6 恋愛感情
自分で言うのもなんだが、私は自分を生まれながらの勝ち組だと思っている。
恵まれた家庭環境や親の資産、非のうちどころのない学歴、他人からよく褒められる容姿。芸事は何をやっても表彰され、さらには同じスペックで相性も悪くない婚約者までいるという誰からも羨ましがられるような存在だった。
これだけ聞くと、満足な人生だなと感じることだろう。
実際、勝ち組だという自覚はあったし、これ以上の生活はそう無いだろうと思う。
しかし、人間は満足できない生き物だ。
ある研究によると、人間は800万円ほどの年収があれば、経済的側面から得られる幸せはピークに達すると言われている。
もちろん私自身が収入を得ているわけではないが、経済的に充実した環境で育て上げられた人間であることには変わらない。
変わらない日々に幸せを感じることは難しい。
自分はまだ大きく感情を揺さぶられるものを見つけられていないのではないか、それが私を本当に幸せにしてくれるのではないか?
そんな漠然としたものを抱えつつも今自分の持っている全てを失うのが怖くて、他人からは羨ましがられ、自分はつまらないと感じる少し幸せで退屈な20年を過ごしてきた。
それが正しいことは理解していた。
このまま何事も無くエリート街道でキャリアを積んでいき、結婚して子供を産むのが一番幸せになれるルートだとは今でも思っていることだ。
それを理解していたからこそ私は道を踏み外すことなく真面目に振る舞って生きてきた。
しかし、その幸せは突然に砕かれた。
私の婚約者、星月怜輔が植物状態になったのだ。
何の前触れもなく倒れ、病院に運ばれたときには脳死一歩手前だったと言われた。
辛うじて生命活動は維持できているが、回復する見込みは薄いらしい。
そう診断結果を聞かされて、私も私の両親も、当然怜輔の両親もしばらく喋れなかった。
しばらく経って、怜輔の両親から婚約解消の話を持ち掛けられた。
まあ当然と言えば当然だ。治る見込みがないと言われて、年頃の相手を拘束し続けることに罪悪感が抑えきれなかったのだろう。こちらからも切り出しにくいことだろうと思って気を利かせたであろうことも容易に想像できた。
だが、私はその話を断った。
そのときになって私は気付いてしまったのだ。怜輔が好きだったのだと。
退屈な日々の一員だった怜輔は、当然のように代わり映えのしない、少し幸せにしてくれる要素の一つでしかなかった。
互いを理解し、怒ることも無く、一緒に遊ぶと少し楽しかった人。
恋心を抱くことは無かった。その人がいないとダメとまでは実感しなかったから。
恋とは相手を自分のものにしたいと思うもの。怜輔は既に自分のものだと無意識に思っていたのだろう。
実感はしなくても、怜輔は自分を一番理解してくれている人だとは分かっていた。だから結婚することに何も不満は無かった。おそらく怜輔も似たように考えていただろう。
あの日、怜輔がもう戻ってこないだろうと聞かされた時、私は失ったものの重さを知った。
代り映えのしない退屈な日々、それが何よりも大切なのだとようやく気付いた。
──気付いた時にはもう遅かったが。
怜輔は今も病院で寝ている。大脳のほとんどが機能を停止し、完全に元に戻ることは無いだろうと言われている。
婚約解消すべきなのはわかっている。だがどうしてもできなかった。
丁度比較対象になる人がいたからかもしれない。
私に好意を寄せてくる先輩が大学にいるのだ。
婚約者がいると何度説明してもお構いなしに来る。
口を滑らせて怜輔に恋愛感情は無いと言ったのが問題だったのだろう。
仮に怜輔と婚約を解消してもその先輩と付き合う気は全く無いが、比較したときに怜輔がとても素晴らしい婚約者だったと実感したのだ。
──レイフ君に出会ったのはそんな時だった。
病院から帰ってきて絶望の淵に立たされた私は、ベッドの上でその先輩から送られてきたメッセージの通知にVTuberの配信が載せられているのを見た。
彼はVTuberが好きらしく、関心もない私に熱心にVTuberの話を日ごろから振ってきていたのだ。
怜輔もVTuberが好きだったが、やはり私は興味を持てなかった。
ただYouTuberにイラストが付いただけ、その程度の認識でしかなかったのだ。
先輩が送ってきたのは、初配信のVTuberが24時間カラオケ耐久を高いクオリティで行い、現在進行形でトレンドに載っているものだった。
絶望も加わってやはり興味も湧かなかったが、たまたま力の入らない指が触れてリンクを踏んでしまった。
すごい──VTuberを知らない私でも、感情が無に限りなく近い絶望の中でもそう思ってしまった。
20時間以上歌っているのにも関わらず、上手くて迫力のある声だった。
映像もプロが仕上げたのが丸わかりな程に凝っていて、トレンドに載るのも納得だった。
凄いなと思いつつ、他人の幸せそうな光景を祝えそうにない気分から配信を閉じようとしたとき、次の曲が始まり私は驚くこととなった。
なんとベートーヴェンの第九を一人で合唱しだしたのだ。
恐らく録音して流したのだろう。システム自体は分かる。しかし、驚いたのはそこではなかった。
なぜか私は泣いていたのだ。
怜輔はクラシックが大好きだった。
ベートーヴェンの凄さを語り、第九の素晴らしさについても語ってきた。
クラシックとVTuberが好きだった彼。
私もクラシックは好きでよく話は合ったのだが、VTuberのことはあまりハマれずにいた。
この動画が面白いとか言われてもあまりピンとは来なかった。
レイフ君の第九に泣いたのはおそらく怜輔のことを思い出してしまったからではないだろうか。
無意識に彼の姿を重ねてしまったのだろう。
その時は耐えられずに配信を閉じてしまったが、その泣いた時の印象が強かったせいか、レイフ君を追っかけるようになった。
そして気付いた時には推していた。
レイフ君に怜輔の姿を重ねるのはその時の思い出補正が強いからかもしれない。
傍から見たら厄介オタクだということは十分に理解している。
でも、もしレイフ君が怜輔だったら、そう思わずにはいられないのだ。
だって素敵な話じゃないか。
推しが眠りについた婚約者だったら。
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