処刑課執行官-アクライ

@maow

第1話 執行官-アクライ

「はあ、はあ、はあ………………」




人気のない寂しい路地を男が一人必死の形相で走っていた。お世辞にも立派とは言えない、みすぼらしい服を着た中年の男はたびたび後ろを振り返りながら入り組んだ路地の中を駆けづり回っていた。




「だれか、だれでもいい、だれか、助けてくれ」




疲弊しきってている肺から絞り出る枯れ果てた声。それはいともたやすく暗闇の中に飲み


込まれていった。男を助けるものは誰もいない。男の声が届くことはない。




「くそっ、くそっ、ちくしょぉぉぉぉぉぉぉ」




男がいるのはこの世界の中心セントラルの外縁。


セントラルとはこの世界の最重要拠点であり、セントラルの行動がこの世界の行く末を決


定する、まさにこの世界の心臓であり頭脳と呼べる場所である




そんなセントラルでもセントラル中央と呼ばれる中心部分は真夜中でも人口の光に照らさ


れており、賑わいが溢れ人の活気で満ち満ちている。もちろん、いい意味だけではないが。




それに引き替えセントラル中央を取り囲むようにして造られたベッドタウン、セントラル


外縁にセントラル中央のような街を照らす街灯はなく同じセントラルと思えないほど暗く


しんと静まり返っていた。




「もう少し、もう少しだ」




立ち止まった男の額から黄ばんだ汗が流れ落ちる。




「もうちょっとなんだ、もうちょっとで俺は」




自分を鼓舞しながらなんとか折れかけの心を保つ男。鉛のように思い足を


前へと、少しでも前へと動かしていき、そして……




乾いた靴の音に男は捕らえられた。




コツ、コツ




一定のリズムで石畳を蹴る無機質に高い靴の音。その音が男を恐怖と絶望のそこへ、叩き


落とした。




「ひいぃ、来るな、来るなっ、来るんじゃねえ」




男は土と泥まみれになったズボンのポケットから黒ずんだナイフを取り出すと暗闇に向か


って無造作に振り回した。当然、ただのナイフが実態を持たない暗闇を切れるわけがない


のだが、ナイフが空を切るたび、男の焦りはさらに加速する。




コツッ、コツッ




音が徐々に、大きなっていく。




「来るんじゃねえって言ってるだろう」




恐怖で足がすくみ動けなくなった男は狂ったようにその場でナイフを振り回し続ける。誰もいない路地で狂喜乱舞する男、その前に二十代くらいの若い男が暗闇の中から現れた。




それと同時に男を追い詰めていた音が止んだ




「て、てめえは」




暗闇から現れたのは大判の本を片手に持った目つきの悪い黒髪の青年だった。




青年はナイフを持った男をつまらなそうに見ると静かに男の方へ歩みをよって行った。




コツ、コツ、コツ




「く、来るなっ、これ以上来たらこのナイフでてめぇの心臓をぶっ刺すぞ」




男は青年に向かって首を切るようにナイフを振った。しかし、青年が歩みを止めることは


なかった。




「来るなっつってるだろっ」




男の藁にすがりつくような悲痛な叫びも青年の足を止めるには至らなかった。




青年は静かに美しい模様の彫られた黒い本をめくった。




「で、で、できねぇと思ってるのか。だだ、だったらそれは大きな間違いだ


俺は本気だ、本気でてめえを殺す。なぜなら俺は」




「もうすでに一人やっている……か」




青年の無機質な鋭い言葉に男は胸を刺された錯覚を覚えた。




混乱し熱をあげていた男の背筋が凍っていった。




「ど、どうしてそれを」




「今から二時間前セントラル中央に住む三十代の女が背中を鋭利な刃物で刺され死亡する


事件が起きた。室内は荒らされており、手近にあった高価なアクセサリーや財布が盗まれ


ていた。床に土のついた靴の跡があったことから、窃盗目的で侵入してきた犯人が家主に


見つかり殺人に至った、というのが今回の事の顛末だろうな」




つい先ほど発覚した殺人事件の真相を青年は心底興味ないといった顔で話した。




「全く、つまらん事件を起こしたもんだな。ダリオ」




「っ、どうして俺の名前を」




突然名前を呼ばれ驚くダリオ。そんなダリオの姿を青年はやはりつまらなそうな顔で見て


いた。




「書いてあるからな。このインスクリプションに」




そういって青年は手に持った黒塗りの本をけだるそうに持ち上げた。




「名前だけじゃないぞ。ダリオ、家名はなし。セントラルより南に位置するサウス出身で


娼婦の母親より生まれる。父親は当時ごろつき集団の下っ端で十年以上も前に他のごろつ


きとの交戦中ナイフで刺され死亡。母親もお前が少年の時に客の男に病気を移され死亡し


ているな。母親の死後、生計をに盗みに手を染めるようになったのか」




ダリオの体に戦慄が走った。まるで体内を得体のしれない寄生虫が這い回っている感覚。青年は言い当てたのだ、会ったこともないはずのダリオの名前を、その生い立ちを、それだけではないダリオ自身さえ知らないくそったれな父親のことも…………




