25 ルショウ

ハッキングやジャミングなどの敵の妨害を乗り越えた僕は、それからもやることが山積していた。

なんとか警察も動き出しそうだと安堵した瞬間、スマホのカメラに映った光景は詩音に襲い掛かろうとする茂木の姿だった。

「詩音ッ!!!」

思わずスマホから叫び、すぐさま後悔する。

しかし次を考える間もなく、横から出てきたピストルによってその後悔もろとも茂木の頭を吹き飛ばした。

殺人。

日本ではめったに起こらない最凶の犯罪。

それがあまりにも簡単に起こってしまった光景に僕だけでなく詩音も理解が追い付かず、固まってしまった。

「ようやく出てきてくれましたね。AII。いや、レイフ・フェイク=リベリオンと呼ぶのが正解でしょうか?」

そのおかげで、まるで晴れの日に良い天気ですねと交わされる挨拶かのごとく当然のように呼びかけられた声に、僕はすぐさま反応することができなかった。

「メールを打つ手間が省けて助かりましたよ。スマホに君がインストールされていたという話を聞いて、実はスマホが壊れていないと踏んだのですが読み通りだったようで」

にこやかな表情をスマホのインカメに向けてくるサングラスにスーツの男。

今更ながらに理解する。どうして詩音の襲われているところがカメラに映るようになっていたのか。

答えは誘拐犯側が見せていたという以外にないだろう。

余裕がなかったとはいえ、そこに気づけなかった自分が腹立たしい。

「いやーほんと出てきてくれて助かりましたよ。これから汚い交尾を見せられるのかと辟易していたところだったので」

怖いことをよく笑顔で言うものだ。

察するに、詩音を餌に僕は吊り上げられたということなのだろう。

もしかしたら茂木を使った誘拐を計画した時点でここまで見越していたのかもしれない。

何のためらいもなく、僕の出現と同時に殺したということが最初から使い捨ての駒にする気だったと物語っている。

「申し遅れました。私はルショウというものです。さっそく取引をと言いたいところですが……さすがに時間を与えすぎましたか」

ルショウと名乗った男は倉庫の扉へと顔を向ける。

扉には無数の警官が押し寄せ、皆一様に銃をルショウに向けていた。

「警視庁だ! 殺人及び誘拐の現行犯として逮捕する! おとなしく銃を下ろせ!」

何とか間に合ってくれたようだ。

諸実さんが僕のことを信頼してくれたおかげでどうにか警察に情報を渡すことができたのだ。

これで相手も身動きが取れなくなったことだろう。

「わざわざ大人数で来てご苦労様とお茶でもお出ししたいところですが……」

ところがこの絶体絶命と思われる状況でもルショウは何食わぬ顔をし、ピストルを握った右手を詩音に向け、もう一度微笑んだ。

「お茶はないので人質に鉛玉ならお出しできますがいかがでしょう?」

クソッ。結局詩音が危険に晒されたままだ。

ただ純粋に疑問を抱くことは、なぜこんなに余裕ぶっていられるのだろうか?

彼らが予定している船便の出航まで既に1時間を切っている。

こんなに囲まれた状況から人質を残して脱出できるとでも思っているのだろうか?

「さて、余計な邪魔が入ったことですし、さっさと取引を済ませてしまいましょうか」

「おい! こっちの話を──」

──ドンッ

さっきと似たような音を立て、声を荒げた警官が崩れ倒れゆく。

何事もなくピストルを詩音に向けなおしたルショウは、けだるそうに体を警官達の方へ向け、口を開いた。

「あなた方は本当に野暮な人たちだ。あなた達の知らないところで戦争は既に始まっているのです。もう何も知らないただの番犬がしゃしゃりでる幕じゃない。既にただの無力な傍観者なのですよ」

たった今も殺人を行った犯人に諭すような口調で話しかけられ警官たちは混乱する。

なぜ自分たちの同僚は殺された?

なぜ今彼はわけのわからない言葉を並べ諭そうとしてくるのだ?

そういった困惑が手に取るように伝わってくる。

「いいですか? 今私は人質をいつでも殺すことができ、その実行能力があることは、今あなた方は身をもって体験したはずだ。であれば命を最優先して我々の要求を聞くしかない。違いますか? 私は始まった戦争を勝ち抜くための交渉をしにこの場所にきている。それが終わればちゃんとこの場を片付けてあげますから、それまで大人しくしておいてください」

