第5話 犬養桜は有住愛花で、そして私の恋人である




「――私が、犬養桜です。ずっと黙っててごめんなさい」

 私の前で頭を深く下げ、愛花はそう言った。



「ちょ、ちょっと! 頭上げてよ!」

 そう言って促したものの、愛花が頭を上げる様子はない。

 ごめん、とちいさな声で呟かれると居た堪れなくて、肩を掴んで無理やり身体を起こした。


 愛花の瞳は揺れていて、不安そうな色が滲み出ている。

「怒ってないよ」

 なるべく目を逸らさないように、愛花の瞳を真っすぐに見て、そう言った。

 こちらはもう、大分前から悩みぬいて一周回って落ち着いてきたところなのだ。


「大体さ、自分がVtuberだって打ち明けるなんて、そんな積極的な身バレ、普通しないでしょ。――あと、私もいつもさくたん大好き、だなんて言ってたし」

 これは本心だし、これまでの自分の行動は今思い出すだけでも恥ずかしい。


『さくたん大好き』

『私、さくたんにガチ恋だから』


 愛花がそうだと気づいてからは控えていたけれど、それまではクラスやバイト先でも近い人達には犬養桜への愛を囁いていた。

 特に愛花には私の大好きなさくたんの事を教えたくて、嫌がっているのに何度も話していたし。

 思えばその度にイヤそうな顔をしていたのは照れ隠しで、顔が真っ赤になったりしていたのは本気で恥ずかしがっていたのだ。


 そう思うと、愛花の事が本当に愛おしくて、この人が私の恋人で良いのかという気になる。


 だから、もう謝って欲しくない。

 少しくらい、私だってカッコつけて自分の度量の広さを見せてやりたいとも思う。

 ちょっと寂しかった部分はあるけど。


「もう気にしなくていいから」

「……ありがとう。でもね、歩がずっと犬養桜を応援してくれているのに黙っていたのは、やっぱり気まずかったっていうか、苦しかったっていうか。さっちゃんにも、バレないように協力してもらっていたから余計に隠し事している気になっちゃって」

「え?」


「――歩、ごめんちょっと肩、痛いかも」

「あっ、ごめん」

 思わず愛花の肩を強く握り過ぎていたらしい。

 ぱっと、とその肩を離すと当然だけど愛花との距離が少し開いた。

 その距離感が、少し寂しい。


 たまに、何故かさっちゃんが愛花をフォローし出す場面があった事、休憩時間に屋上へと続く階段の隅でふたりがくすくすとお喋りしていて、愛花が頬を赤らめていた事、さっちゃんに愛花が相談している事がある、と言っていた事。