青年は言った。今言ったすべてが青年の持つ黒い本、インスクリプションに書かれているのだと。つまり、ダリオでさえ知らないダリオの事が青年の持つ本には書かれているのだ。




百パーセントの真実として。




「さて、こんなことに時間をかけていても仕方がない。さっさと終わらせるぞ。」




青年は開いていた本を閉じるとダリオに向かって腕を伸ばした。同時に青年の背後に広が


る暗い陰の塊が怪しく蠢き始めた。




「俺の名前は処刑課所属、執行官アクライ」




「処刑課、執行官」




アクライの背で蠢いている陰が徐々にその姿形を変貌させていく。




「神に代わって、これより貴様に刑を執行する」




「ま、待ってくれ、殺ったのは俺じゃ」




蠢く陰の塊から、九つのアギトが生まれた。




「ならそのナイフについた血はどう説明する気だ」




「っ、こ、これは」




足のないオオカミのような姿をした九つのアギト。その紅玉に怪しく光る瞳すべてに戦く


ダリオの姿を映し出された。




「冥土の土産だ。名前ぐらい覚えて逝け」




九つの黒いアギトはそのどう猛な黒い牙をいっぱいに広げて一斉にダリオへ襲い掛かった。




「ま、まって、まってくれ、ぐああああああああああああああああああああ」




ダリオの断末魔は一分もかからずに終曲を迎えた。肉食獣に食われる草食獣のように黒い


アギトはダリオの全身に噛みつき骨を千切った。肉はすべて喰われ、凶器のナイフと骨は


はすべてアギトにかみ砕かれた。




後に残ったのはアギトの食いかすと辺り一面に飛び散る血痕だけだった。




「……つまらん」




アクライは九つのアギトをすべて自分の体内に戻すとそのまま闇の中へと消えていった。











その男の人生を一言で表すなら間違いなく、




「つまらない」




その一言に尽きるだろう。




つまらないイコール平凡、というわけではない。実際男の人生は普通とよぶにはあまりに


も異質であった。男の人生は決して普通ではないし平凡なものでもなかった。ただその男


の一生はあまりにもありきたりだったのだ。




男の人生には男を助けてくれるヒーローも絵画として切り抜きたいドラマっチックなワン


シーンも訪れることはなかった。




男は娼婦の子として生まれた。当然父親の顔など知らない。


母親から碌に愛されず、食事も与えられてこなかった男が悪事に手を染めるのは当然の結


果と言えた。男は足りないものすべてを盗みによって賄おうとした。




そんなことできるわけないと、知っていても。




盗みで賄えたのは生きるのに最低限必要なものだけ。何度盗んでも、何を盗んでも満たさ


れない空白を男は酒に溺れることで忘れた。




その日暮らしの日銭を稼ぎ酒を浴びる生活。




そんなどうしようもなく救いのない日々は唐突に終わりを迎えた。




男は下手を打った。いつもは外出してるはずの住人が忘れ物でもしたのか帰ってきてしま


った。盗みの最中に不測の事態が起こった時、いつもなら即時その場を離れるというのが


男の鉄則であった。しかし、できなかった。毎日浴びるように酒を飲んでいた男の体は肝


心な時にいうことを聞かなかった。




誰もいるはずのない我が家に見知らぬみすぼらしい男を見つけた女は割れんばかりの


悲鳴を上げた。




女のパニックは盗み常習犯の男にもいともたやすく伝染し、そして……




慌てた男は護身用に持っていたナイフを家主の女に向けた。




黙れっ




男の発した無言の意思が女に届くことはなかった。今度は女に男のパニックが伝線した。


女はさらに大きい悲鳴をあげた。




焦った男は女の口をふさごうと鈍くなった体を動かし女に近づいた。身の危険を感じた女は助けを呼ぶため電話に手を伸ばす。一瞬女は無防備な背中を男に晒してしまった。




そこからは一瞬の出来事だった。




気づけば女は血で濡れた高価カーペットに横たわっていた。




男は身近にあった金目の物を手に取り、窓から逃げ出した。あれほど重かった男の体が今


では空気のように軽くなっていた。




セントラルから抜け出し、南にあるサウスへ逃げ込むため。男は路地を駆け回った。空気


のように軽く、感覚の失った体を必死に動かして。




男は正体不明の恐怖から逃げ続けた。




そして…………




コツ、コツ




正体不明の恐怖が冷たい足音となって男を現実へと引き戻した。




途端、男の足は鉛のように重くなった。




それでも男は足を動かし続けたが、結局その恐怖から逃れることはできなかった。




暗闇から現れた目つきの悪い若い男。男には一生縁のない豪華な黒服に身を包んだ姿はま


さに高貴な死神。死神相手に下等な人間が一矢報いれるわけもなく、その死神の鎌が男の


目掛けて振り下ろされそうになった瞬間、男の脳裏にある景色が浮かんだ。それは、




何もない一面真っ白な空白の空間。




生まれながら何も持たず、何も与えられなかった男は死ぬ最後の瞬間まで何も持たないま


ま、空っぽの箱のままこの世を去ったのだ……


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