪れることなど、考えてみたこともないことであった。
早朝から二階堂に向かった。七里ガ浜を右に見て走っていると、始発の江ノ電が現れ再び並走する形となった。しかし、手を振る少女は現れず、何事もなかったように綾乃のレンジローバーを追い越して行った。
タイムリミットまで、すでに61時間を切っている。
朝比奈切通に向かう道を『岐れ路』交差点で左折すると、鎌倉宮に突き当たる。
『岐れ路』とは、鎌倉時代に由来する名であるらしいが、当時は縁起でもないと、成り立ちを調べる気も起きなかった記憶が、突然蘇って来た。
再び左折をすると、その先に懐かしい彩香と暮らした家があるのだ。道が狭いため、綾乃は手前の有料駐車場にレンジローバーを止めることにした。
目の前に現れる景色は、ほとんど当時の姿のままで、綾乃を迎えてくれている。 目的の家が近づくごとに、綾乃は、刑事の顔になっていった。
「ごめん下さい。早朝から失礼します。わたくし加賀町署の成宮と申しますが…、
彩香さんのことで、少しお話が…」
綾乃は、インタフォンを押すと来訪を告げた。
「・・・、何だって? なるみや? 綾乃か? ちょっと、待ってくれ!」
成宮真治の慌てた様子が、インタフォン越しに伝わってくる。真司が玄関口に顔を出すまで、5分はかかった。
「どうしたんだ? 綾乃?」真治の第一声であった。
「久しぶりね。元気だったの?」真治の顔を見たとたん、綾乃の警察官としての仮面は剥がれ、元妻としてのむき出しの綾乃がそこにいたのだ。
「あなたは、少しも変わっていない。あの時のままだわ…」
「いや、随分変わったさ、歳も取ったしな。それより、綾乃どうした? 疲れた顔をしてるぞ」
「そう? 私も歳をとって、お化粧の乗りが悪くなったせいかな?」
綾乃の冗談も、冷たい笑いになった。
「・・・、綾乃も頑張っているみたいじゃないか。この間、たまたま綾乃のことが書かれていた特集記事を読ませてもらったよ」
「ああ、あれね。少し、持ち上げすぎよね。恥ずかしくなるくらいだわ」
「今となっては、あの時の綾乃に謝らなければいけないな。俺がもう少し理解を示していれば、別れることもなかったかも知れないのに・・・」
「今更いいわ。あなたのせいじゃない。世の中の仕組みが女性の働き方に追いついていなかったんだから、10年前と比べれば、少しは良くなったかも知れないわ。
真治には、感謝してる。彩香も立派に育って、大学に通ってるのだから……」
「いや、俺には当時から、社会の中で出世しようとか、そんな野心はなかったことだし、子供の成長が一番の楽しみでもあったんだ。いまなら男が家にいても不思議な事ではなくなってきたよね。そういう面では、あの特集記事はタイムリーだと思っているんだ」
「ところで、彩香がどうしたって?」
「玄関に靴があるけど、彩香まだ寝てるの?」
「いや、彩香は友達の家に泊まって来ると言って、今は家にいない」
「なんてこと! その友達の名前は分かる?」
「確か、麻生何とかさんと、言っていたと思うけど・・・」
「分かったわ。私、すぐに署に戻らなきゃ!」
「どういうことだか、俺にはさっぱり理解できないんだけどな。説明してくれよ」
「今は、時間がないのよ。落ち着いたらね」
「分かった。今度三人でゆっくり会おう。彩香も少しは、世の中の仕組みというものが分かって来たみたいだし・・・」
「そうね…」
玄関を出ようとして、踵を返した綾乃の背中に聞こえて来た声があった。
「真司、こんな早くから、だれかお客様?」
その声は、明らかに媚を含んでいる。
「いや、道を尋ねて来た人だよ。もう、帰ったから・・」
『道を尋ねて来た人』という、真治の言葉が、深く胸に刺さった。
そう、わたしは『迷い人』なんだと、綾乃は速足で車に戻りながら思う。 綾乃は、レンジローバーに乗り込むと、思い切りアクセルを踏んでいた。
