第10話 道端✕失恋令嬢を拾いました

「わたくし……婚約者に捨てられてしまいましたの……」


 愁傷に涙を流しながらも、彼女はイクスの作った簡易サンドイッチをバクバクと貪り食っていた。

 固い麦のパンに、干し肉とピクルスを挟んだものだ。イクスは「貴女様にこんな貧相な物を食べさせるなど……」なんてぶつくさ嘆いていたが、これはこれで美味しいよ。顎は正直疲れるけどね。


 現に、この金のたてがみロールが崩れ、豪奢なワンピースも泥だらけの御令嬢様は「お、おかわりいただけるかしら?」とイクスを上目で見ている。ずっと仏頂面のイクスは私を横目で見てくるが、私が頷けば「仕方ない」ともうひとつ準備を始めた。


 どうやら彼女、ミィリーネ=シャントット伯爵令嬢はひとりで王城に向かおうとして行き倒れていたらしい。


「婚約者のエンドール=ウロード様はそれは素敵な方でしたのよ……。ウロード公爵家の長男に相応しく、勉学にとても長けてまして。いつでもどこでも本を片手に勤勉な横顔はとても凛々しく――」

「だけど女遊びは激しかったのだろう。クズが」


 見捨てに見捨てられず一緒に朝食を取りながら、この話の流れは三回目である。

 なのでイクスがつまらんとばかりに話を遮りつつも、しっかりサンドイッチを彼女に渡して。ミィリーネさんは「そんなことありませんわっ!」と否定しながらもそれを受け取っていた。


「こんなこと初めてですわよ! あの女……あの平民風情がエンドール様を唆さなければ、エンドール様は道を踏み外さなかったはずですわっ!」

「ならば一度の過ちとして見逃してやればいいだろう。どうせ政略結婚だ。お互い愛人を囲うくらいでちょうどいいんじゃないか」

「ですが、エンドール様はわたくしに『真実の愛を見つけた』と婚約破棄まで言い渡してきたのです……このままおめおめと引き下がれませんわ。真実の愛を捧げているのはわたくしの方なのですから!」


 こぶしを握って熱弁するミィリーネさんを、イクスは鼻で笑った。


「それで? 貴様は相手の女に泥をかぶせたり悪口を吹聴したと。貴様の『真実の愛』はひどくお美しいな?」


 ……はい。イクスさんの機嫌がめっちゃ悪いです。

 多分、二日酔いが残っているせいなんだろうなぁ……とは思うけど。でもとにかく機嫌が悪い。私が「可哀想だからご飯くらい食べさせてあげようよ」と言ってから、さらに悪い。そして彼女の境遇を聞き出してからはもっと輪をかけて悪い。


 まぁ、実際。ミィリーネさんもその相手の女の子に聞き流した方が平和な可愛くない悪戯の数々を繰り広げていたみたいなんだけどね。それでますますお相手の心が離れていって――そこはさすがに私の呆れるしかできなかったんから、イクスの嫌味も一理はあるんだけど。


 そして、そんなご機嫌ななめでも、きちんと私が飲み干そうとしているお茶に注ぎ足してくれる忠誠心よ。そのせいだろうか、ミィリーネさんの私を見る目が厳しい。


「……ぐすん。あなたはいいですわね、こんなに愛されて。新婚旅行か何かですの? それとも御令嬢のお忍び旅行とその従者かしら?」

「あぁ、ラブラブ新婚旅行だ。いい機会だから、世界各地をいちゃいちゃしながら回ろうと思っている」

「そう、邪魔して悪かったわね……」


 イークースーさーん? さらっと私の肩を抱いてくれちゃってますが、私たちはいつから夫婦になったんですかー? それにラブラブとかいちゃいちゃとか……余計な装飾語が増えておりますが⁉


 ほらぁ、さすがのミィリーネさんもドン引きじゃないですかー。私もどんな顔をしたらいいのやら……と戸惑っているうちに、ミィリーネさんはワンピースを払って立ち上がった。思わず、私は声をかける。


「どこへ行くんですか?」

「ですので、わたくしは国王陛下に直訴しに行きますの。そもそも、貴族同士の婚約です。本人がどうこう言っても、陛下の調印がなければ無効になどできませんからね!」


 うーん……たしかにそれはそーなんだけど……。

 それでもその前に親に相談するとか、色々やることあると思うんだけどなぁ。しかもこのミィリーネさん。お金がないとお店でものを買うこともできない、という常識も知らない典型的なお嬢様。だから、こんな場所で行き倒れていたようだけど……それこそ、この先ゴロツキなども出るし、一人で王城までたどり着くのは難しいんじゃないかな。そもそも、こんな段階で陛下にお目通りを願い出ても陛下自身は病でベッドから起き上がれないし、代理のミーチェン王太子がこんな些末なことに時間をとるとは思えない。つまり、徒労になってしまうわけで……。


 だけどしっかりおかわりまで完食したミィリーネさんは、私たちに「一食の恩は忘れませんわ」とお辞儀カーテシーをして、スタスタと私たちが来た方向へと歩いていく。


 その頼りなさげな背中を見つめながら、私は口を開いた。


「ねぇ、イクス……」

「僭越に助言させていただくのなら、こんなアホらしいことに首を突っ込まない方が得策だと思います。我らにそんな余裕があるとお思いで?」

「それはそうかもしれないけど……」


 私たちとて、『偽聖女』として指名手配されている身だ。大きな街に長居するのは避けた方がいいし、少しでも早く王都から離れた方がいい。そして何より、目立ったことは厳禁。

 だけど……。


「婚約破棄は……悲しいよね」


 私も、婚約破棄を言い渡された身だ。もう十二回目だし、他に好きなひとがいたから平然としていられるけど……初めての時は、多少なりともショックを受けた。それが、もし自分も相手のことが好きだったら? たとえそれが自業自得な面もあったとしても……全くの他人事とは思えなくて。


「貴女様は休みたいのではなかったのですか?」

「でも……憂いがあったままだと気分良く休めないじゃない?」


 そんな私の隣で、イクスはため息を吐く。


「貴女様は何度やり直しても、お節介だけは直りませんね」

「イクスは何か変わったことある?」


 イクスの言葉に小さく笑い返せば、彼はこちらを見ないまま食事の片付けを始める。


「俺は……変わりたくありませんね」

「そう? じゃあ、仕方ないよね」


 少し会話の齟齬がある気がするけれど。ひとまずお節介の同意を得られたようで何よりだ。


「ミィリーネさーん!」


 彼女の名前を呼び、私は頼りない背中を追いかけた。

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