 私にはその内緒の相談を教えてくれなかった事。


 一度は決着をつけて乗り越えたはずの事柄が、また姿を現した。


 ふたりはそうしてずっと前から、この秘密を共有していたのだ。

 私には内緒で。

 私に言えなかったのは仕方のない事で、分かっているけど、分かってはいるけど。


 一度は整理したはずの気持ちが、またじわじわと滲み出るように黒く染まっていく。


「あーっと、あ、あのさ、さっちゃんには言えて私には言えなかったのは……さ、……」

 私の事、信用してなかったって事かな。

 と、そんな言葉が口から出そうになって、踏みとどまる。

 でもここまで言ってしまえば、言ってしまったも同然だった。


「違うっ! ……そうじゃなくて」

 愛花が焦るように身を乗り出す。

 泣かせたいわけじゃないのに、苦しそうな愛花の顔は泣きそうで、その表情を見て、私も、苦しくなってきた。


 でも、私だって本当は愛花と秘密を共有したかったのだ。

 さっちゃんがいたあのポジションは、本来、恋人である私の場所じゃなかったのか。

 だなんて、いま考えても仕方のない事がぐるぐると心の中で湧き起こり、とぐろを巻く。


「ごめん。私のせいだよね。私が、さくたんのことでいつも騒いでたんだし、頼りない……から」

 そう、頼りないから大学にも落ちたのだ、きっと。だから悪い事が起こるんだ。


 ふたりで座るベンチの周りには、誰もいない。

 元はと言えばきっと、私が全部悪いんだと思う。

 だから愛花は、きっと悪くない。


 姿勢を正して、ちいさく深呼吸をする。

 体勢を変えて座り直したことで、愛花との距離は更に開いた。

 少し気持ちを切り替えよう、と目を逸らした時だった。


 ――距離を詰めてきたのは、愛花だった。


 ずい、と身を寄せて来たかと思うと、ぱくぱくと口を開いて何かを言いかけては、やめる。

 かと思えば、聞こえるか聞こえないかの声量で何かを呟いているので、耳を寄せると、どうやら「歩は、頼りになる……よ」と言っているようだった。

 言い終わると同時にきゅっ、と服の裾を掴まれる。

 目には涙が溜まり、今にも零れそうだった。唇もきゅっ、と固く結ばれている。

 鼻も少し赤かった。


「………」

 愛花の必死さに、自分の器のちいささを恥じる。

 反省して、私が何かを言い始める前に、愛花がまた意を決したようにぽつりぽつりと話し出した。


「私さ、怖かったんだ」

「怖い?」

「うん。身バレしてさ、皆の私を見る目が変わるのが。信じてないわけじゃないよ。でも、学校にいる時に自分に自信のない私にとって、私が犬養桜だってバレた時、皆の私を見る目が変わるのが、怖かった。だから言えなかった」

「……」

「だって私は犬養桜みたいに、明るくも無ければ愛想もないからさ。人に愛される要素なんてない。犬養桜ならできることが、有住愛花にはできない。――友達だって、できたのは歩達がほとんど初めてなんだ」

 そう言って笑う愛花は、あんまり上手に笑えていなかった。



「それって、私も?」

 私の服を握る愛花の手を包み込む。

「……うん、歩は、特に犬養桜が大好きだったから、がっかり、されたくなかった」

「……そう」


 それを聞いて、愛花の手を、大切なものを扱うように柔らかく握り直した。

 でも逃げられないように、握る手にはしっかりと力を込める。

「愛花、あのさ」

 うん、と少し怯えたように私を見上げる顔を見て、色んな衝動が沸き上がるけれど今は我慢する。

「私の好きな人の事、悪く言うのは駄目だよ」

「へ?」


「私の好きな人はさ、不器用なんだ。真面目だし、ちょっとドライに見えるところもあるけど、心を許した人達にはとことん心を開いて、そういう時はどっちかというとちょろくなる」


 ゲームが下手くそで、視聴者からのふざけた相談にもマジレスで答えるところ、でも仲の良いライバーにはいじられやすいところ。

 クラスではあんまり喋らないし優等生だけど、私やさっちゃん、洋ちゃんの前だとクールな仮面が剝がれ落ちるところ。ちょっとヤキモチ妬きで独占欲があるところ。


「あとしっかりしているようでどこか抜けてて、でも仕事を任されたらやりきる責任感もある」


 配信でMCを任されて悩みながら乗り越えていた。学校で劇の主人公に抜擢されて腹を括って演じきっていた。


 私は沢山、愛花のいいところを言えるし、犬養桜との共通点だって言える。どれも今更だけど、でも、同一人物だって気づいたら、全部それは確かに私が見てきた愛花そのものだった。


「私の好きな人は、配信でもプライベートでも変わらないんだよ」

 愛花を抱き寄せ、その頬に自分の頬を寄せる。


「私は、愛花に出会う前から愛花のことが好きだったんだね」


 好きだよ、と言うと、愛花は私に、ありがとう、と返した。そして私の肩に目元を強く押し付けたまま、暫く動かなかった。





 暫くそうして抱き合っていると、ふいに振動音が鳴っていることに気づいた。

「着信だよね。出た方がいいよ」

 もう少し抱き合っていたかったけれど、そう言われたので、渋々離れ、ポケットからスマホを取り出す。

 そして、表示された着信相手を見て目を見開いた。


「……大学だ」

「えっ」


「もしもし、吉谷です」と通話に応じると、身振り手振りで愛花が、スピーカーにしろ、と訴えてきたので、スピーカーに切り替える。

 着信は私が受験した大学の学生部の職員の人からだった。


『後期試験の合否発表後に欠員がでまして。吉谷さんが補欠合格者リストにお名前が挙がっていたので、ご連絡差し上げました。進路はもうお決まりでしょうか』

「「決まっていないです!」」

 何故か愛花も横から叫んで答えていた。


『では、ご入学の意思がありましたら繰り上げ合格とさせていただきますので、少し説明させて頂きますね――――』



 一通りの説明を受けて通話を切り、暫しの間、放心状態になる。

 もしかして騙されているのか、と一瞬そんなことが頭を過ぎったけれど、教えてもらった入金口座を検索すると大学だし、そもそも着信履歴の番号も間違いなかった。

「受かった……?」

「受かっ、た、ねぇ。最後の最後で引っかかった、的な……?」


 ぽかんとした顔で呆けていたら、愛花に肩を掴まれた。

「何してるの!すぐに親に電話!入学金さっさと振り込む!お金の用意がすぐにできそうになかったら、私の貯金おろすから!」


 泣いたばかりで少し血走る目をみながら、私の彼女は、凄く頼もしいなぁ、と思ったのだった。

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