4 指紋照合システム
横浜新道は、思ったより渋滞していた。通勤時間帯に巻き込まれたせいで、加賀町署に着いたのは、9時過ぎであった。すでに58時間を切っている。
「古畑巡査部長、彩香も自宅にはいなかったのよ」 時間だけが、無駄に過ぎている。 「何か、新しい糸口はないかしら?」
「彩香さん以外の友達関係を私も探ってみたのですが、具体的な手掛かりは見つけられずに・・・」
「私への挑戦であれば、彩香を直接拉致し、身代金を要求することも出来たはずよね。犯人の目的がはっきりしないなら、これ以上身動きが取れないわ。砂羽さんの両親に対しても、具体的な要求はないんでしょ?」
「ええ、今のところは・・・」
「という事は、砂羽さんや彩香の無事は予め保証されていると考えるのは、どうかしら? 単に、私の苦しんでいる姿を見て楽しんでいるとか…」
「はあ、その判断はまだ早計だとは思いますが・・・」
「そうだ、古畑巡査部長、あなた柳沢さんから、証拠品として名刺預かってなかったかしら? 謎の男から手渡されたという…」
「はい、たしかに押収しておりますが・・・」
「それに付いている指紋の採取と、該当者を至急調べてくれない」
「了解です」
古畑巡査部長は、鑑識課に飛び込み指紋係下村摩耶を見つけると、頼み込んだ。
「下村さん、緊急照合を頼みたいのですが、すぐお願い出来ますか?」
下村摩耶は、10年前に指紋係に配属され、照合システムの扱いにおいては、署内一であり評価は高かった。職歴はすでに、20年を越えていた。
「う~ん、今、複数件依頼を受けていてね。すぐには…」
「そこを、なんとか‥・」
「なにか、急がなければならない事情が?」
古畑巡査部長は、成宮警部補の身内の生命に掛かる事案であることを、摩耶に丁寧に説明をした。
「分かりました。30分だけ待ってもらえますか?」
下村摩耶は、対象物が名刺であることから、液体法を使うことにした。この方法は、アセトン溶液を対象物にハケで塗り、乾いてからアイロンをかけるのである。汗に含まれるアミノ酸が、科学反応し指紋が紫色に浮かび上がってくるのだった。
下村摩耶が、そのデータをもとに指紋照合システムにかけると、あとは自動化されたコンピューターの結果を待つだけとなった。現在の捜査の迅速化、効率化に果たす役割は大きいと言えた。
「古畑巡査部長、結果が出たわ。すぐそちらのモニターに送るわね」
下村からの連絡であった。
「ありがとうございます。助かりました。このお礼はいずれという事で‥・」
「あてにしないで、待ってるわね」
モニターに映し出された指紋は、4パターンであった。
指紋A 該当者なし
指紋B 該当者なし
指紋C 浅井隆 逮捕歴 1 現住所 東京都目黒区平町1-12-**
指紋D 該当者なし
「名刺名の柏木正蔵の犯歴は、ありませんね。しかも住所も電話番号も書かれていない。これでは、謎の男が柏木であるとは、確定が出来ないままですね」古畑の正直な感想であった。
事実、綾乃と古畑の推理では、謎の男が正直に自分の名の名刺を残していくはずはないとの見解であったのだ。他人の名刺を、苦し紛れにおいて行った可能性が高い。
しかし、名刺名と謎の男に接点があることには、間違いなかった。
午後12時を回っている。
「古畑巡査部長、私はこれから柏木正蔵と犯歴のある浅井隆に会ってくるわ。
犯人からコンタクトがあった場合は、すぐ連絡を入れてね」
「了解です。気を付けて!」
「ありがとう!」
綾乃は、MAZDA6で第三京浜に乗り、玉川ICで降りると等々力から目黒通りに入った。ここからは都立大駅までわずかな距離を残すのみである。
