赤ずきん 3

いつもと変わらない風、いつもと変わらない風景、いつもと変わらない朝だった。

「赤ずきん、おばあちゃんのところにパンケーキとワインを持っていってくれないかい」

「や」

「はや!即答!?

そんな事言わないで。

ばあちゃん、風邪ひいててあまり出歩けないって」

「んどくさいからやだ」

「赤ずきん!」

「あ〜ったよ。行きます!!

行けばいいんだろ」

そんないつもと変わらない会話が聞こえてきた。


あれはまだ雪のチラつく頃、俺はうっかり猟師の仕掛け罠にひっかかった。

俺の事をずっと狙ってるしつこい猟師。

それは明らかに俺を狙った強力なとらばさみだ。

ひとしきりもがいて諦めかけていた頃彼女が現れたんだ。

「ねぇ大丈夫?」

「ああ、痛え」

「ちょっと待ってて。すぐ助けてあげる」

すぐに駆け出し太い枝を2本持ってきた。

「これでなんとか」

「ああ」

もうあまり力が入らない。

女の子は罠に枝を引っ掛けると力いっぱい引っ張った。

「いたっ!」

彼女の腕に大きな傷が出来ていた。どこかにひっかけたみたいだ。

「だ、大丈夫か?」

「うん、問題ない。もう少し広がったら一気に脚を引き抜いて」

自分の事より俺の心配かよ。

『抜けたぁ』

俺たちは声を合わせて叫んでた。

「す、すまねえ」

「ううん大丈夫。困った時はお互いさまじゃん」

「あ、あの」

「なに?」

「俺が怖くないのか?」

「なんで?」

「俺はオオカミお・・」

「でもあたしを食べないんでしょ」

「へ?」

「食べないんでしょ?」

「ああ。食わねえ」

「なら怖くないじゃん」

「名前は?」

「赤ずきん」

赤ずきんは真っ赤なバンダナを外すと俺の傷口を縛った。

「ごめんね、あたしもう行かなきゃ」

その場を立ち去る娘を黙って見送った。

その、なんていうか、一目惚れだった。


赤ずきんの家からばあちゃんちまでは歩いて半刻ほど。そこがチャンスだ。

俺の持ってるなけなしの勇気を振り絞って赤ずきんに話かけるんだ。


「じゃ、行ってくる」

「寄り道なんかするんじゃないよ。

最近この辺りにオオカミが出るって」

「わかってるって。

ぱ〜っと行って、ぱ〜っと帰ってくるから」

「ホント気をつけてね」

「しつこい!」


赤ずきんの声はよく通る。それに俺は耳がいいから中の会話は丸聞こえだ。


赤ずきんはばあさんの家に向かいゆっくり歩いて行った。俺は気づかれ無いようこっそりつけていく。ちょっとしたデート気分だ。


彼女が暗い森の近くに差し掛かった時だった。

「ん〜、森突っ切った方が近け〜し、ショートカットしよっかな〜。

まだ明るいし、大丈夫っしょ」

赤ずきんの大きな独り言を俺は聞き逃さなかった。

ダメだって、最近そん中は野犬達が幅を効かせてやがんだよ。奴ら、集団で来っから俺らよりずっとタチが悪いんだ。


俺は待てる勇気を振り絞って赤ずきんに声をかけた。

「え、えと。赤ずきんちゃんだよね。

あのさ、えと、俺オオカミで・・」

なに言ってんだ俺。

「あ、あの時のオオカミさん?」

「えとさ、あのこっちの川沿いの道、今シロツメグサが満開でさ」

「えと、そうなんだ」

よかったら俺が案内するから・・

「花とか積んで行けばおばあさんも喜ぶんじゃないかと」

「ん〜、それありかも!

ありがと」

「ああ、じゃあ俺もう行くから」

違う!俺も一緒に!!

俺も!!!

オレ・・も!声が出ない。

俺は彼女を置いて走り出していた。

なにやってんだ俺!

否!まだチャンスある!河原でもう一度話しかけるんだ。


「シロツメグサ満開じゃん。

懐かしいな〜ガキん頃これでよく冠とか作ってたよな〜」

赤ずきんは夢中で花を積んでいた。

『赤ずき・・』

「冠、あの人に贈ったら喜ぶかな〜」

え?あ?

声が出ない。足が動かない。足が震える。

俺はその場を駆け出した。

『あの人?

あの人って誰だ?』


夢中で駆けた俺は気がつけば赤ずきんのおばあさんの家の前にいた。


「おや赤ずきんかい?

随分早かったね」

庭にあるロッキングチェアに座り編み物をしていたおばあさんは顔も上げずにこう言った。

なんだ元気そうじゃん。

俺は声を出さず一歩後ずさった。

「ん?」

おばあさんがゆっくりこっちを見上げた。

「ひっ!

