ありがとうの先

〈金森 璋〉

ありがちゅー

 卵が先か、鶏が先か。

 その答えに僕はこう答える。


「え、生き物って魚から進化したんだから当然、卵じゃね?」


 卵焼きを突きながら、僕はそう言った。

 お弁当に入っている甘い卵焼きは、僕の大好物だ。今日も、母さんが焼いて、弁当に入れてくれた卵焼きは美味い。

「いや、そうじゃなくてさぁ」

「じゃあなんだよ、遠藤」

「近藤はロマンが無いんだよ、ロマンが」

「うるせー。ロマンで飯が喰えるか」

「喰えん。だからその卵焼きを俺によこせ」

「仕方ないな。あーん」

 僕を信用して遠藤は口を開ける。その大きく開いた口に、母が毎度入れてくる彩り要員のプチトマトを投げ込んでやった。

「んごぁッ!」

 喉にダイレクトアタックしてしまったらしく、近藤は手で口をふさいでなにやらもごもごやっている。どうだ、家の畑で採れたプチトマトは甘いだろう。僕は嫌いだけど。

「お前なぁ。いい加減トマトくらい喰えるようになれって」

「うるせー、トマトで人生が送れるか」

「……送れん」

「だろ?」

 そして僕達は、補習授業の合間、夏の太陽に照らされながら、弁当を突き合って笑った。


 先に声をかけたのは、僕だったと思う。

「遠藤だっけ? ごめん、蛍光ペン貸して」

「いいけど。逆にお前、近藤だっけ。でもノートの途中で色変わるの嫌じゃねえの」

「いーや、俺は気にしない。むしろ忘れる方が困るもんね」

「そっか。ならどれでも好きなの、どぞ」

「ありがちゅー、あいしてるー……って、なんだこの量!?」

「姉貴からもらった。正直、持て余してるから一本、持ってけ」

「あ、ありがちゅー」

「きもいからやめろ」

 それからだろうか。何となく仲良くなって、遠近コンビと呼ばれながら一年と半分を過ごし、見事、この低偏差値で絶賛されている男子校で、見事、数学のテストにおいて赤点をとった。


 だから今日も、こうして真夏の下で二人で「暑い」を百回唱えながら学校に来ていた。


「だーらぁ、ここのステージはC取りに行くなって! タンクなのはわかるけど味方回復する方に回れって」

「えー、C取ってないと不安だろ」

「最近の流行りに乗って動かないと、このステージは負けるぞ?」

「うーん。タンク向いてないんだろうか。ちょっとスプリンターでもう一戦」

「真逆をいったな!?」

 ぐだぐだと喋りながら、教室の端でゲームをする。授業の間のこんな時間が、俺らの楽しみだった。


「あー。勝った勝った。チップいっぱいになっちまった」

「どうする? 次のコマまで暇だぜ?」

「ん。そうだなぁ」

 ぼんやりと、空を眺めながら遠藤は言う。

「俺、夏の間にやりたいことがあるんだ」

「なーに」


「初恋を叶える」


「うぉをお!?」

 あまりの破壊力に、僕は変な声を出したばかりか思い切りひっくり返った。それくらいのインパクトはある。

 それもそのはずだ。ここは偏差値ド底辺の、県内で下から数えて何番目(一番下じゃないのがむしろ物悲しい)の男子校だ。

 むさい脳筋かメガネオタクか、体育馬鹿しかいないこの学校で、そんな言葉が出ると思わなかったのだ。

「だ、誰なんだ……」

「あ? 相手か?」

「違う、お前は誰だ」

「ああ?」

「お前! 実は遠藤じゃないな! いったい誰なんだ、その変装を解け、汝のあるべき姿へ戻れ!」

「お前はさくらちゃんだったのか」

「違うわーい!」

「ん、そうだったか。じゃあいい。近藤は近藤のままでいてくれ」

「あーあーはいはいそうするよ。んで、誰なんだ、その相手って」


「近藤」


「んあ? なーに」

「だから、近藤」

「何だよ」

「相手が、だ」

「は……」

「初恋の」

「の」

「相手が」

「が」

「近藤だ」

「僕……だ?」

 信じられなかった。

 どうしても、信じられなかった。


 何故――こいつは、僕の初恋までも叶えてしまうのか。


 ぼろぼろと、涙が出てきた。

 不安だった。嘘だ、と言われてしまうのが。冗談だ、と言われてしまうのだ。

 いつもの調子でいくなら、そんな風に言われてしまうだろう。否、言うとしか思えない。これは男同士の馴れ合いで小突き合いなのだ。

 それなのに、何故。


「何で、泣いてんだよ」

「えん、ど」

「俺も泣けてくるだろ。どうして泣くんだよ。嬉しくねえのか」

「だって、だって」

「嘘でも冗談でもない。そして今しか言えない。俺の初恋の相手は、お前だ」

「そんな」

「前、ノートにこっそり俺のことスケッチしてただろ」

 ばれている。

 僕はこっそり、遠藤のことを何度もスケッチしていた。もちろん、心を抱いて。

 写真の代わりに何度も眺めては、実物の方がイケメンだ、と再確認し、もう一度、スケッチに落とし込む。

 何度やっても、実物の方がイケメンなのに違いはなかった。

「それ見て、惚れた」

「見て、って、そんだけで」

「俺のことをそれほど見てくれる奴、今までいなかった。嬉しかった。だから、恋した。間違っているか?」

「まちが、ってないけど」


 あっちが先か、こっちが先か。

 その答えを僕は出せないけれど。

 今は、こう答えるしかない。


「ありがちゅー、あいしてるー」

「こちらこそ、あいしてるー」


 こうして僕らは、ふざけ合って、答えなんてなくっても、生きていくのだ。

 この世界で、たった二人だけになっても。


 ――余談。

 その後の補習授業にイケナイことをしてしまったせいで遅れに遅れたため、一時、二人そろって留年を覚悟したのも、今やもう良い思い出である。



【了】

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