思い出の人

ヘイ

 俺が目を覚ましたのは大凡、五十年後の世界で、何もかもが変わってしまっていた。タイムマシンなんてものはなくて、ただ医療技術は目覚しく進歩していた。誰もが思い描く未来とはこういうものなんだ、と言えるほどの世界ではなかった。快適だと思っていた未来は何とも変わりすぎていて適応するのに時間がかかってしまった。南海トラフ地震で日本は壊滅的な被害を受け、以降二十年間、復興開発が行われていた。


 復興支援に来てくれたアメリカのおかげもあってか、反日勢力の牽制にもつながり、アメリカ様様と言ったところだ。


 そして、驚いたのが気温の寒暖差だ。夏は死ぬほど暑くて、冬はクソほど寒い。環境汚染だって結構なもので、空気が汚いと言うのだって、本当だ。

 そんなことは割とどうでもいいことではあった。

 ただ、俺は俺が目を覚ました病院に来たと言う話だ。記憶は酷く朧げであったが、確かにこの病院のことを覚えていた。


「子供が自分の生まれた病院覚えてたら、こんな感覚なのかね」


 目を覚ます前の記憶が全くないわけではない。俺は高校生であったことを覚えているし、誰かと何かを約束したことも覚えている。でも、それが誰となのか、そもそもどんな約束だったのかを俺は思い出せない。俺はそのことにどこか、物悲しい空虚さを感じていた。

 病院に入れば目を覚ました時の記憶が、何でトラウマスイッチのように作動するわけでもない。よく冷房の効いた部屋で目が覚めて、興味本位でそこから出ようとして、倒れて、医務室に運ばれた。

 そんなもので記憶は終わっている。そのあとは医者に退院してもいいよって言われて、外に出たら暑いわ何ので、体を壊して再入院。

 そして、俺は今、この病院で体に異常がないか通院して、確かめている。

 診察の待ち時間に見知った顔を見る。


「お久しぶりです、あさひさん」


 旭さん。只山ただやま旭。見た目は五十代ほどの女性で髪は所々白くなっている。顔にできた深いシワがその老を感じさせる。

「久しぶりねぇ。貴方が退院して以来かしら?」

 旭さんは優しく俺に尋ねてくる。

 俺は何とも言い表せないような感覚がある。それは単純な問題で、タイムマシンに乗って歳を取った自分と同じ歳くらいの人に会って話すようなものだ。そんな経験はないけれど、似ているような気もする。

 旭さんは俺と同じくらいの年齢で、俺と同じ時代を生きていた。俺は勝手にそう思っている。


「そうですね」

「あれは何ヶ月前だったかしら?」

「半年前ですね」

「今は冬よね?」

「そうですよ。そういえば旭さん、日本には昔時期が四つあったって知ってますか?」


 今の日本はもう夏と冬しかない。桜の綺麗な季節は無くなって、夏が過ぎれば一気に寒くなる。そして、気がつけば雪が降っている。もう、まともに花なんて見れないし、外を歩くのすら億劫だ。


「……桜、もう見れないのね」


 そう言う彼女の表情はどこか憂いを帯びていた。きっと桜に思い入れがあったのだろう。


「桜、みたいですか?」

「ーーいえ、ただの思い出だから」


 旭さんは笑う。それが無理に微笑んでいるように思えて、俺は嫌だった。


「まあ、見たいって言われても困っちゃうんですけどね」

「そうよね……。でも、桜が見れなくてもまたあの人に会いたいの……」

「あの人?」


 誰のことだろう。旭さんには旦那さんがいたはずだけど。でもあの人というのは旦那さんのことではない気がするのだ。


「ふふっ、私が幼い頃にね、桜の綺麗な公園であったの」


 彼女は興奮しているようだった。まるで好きな人を語るように、大切な思い出を懐かしむかのように嬉しさが滲み出ている。


「よく、覚えていますね」

「忘れないわよ、大切な思い出だもの。けれど名前は知らないの……」

「聞かなかったんですか?」

「だって遊ぶのに名前なんて関係なかったから」

「あの、それってどれほど前のことなんですか?」

「私がまだ五歳の時だったかしら」

「確かに小さい頃ですね。それであの人はその時幾つだったんですか?」

「あの人は十六くらいだったと思うわ。学生服を着ていたもの」

「結局どうなったんですか?」

「会えなくなっちゃったの」

「どうして?」


 人にズケズケとものを聞くことはあまり好まれないことなのかもしれない。けど、俺はこの人の話を聞きたい。聞かなければならないとさえ思っている。


「私を庇って事故に遭ったの」


 俺が何故眠っていたのか。そんなのもう覚えていない。でも、目の前にいる旭さんに懐かしさを感じる。それは俺が彼女に会ってからずっと感じていたものだ。


「もう会えないって思ってたの」

「思ってた?」


 どうして過去形。そりゃあ、別に自然とそうなることもあるけど、これは何だか違うのではないか。なんて、無駄な考えだろう。


「ありがとうね。貴方はあの人にそっくり、また会えたなんて、思っちゃった」


 そう言って彼女は笑った。

 そして、旭さんは看護師に呼ばれて先に行ってしまった。


「あー、なんか、負けた気がする」


 俺はそう言って、笑っていた。

 この快適な待合室で呼ばれるのを待つことにしよう。


「でも、桜か……。また見たいな」


 俺は窓から雪の降る景色を眺めながら、ポツリと呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思い出の人 ヘイ @Hei767

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