お、オオカミおと・・」

おばあさんはその場で意識を失った。

これだ。人間は皆んな俺を見ると畏れ、怒り、逃げ惑い、時に襲ってくる。

俺は人肉は食わない。いや仲間には食うやつもいる。人間が猪や鹿を食うように、腹が減ってそこに肉があれば食うだけだ。

人間が熊を恐れ熊の縄張りに近づかない様に、俺たちも人間を恐れ近づかないようにしている。

襲ってくるのは人間の方なんだ。


俺はもう一度おばあさんを見た。

美味そう・・には見えない。俺にとっては大事な人の大事な人だもんな。

ここはもうすぐ日が当たる。裏手の日の当たらない所に移動させなければ。

俺はおばあさんが目を覚さないようチェアごとそっと担ぎ上げた。


なにかかける物はないか?毛布とか。


俺は辺りを見回した。家のドアが開いてる。

よく片付いた綺麗な部屋だ。

小さな子供が泣いてる写真が飾ってある。

白黒で分からないが被ってるバンダナは赤色なんだろな。俺がそんな事を考えながら部屋を探していると突然ノックの音がした。

「ばあちゃん、入るよ」

やばい、考え事をしていて気付かなかった。

俺は思わず布団の中に隠れてしまった。


「ばあちゃん、だいじょうぶ?」

「ああ」

俺は出来るだけ声を殺して返事をした。

「ありゃ、凄い声じゃん。風邪、ひどいの?」

「大丈夫」

「どれ、熱は?」

やばい近づいてきた。

「近づかないで!

最近の風邪は伝染るから!」

俺は咄嗟に叫んでた。

「ああ、ごめん」

しばらく沈黙が走った。


「あの、ばあちゃんさ」

「なんだい?」

「ばあちゃんがじいちゃんと出逢った頃の話教えてよ」

「は?なんだい突然」

「いいじゃん、昔何度も聴かせてくれたじゃん。猟師だったじいちゃんにばあちゃんが一目惚れしてさ」

「そんな事もあったかね」

「言ってたじゃん、惚気全開でさ」

「忘れちゃったよ」

「照れちゃって可愛い」

いや知らねえって。

「実はあたしさ」

「?」

「気になる人がいてさ」

「?」

「その人色が黒くて」

「?」

「逞しくてさ」

「?」

「森の中で出逢ったの」

猟師なのか。この辺りで色黒の若い人間の男なんてアイツくらいしか居ない。

「そうかい、で?」

「昔助けて貰ってさ」

「ふーん」

「でもなかなか話をする機会が無くてさ」

「そうなんだね」

「あ〜、逢いたいな〜」

俺はもう一刻も早くここから逃げ出したかった。


「あれ?ばあちゃん

布団から何か出てる」

やばい尻尾が出てる。

「それはこの間仕立てた毛皮のマフラーだよ」

「もうすぐ夏じゃん。変なの」

「あれ?ばあちゃん

ばあちゃんってこんなにデカかったっけ?」

「え?ああ。少し寒かったから布団の中に毛布を入れてたんだよ」

「あれ?ばあちゃん

頭んとこから動物の耳みたいなのが見えてるよ」

「えと、これはね・・・」

俺が返答に困っていた時だ。


「赤ずきん!その場を離れろ!」

銃を構えた漁師が入ってきた。後ろには隠れるようにおばあさんもいる。

赤ずきんは驚きながらも少しずつ後ろに下がった。

「そこにいるのはオオカミだ!」

ガーン!という破裂音と共に俺の肩に激痛が走った。

俺は布団を跳ね除け窓を目指した。

ガーン!2発目は背中から腹を貫通していった。

やべえ。脚に力が入らねえ。

俺はもう立ってる事も出来なくなった。

身体がふわふわする。

生暖かい沼の中に浸かってるみたいだ。


「・・カミさん!オオカミさん!」

聴き慣れた声が聞こえる。赤ずきんか。

「死なないで!死んじゃやだ。

やっと会えたのに!

あーしがまだ小さい頃、猪に襲われてたの助けてくれたオオカミさんだよね」

あぁ、そんなこともあったかも。

「あたしもっとオオカミさんと話がしたかった。もっとちゃんと話がしたかったのに。

この前ケガをしてた時、助けるのが精一杯であまり話が出来なかった。

森で話しかけてくれて嬉しかったのに話せなかった。

いつかちゃんと話がしたかったのに」

赤ずきんの目から溢れ落ちるものが俺の頬に当たる。

「コイツは危険な奴なんだ。

駆逐しなきゃいけないんだ」

銃を構えながら漁師が言う。

「イヤ!せめてこのまま眠らせてあげて」

俺に覆い被さるように泣き崩れる赤ずきん。

「いいんだ。もう」

俺は最期の力を振り絞って言った。


赤ずきんの体温を感じられ、赤ずきんの想いが知れて、俺は幸せだった。

それだけで充分だった。

俺はゆっくり目を閉じた。


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