間話 旦那様にも秘密の私 前編

 

私「真白三葉」は、子供の頃からある病気を患っている。

その病気とは、自分が気に入った物や興味を抱いた人に対して独占的になったり、付き纏ったりなどストーカー紛いの事をしたりと多岐に渡る。そんな私の事を世間一般ではきっと、ヤンデレとか自己主義者エゴイスト、犯罪者予備軍なんて呼ぶ人もいると思いますが、幸いこの病気を発症したのが幼少期から小学生位の頃だったので、周りから変な目で見られたり、大人から注意を受けたりしたくらいで済んでいたので今思うと、本当に良かったと思います!ただそれも、旦那様である「助さん」こと、木村京さんと出会い、恋をしてから再発してしまいましたけど……


それはさておき、皆さまにはなんで私がこの病気を患ってしまったのかを特別にお話しようと思いますが、くれぐれも旦那様には内緒にして下さいね!


じゃないと消しちゃいますから!


・・・・・


ゴッホン!

まぁそれはさておき、私が何故病気になったのかをお話するその前にまず、私の過去についてお話をしますね。



まず初めに、私の現在の苗字である「真白」は今は亡き母親の旧姓で、元の私の苗字は父の姓である「灰谷」でしたが、母から私が5歳の時に父は仕事中に死んで、いや、殺されたと聞かされました。


父は警察官で、警視庁の捜査一課に務める程優秀だったらしく、母とは上司からの勧めでお見合い結婚したそうですが、それでもお互いに愛し合っていたと言っていました。


そして、両親が結婚して2年後に私が産まれて、母が大好きだったシロツメグサから「三葉」と父が名付けたそうです。

ちなみに、シロツメグサは別名クローバーの事で、三葉のクローバーには幸福や約束と言った花言葉があります。


私には残念ながら幼い頃の記憶が朧げで、父の顔は殆ど憶えて無く、一緒に遊んだ記憶はありませんでした。それでも、一つだけ憶えている事があります。私が泣いていると父が頭を撫でながら


「泣くな三葉、泣いていると幸せが逃げていくぞ!ほら笑ってみな!」


そう言って笑顔で励ましてくれる父を見て私はいつも、必死に涙を堪えながら笑顔で


「うん、泣かない!」


「よし、いい子だ!」


私が笑顔になると、父は私の事を褒めてくれました。それが凄く嬉しくて、私はそれだけで幸せでした。そりゃあ、もう少し遊んで欲しかったけど、父の仕事柄しょうがないと母からも言われていたので、割り切っていましたし、何より父と母が居てくれるだけで私は幸せでした。


でもそんな幸せも、私が5歳の誕生日を迎えた次の日に崩れ去っていきました。



13年前の私の誕生日の次の日、父は数人の刑事と一緒に、逃走中だった指名手配犯を追い詰めました。

その犯人は何人もの女性を殺害し、バラバラにした後遺棄すると言う犯行手口から「現代の切り裂きジャック」と呼ばれ、大変危険な犯罪者として父達が必死に追いかけていた犯人でした。


母が言うにはその日、犯人を追い詰めた父達が逮捕しようとした時に、追い詰められた犯人がナイフを取り出して一人の刑事を刺そうとした所を、父がその刑事を庇って刺されてしまったそうです。


そのあと犯人は混乱に乗じて逃走し、刑事達が追いかけてなんとか無事に逮捕したそうですが、残念ながらその時には父はすでに死んでいたそうです。

でも納得していなかった母は、もしすぐに誰かが救急車を呼んでいれば、父は助かったかも知れないと刑事の人達を問いただしたらしいのですが、結局真実は分からず仕舞いでした。


こうして私は、5歳の時に大好きだった父を失いました。


しばらくして、父のお葬式が終わると優しかった母は豹変してしまいました。

最初のうちは、父が使っていた服や物を抱きしめながら泣いていましたが、しばらくしてまるで人が変わったような冷たい目をしながら私の事を見てきました。私が心配していると突然、母が私の髪を掴みながら


「ちっ!あんたはなんでそんな目で母親の事を見てるのよー!!」


「や、やめてよお母さん!!痛い、痛いよー!!」


私が何度も辞めてと言っても、母は気が済むまでずっと私の髪を掴んで何度も引っ張ってきました。

最初の頃は髪を引っ張るぐらいでしたが、徐々にエスカレートしていき、部屋に監禁したり、何日もの間何も食べさせてくれなかったり、最終的には暴力まで振るってきました。


いわゆるネグレクトってやつです。


そんな生活が続く中、私は自分を守るために


(大丈夫。これはお母さんから私への愛情だから、だから大丈夫。心配しなくてもお母さんは居なくならないから、私が耐えていればきっとお母さんはまた笑ってくれる)


そう、心の中でずっと言い続けながら自分の事を励まし続けました。そうしないと、体より先に心が死んでしまいそうだったから。


そんな生活が一年ほど続いたある日、ずっと家から外出をしていなかった私の事を気にかけた祖父母がやって来て、変わり果てた母と今にも死にそうな私の事を発見して保護してくれました。その後、祖父母が母と相談して(半ば強引に)私は母と引き離されて祖父母に引き取られました。


発見された当時の私は、痩せ細っていてずっとお風呂に入っていなかったので汚く、生きているのが奇跡だったと祖父母から聞きました。


そして私が祖父母に引き取られてから半年後、母は自宅の父の部屋で父が使っていたネクタイで自らの命を絶ったと祖父母から聞かされました。


私は6歳で両親を失いました。


母の死を聞かされた私は、悲しいはずなのに何故か涙が出ませんでした。


祖父母になんで涙が出ないのかを聞いても教えてはくれず、ただ私の事をずっと抱きながら


「ごめんね」


と言って謝っていました。

当時の私には意味が分かりませんでしたが、今ならば分かります。

あの「ごめんね」の意味は、母を死なせてしまったと言う意味の謝罪と母からのネグレクトのせいで感情の一部が壊れてしまった私に対して、自分達がもっと早く私を救っていればと言う、罪の意識からの謝罪だったのでしょう。








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