神域官『五条尊』~その叫びを聞く者よ~

天りょう

序章

 平日の昼下がりにも関わらず、真っ黒なスーツを着崩し、猫背気味の背中をベンチに浅くもたれさせて空をボーッと見つめる男が一人。その傍らでは、ジャングルジムで子供たちが元気よく遊んでいる。公園内に響く笑い声。母親たちの談笑。まるでこの国の平和の象徴とも呼べるような、ごく日常に溶け込む光景。

 

 子供たちは鬼ごっこを始めたようだった。ジャングルジムのてっぺんで、鬼役になった子供が数を数え始める。その下では、数を数えている鬼役の子供から、我先に遠ざかろうとジャングルジムから降りてゆく子供たち。そして、十を数え終わった鬼役の子供が、ジャングルジムから降りようとしたその時。


「キャ———‼」

「誰か救急車を……‼」

「まさきくん⁉ 返事をして‼」


 鬼役の子供から一番遠ざかっていた男の子が、突然鼻血を出して倒れた。身体はビクッビクッと痙攣けいれんし、真っ赤なトマトのように血色豊かで汗でぐっしょりと濡れていたその頬は、先程までの面影もない程真っ青になっていた。

 

 すぐ側のベンチに腰かけていたスーツ姿の男性は、先程まで空へと向けていたその瞳を倒れた子供へと移す。しかし、まるで目の前で繰り広げられている惨劇が男の目には映っていないかのように、どこか上の空で見つめているだけ。


 男はふと思い出したかのように、左上空を見上げ、半開きの乾いた唇を静かに舐めとると、そちらに向かって、一言ぼそりと呟いた。


 その瞬間、突如として突風が吹きあがり、青々と生い茂っている木々の葉をカサカサと揺れ動かす。風に乗り、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。


 男が放ったその呟きは、ザァザァと吹き荒れた風に掻き消され、誰の耳にも届くことなく消えて行ってしまった———。


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