都立大駅前交差点を右折し、東横線都立大駅を過ぎると、そこはすでにその周辺が平町であった。敷地の広い住宅が整然と立ち並び、難なく浅井隆の住居を見つけることが出来た。運よく浅井は在宅であった。綾乃は、応接間に通された。
「加賀町署の成宮です。浅井さんのお力を是非お借りしようと思いまして…」
浅井は、やや身長が低く、40代後半に見える男で、謎の男のイメージには程遠かったのである。綾乃は、浅井に会うなり捜査方針を変えたのであった。
浅井は、にわかに綾乃の言葉が信じられない様子である。
「刑事さん、私は執行猶予中とはいえ、すでに司法で裁かれている身ですよ。これ以上私に何を償えとおっしゃるのですか?・・・。 案の定『ハマシンホテルズ』からは、用済みになりましてね。今は、ご覧の通り無職ですよ。全く、『みなと探偵事務所』の野島にはひどい目に合わされた」
「浅井さん、あなたは野島を…、いえ野島耕介さんをご存じなんですか?」
「ご存じなんて、もんじゃないですよ。顔も見たくない‼」
この場面で野島の残像に出会うとは、予期せぬことであった。それも『ハマシン』絡みの事件であったことも。
「いえ、そのことではありませんから、ご安心下さい」
「私に聞きたいというのは、どういったことですか?」 「では、この名前に心当たりはありませんか?浅井さんの指紋が検出されましたので、あなたが持っていたものに間違いないと思いますが…」綾乃は、名刺のコピーをテーブルの上に置きながら尋ねた。
「・・・、柏木正蔵?」明らかに、浅井の顔に反応が現れた。
「あなたは、柏木正蔵をご存じなのですね?」綾乃は、これを見逃さずに聞いた。
「ええ、知っています」
「柏木から、直接もらった名刺なのかしら?」
「ええ、たぶん・・・」
「それがどうして、第三者が、いえ四者かも知れないけど、持っていたのかしら?」
「刑事さん、あなたが一人で捜査を・・・」
「ええ、これが十年来の私のスタイルなのです」 「悪いことは言いませんが、ここは男の刑事さん達に任せた方が‥・」
「それは、どういう意味で言っているのですか?」
「この柏木正蔵の名前は、裏の仕事を受ける時の通称でして・・・」
「裏の仕事というのは、法に触れるようなことね」
「そうです。私も『ハマシンホテルズ』にいた頃から面識はありましたので・・・」
「柏木正蔵の本名と住所を、教えてもらえませんか? 」
「私もまだ生きていたいので、こればっかりは・・・。柏木正蔵は、簡単に口を割るような人間ではないのですよ。明らかな犯罪の証拠を見せるまでは、任意同行さえ拒否するはずです」
「お願いします! 正直残された時間があとわずかしかないのです。私を助けると思って、どうか…」綾乃は、テーブルに手を付くと、額が付かんばかりに頭を下げた。
「刑事さん、どうか頭を上げて下さい。いま気が付いたんですが、私が柏木の名刺を渡した人物を調べた方が解決の道は早いような気がして・・・」
綾乃は、浅井の言葉に反応すると頭を上げた。
「特定出来る可能性があるなら、すぐ教えて下さい」
「それは簡単ですよ。一人しかいませんから・・・」
「是非お願いします」
「ただし、人を売るようなことはしたくないので、私の指先を読み取ってもらえませんか? これは、私からのお願いです」
浅井はテーブルに指を置き滑らせると、文字を書き上げていった。
『ツズキテクノコーポレ センム 』
そして、浅井が立ち上がった後のテーブルの上には、跡形もなく何も残されていなかったのである。
すでに、午後15時を回っている。
綾乃はMAZDA6に戻ると、ナビゲーションに『都築テクノコーポレーション』の文字を打ち込むのと同時にルーフに赤色灯を乗せ、目的地に向かって警戒走行を始めていた。
第三章に続く
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