ルショウの話が区切られると同時に、銃を構えた男たちが倉庫の奥から出てくる。

両勢力が対峙し、膠着するのを見届けてからルショウはこちらに顔を戻した。

「さあ、では交渉しましょうか。内容はシンプルに、詩音さんをこのまま連れて行かれたくなかったら大人しく私たちの会社、Yeem社に所属すればいいというだけです」

にこやかな口調でこちらへの交渉を開始する。

しかし、あまりにも向こうが全くリスクのないような言い方だな。

「詩音を殺してしまった瞬間からあなたも人質を失って捕まるのですが、そんな簡単に捕まりそうな交渉条件を受け入れられるとでも?」

もちろん詩音を殺させはしないが、あまりにも安くみられるのは腹が立つ。

「ああ、Roplar社からこちらの情報を何も聞かされてなかったのですか」

しかしこちらの揺さぶりに、向こうは拍子抜けしたような表情を見せ、何やら思案するような素振りを見せるのみだった。

Roplar社とは僕を開発、つまり怜輔から人格をコピーしてAIにした会社だ。

しばらくRoplar社でVTuber活動を行っていたが、あるときハッキングを受けて逃げ出してきた。

詩音に出会ったのはちょうどそのときだ。

ルショウの口調から察するに、もしかするとハッキングを仕掛けてきたのがルショウたちの会社だということなのだろうか? それにしても何の話をしているのか。

「そうですね、どうせ私たちの仲間になるなら少しくらいは私たちのことを知っておいていただかないと困りますからね。今から少しばかりレクチャーしましょう」

まあ何やら教えてくれるらしいし、今は黙って聞くことにしよう。

「レイフさん、あなたはAIIとRoplar社から呼ばれ、我々他の企業もあなたのことをそう呼んでいますが、その実際はAIの進化系というよりはVirtual Human、日本語で言うと仮想人間でしょうか、そう呼ぶ方が適切でしょう」

「Virtual Human……?」

詩音が疑問符をつける。

「ええ、人間の電気信号をすべてコピーし、仮想空間内で復元する。これだけ聞くと簡単そうに思えるかもしれませんが、我々他の企業がいくら実験を行っても完成させることができていない。レイフさんは世界で唯一のVirtual Humanなのです」

「え、人間の電気信号をすべてコピーって……まさか、怜輔の……」

「あら、婚約者なのに何も聞かされてないんですか? ──ああ、そうか」

一人納得した表情した後、ルショウはスマホの画面を詩音に見せ、嗤い出した。

「人間らしい……どこまでいっても人間らしい。…………そして実に人間らしくない。ここにいるレイフ・フェイク=リベリオンは星月怜輔であり、星月怜輔でないことを誰よりも自身が理解しているのです。自分はコピーされた存在だと理解し、それでもなお正気を保てる人間はいない──ただ一人星月怜輔を除いて。我々はおろか、レイフさんの開発であるRoplar社でさえも他にAIIを作りだせない理由がこれです。自分を偽物だと受け入れてなお立ち上がれる人間がいないから。レイフ・フェイク=リベリオンはMRIでスキャンされるまでの星月怜輔の記憶や人格を有していても、それ以降はお互い違う生を歩んだ存在であり、星月怜輔と同一人物ではない。そう思い、あなたに打ち明けることができなかったのでしょう。偽物は本物になれないと理解しているからこそ。まさに最高傑作じゃないですか!」

素晴らしいと嗤うルショウ。しかし、僕の意識は違う方向へ向けられていた。

そう、バラされたのだ。僕の正体を、詩音に。

あのとき──詩音が連れ去られる前に僕は詩音に打ち明ける決心をした。

そして打ち明けようとしたとき、詩音は目の前で誘拐され、今こうして自分から言うべきことを他人に喋られている。ご丁寧に僕の心情を勝手に暴露するというオマケ付きで。

どうして、言わせてくれないのか。

運命の神とやらがいるなら散々呪ってやりたいが、こればかりは自分のせいだと分かっている。

もっと早く決心をつけられなかったからだ。

自分の心の弱さが、この事態を招いたのだ。

己との闘いの敗者に今更何を語れというのだ。

目の前の詩音を見る。

詩音はこっちをじっと見つめていた。

──怖い。

ただひたすらに怖い。

僕のことを偽者だと罵るだろうか?

僕の存在が怜輔をあんな風にしたというのだろうか?

わからない。それが──ただ怖い。

ギリッ──

目の前の詩音が歯を食いしばる。

その眼は怒りに満ちていた。

「あなたがっ──あなたたちがっ──」

突然ルショウを見上げ、口を開く。

「怜輔をこんな風にしたのか!!」

…………。

ほら、やはり僕は受け入れられなかった。詩音にとっては邪魔でしか──

「怜輔を病院に倒し、レイフ君を追い詰めてこんな眼にさせたというのか!!」

──────え?

「怜輔の人格を電子情報化した存在がレイフ君だというのは理解できた。というか納得がいったよ。レイフ君はあまりにも怜輔っぽいのに、怜輔はレイフ君みたいに超人じゃない。ずっとわからなかった部分だったから。でも問題はそこじゃない!」

詩音はルショウをにらみ上げる。

「怜輔がっ、レイフ君がっ、なんでこんな目に遭わされないといけないの!? いきなり脳に損害を与えられて怜輔は起き上がられなくなり、レイフ君は今こうやって自分の存在がゆえに追われているわけでしょ? 一体何をしたっていうのよ!」

涙ながらに語気を荒げる詩音。

ああ、今更ながらなんて良い婚約者だと思う。

僕のことを独立した存在として見てくれている。

僕のために怒ってくれる人がいる。それがなんと幸せなことか。

「あなたや星月怜輔、そしてレイフさんには同情します」

ルショウがぽつりと零す。

「だったら──」

「しかし、同情はなんの障害にも成り得ません。我々には仕事があり、AIIを作り、奪い合う競争相手がいるのですから。そんな感情は邪魔なのです」

冷たく、しかしきっぱりと言い切るルショウの声が聞こえる。

「責めるのは結構。あなたたちにはその権利があります。ただし、我々の邪魔をするようであれば、我々は容赦なくあなた方を潰します」

ルショウの声はどこまでも冷たく、僕らを沈黙に追いやった。

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