第16話 嫌なんだ

 リアラは喧嘩の度に部屋を飛び出してどこかに走って消えていく。

 ただ、いつもであれば三十分くらい放置しておけば帰ってくるか、連絡が来る。


 だからほっとけと、俺は部屋で一人テレビを見ていた。


 でも、リアラは帰ってこない。

 一時間くらいは経った。なのになんの音沙汰もない。


 また、実家にとんぼ返りしたのだろうか。

 でも、もしそうじゃなかったら。


 外はもう暗い。


 ……。やっぱり、探しにいかないとダメだよな。


 急に不安になった俺は、部屋を飛び出した。


 ほんと、めんどくさい女だ。

 勝手に怒って勝手に泣いて、勝手にどっかいって。


 でも、そんなめんどくさい女が……俺はいいのかもしれない。

 ギャーギャーいいながらも、あいつといるのは楽しいし、それに仲直りできた時の安心感ってのはどこか中毒になってる。


 ああ、だけど。

 あいつにいいように飼いならされてるようで、そういう自分を認めたくなかったのかもな。


 多分、あいつのわがままはすぐには治らない。

 でも、根気強く付き合っていったらいつかは、素直になるかもしれない。


 それまで待つというのも、好きだからできることなんじゃないか。


 そんなことを思いながら、俺は夜道を走る。

 向かったのは、昔一度だけ、出て行ったあいつを追いかけた時にリアラを見つけた場所。


 実家の近所の公園だ。


 たしかあの時は、ベンチに座って泣いてたっけ。

 それに、いくら慰めても泣き止まないから、結局朝まであいつを慰めてて、帰って親に怒られたっけ。


 ほんと、迷惑な女だな。


 そんな昔のことを思い出しながら、公園に到着すると。

 人影があった。


「すん、すんすんすん。雅君のバカ……死んじゃえ、死んじゃえ」

「おい、物騒なこと言うな」

「雅君? な、なんで」

「帰ってこないからだろ。こんな夜に一人で公園とか危ないぞ」


 泣きじゃくるリアラが座っているベンチに、俺も座る。

 そして前を向いたまま、話を続ける。


「なあ、さっきお前が言ってたことだけどさ」

「……なにか言ったっけ?」

「忘れたのかよ。いや、いつまで続けるつもりだって」

「雅君は、迷惑?」


 震える声で、そう聞かれると胸が締め付けられる。

 こいつもそうだが俺も素直じゃない。

 

 でも、俺がこいつと違うところは。

 ちゃんとそれを認めるところだ。


「迷惑じゃない。誰かと生活するのって、結構悪くないなって。それに、幼馴染を変な男に預けるのは気が引ける。もうしばらくは、嘘に付き合ってやるよ」

「じゃあ、ちゃんと婚約者のフリをしてくれる?」

「ああ、するよ。その代わり、お前ももうちょっとでいいからすぐ怒る癖をどうにかしろ。喧嘩ばっかしてるのも、婚約者としてどうなんだって思われるだろ」

「……そだね。うん、わかった」


 好きだとか、そんなことを言うのはまだ早い。

 俺もまだ、リアラを完全に受け入れる覚悟なんてものはできていない。

 だから婚約者のフリってもの随分と都合のいい立場なのかもしれない。

 卑怯だとも思うけど、今はそれでいい。

 

 仲直りができたのかどうかはわからないが、結局このまま一緒に家に帰ることに。

 

 ようやく泣き止んだリアラは、完全に沈黙していた。

 しばらくは、気まずい空気のまま。


 しかし静寂を破ったのは、リアラの一言。


「手、繋ぐ」


 何を言いだすんだと、俺は驚きで言葉を失った。

 慌ててリアラを見ると、焼いた餅みたいに白い頬を膨らませている。


「手、繋ぐの」

「なんでだよ。さすがにそれは」

「二人で歩いてて手も繋がないとか、婚約者じゃない」

「だから実際は婚約者じゃ……いや、まあ、いっか」

「うん。繋いで」

「はいはい」


 リアラの小さな手を包むように握ると、少し震えていた。

 そしてまた、黙り込んだ彼女を引っ張るようにして、二人で帰宅した。



「お風呂入るから、覗かないでね」


 帰ってすぐ。

 機嫌が悪そうにそう言い残して風呂場へ向かったリアラを見て「やれやれ」とこぼしながら俺は部屋に戻る。


 手を繋ごうなんて、好きだと言ってるようなもんだってなんで気づかないのか。

 素直になるところと意地を張る部分が少々ズレてるような彼女の思考はどうなってるんだと、一人でテレビを見ながらため息をつく。


 はあ……。もしかしてあいつ、俺を試してるのか?

 俺の方からよりを戻そうって言ってくるのを待ってるんじゃ……

 いや、その可能性は大いにある。

 俺があいつの気持ちがわからずに不安だったように、向こうだって同じく不安なのかもしれない。


 だったら……だったらなんだ?

 あいつが俺を好きだから、俺も好きって?

 いや、それはあまりに都合がよすぎる。

 やっぱり、俺自身の気持ちというやつをちゃんとしないとな。


「あの、出たけど」

「ああ……ってお前!」


 思わず目を背けた。

 リアラが、タオル一枚でそこに立っていたからだ。


「何?」

「何、じゃねえ! 服を着ろ」

「だって、髪乾いてないし」

「それなら髪乾かしてから出てこいよ」


 リアラのボディラインがはっきりわかるほど、身体に巻いたタオルは密着していて。

 そんなセクシーな元カノの姿に俺は当たり前だが興奮している。


 多分、もう一度見たらアウトだ。

 飛びかかってしまいそう。


「ねえ、もしかして興奮してる?」

「そ、そういう問題じゃないだろ! い、いいから服を着ろ。じゃないと」

「じゃないと、何?」

「いや、それは……」


 どういうつもりだ。

 襲ってほしいのか、こいつは。


 いや、そんな安い勘違いでもし彼女に手を出したりして。

 嫌われたら元も子もない。


 ……


「いいから服を着ろ。じゃないと今度は俺が出て行くぞ」

「わかったって。じゃあ、着替え取るから向こう向いてて」

「言われなくても向いてる。早くしろ」


 ガサガサと、着替えを取る音にすら少しドキドキしながらも、必死に目をつぶって呼吸を整える。


 やがて、着替えを終えたと彼女が告げる。

 そしてそっと目をあけると、パジャマ姿になったリアラが立っていた。


「へへっ、びっくりしたー?」

「からかうなよ。別にお前じゃなくたってびっくりする」

「ふーん、でも婚約者だったらさ、そういうことも普通にするんだよね、きっと」

「なんの話だよ」

「んーん。私が別の人と婚約したら、やっぱりそういうこともするのかなあって」

「……それが嫌だからこうしてるんだろ?」


 わかっててもあまり考えたくないことだ。 

 リアラが他の男の手に抱かれるなんて、想像しただけで吐きそうになる。

 全く、別れた彼女に嫉妬するなんて、ばかげた話だけど。


「ふーん、雅君は嫌なんだ」

「何がだよ」

「んーん別に。じゃあ、着替えてくるから今日は寝よっか」


 なぜか、少しだけ機嫌をよくしたように見えた元カノはさっさと風呂場に戻っていき、次に部屋に戻ってきた時にはいつものスウェット姿に。

 

 そして何も言わず自分のベッドに帰っていき、さっさと電気を消した。


 なんの冗談だったんだと呆れていると、しかし寝る前に彼女が「おやすみ」と。


 少し声が弾んでいた気がしたが、俺の思い過ごしだったのだろうか。

 

 

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