忘れることのない夕日

きと

前編

 森の中でドラゴンに出会った、と言って信じる人はどのぐらいいるのだろうか?

 釣りをしに来た青年は、ドラゴンが地面に横たわる目の前の光景に、ただただ呆然ぼうぜんとする事しかできなかった。

 青年は、目の前にいるファンタジー世界の存在を観察してみる。

 そのドラゴンは、どちらかというとりゅう、といったほうが正しいのかもしれない。

 へびのようなうろこと長い胴体を持ち、短い手が生えている。大きな口の上には一メートル以上はある髭を蓄えていた。

 大きさは、とぐろを巻いているので、どれくらいなのか見当がつかないが、かなりの大きさであることは分かった。

 青年は、しばらくながめていたがごくりとのどを鳴らし、そ~とドラゴンに近づいてみた。

 ドラゴンは完全に寝ているようで、近くに行けば鼻息の音が聞こえた。

 恐る恐る触ってみると、ごつごつした鱗から温もりを感じることもできる。

 どうやら、作り物でもなんでもない上に生きているようだ。

「……こういう場合、どうするのが正解なんだ?」

 警察に連絡するべきなのだろうか?

 それとも、写真でも取っておくべきなのか?

 いろいろと思考をめぐらせていた青年だが、ピタリと思考が止まる。

 なぜなら、ドラゴンが目の前で動き始めていたからだ。

 どうやら、眠りから覚めるらしい。

「うわっ……うわぁ!」

 情けないさけび声上げながら、青年はドラゴンは人を食うのではないか、という考えに至る。

 相手は完全にファンタジー世界の生き物で、どんな生態をしているのかなど、青年に分かるはずもない。

 だが、青年のイメージでは人にあだをなし、あばれ回る恐ろしい存在だ。

 ――逃げなければ。

 青年は走りだそうとするが、その前にドラゴンが目を覚ます。

 そして、青年とドラゴンは目が合った。

「おや、こんなところに人が来るとは……おどろきだ」

 完全に足がすくんで動けない青年をよそに、ドラゴンはのんびりとした口調だった。

 青年には、ドラゴンの言葉の真意を気にめている場合ではない。

 すぐにでも、何かしないと命の危険があるかもしれない。

「すいません! ここであなたを見たなんて言わないから、食べないでください!」

 そんな青年から出たのは、情けない命乞いのちごいだった。

 ドラゴンは、首を傾げる。

「なぜ、君を食べなければならないんだ? 私は君をどうこうしようとなど、考えていないよ」

 それでも、青年は警戒けいかいを解かなかった。一応、言葉は通じるようだが、心までは分からない。小さな犬だって、何をするのか分からないのに。はるかかに未知の存在であるドラゴンの行動など、予測できるわけがないのだ。

 青年の様子を見て、ドラゴンは、再び首を傾げる。

「おや? 自分と違う動物などにも心を通わせるような行動が、そんなに疑問かい? 君たち人間だって、小さな犬と信頼関係を結べるというのに」

「それは、ある程度したしんでいるからだよ。君みたいな、完全に知らない存在だと、本当に何をするかわからないし……」

「ふふ、そうかもしれないね。犬だって予想外の行動もあるだろうから、慣れが大きいのだろうね」

 ――どうやら、本当におそう気はないんだな。

 ドラゴンの様子を見て、青年はそう結論付けた。

 なんだか、襲うというより、むしろ友和を結ぼうとしているようにも感じる。

「で、君はなんなんだ? ドラゴン……でいいんだよな?」

「そうだね、そう呼ばれる存在だ。見るのは、初めてかい?」

 そりゃあそうだろう、と青年は思ったが、口には出さずにうなずき、続ける。

「それで、ええっと、あなたはこんな所で何を?」

 何がドラゴンを刺激しげきするのか分からないので、言葉を慎重しんちょうに選びながら、青年はたずねる。

 ここは、日本の片田舎の山の奥だ。特にスピリチュアル的に何かあると言う話など、青年は聞いたことがなかった。

 ドラゴンは、青年の緊張きんちょうなど梅雨つゆ知らず。あくまでも自分のペースを崩さないで、青年に答える。

「私は、少しここで休んでいるだけだよ。ここは静かで、川のせせらぎが気持ちいい。ゆっくりするには、絶好の場所なんだ」

「そ、そうなのか……」

「君もそうなんじゃないかい?」

 そう言われて、青年の鼓動こどうが早まる。どう答えるか、迷っているとドラゴンが笑みをこぼしながら、話し出す。

「ふふ、図星のようだね。……一応聞くけど、自殺じゃないよね?」

「それは、違うよ。……まだ」

 そうかい、とドラゴンは短く返事をした。何か言いたげだったが、それ以上青年を追求しなかった。

「じゃあ、俺はこの辺で……」

 そそくさと、青年はその場を後にしようとする。

 が。

「まぁ、待ちたまえ。せっかく時間をかけてここまで来たんだろう? 少しぐらい釣りをしていくといい。なぁに、何もしないさ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 本音を言うと、このやけに紳士的な謎の生命体の横で釣りをしても、心が休まることはないだろうから、帰りたかった。

 だが、逆らうとなんだか怖いので、素直に従うことにした。

 ドラゴンの見ている中で、釣りの準備を進める青年。

 ――なんか、仕事している時に似ているな。

 そんなことを思うと、癒されに来たはずの心がざわざわと不安におそわれる。

 ざわつく心を落ち着かせようと、釣りに集中する青年。

 だが、

「なかなか、釣れないねぇ」

「まだまだ始まったばっかりだから。こんなものだよ」

 青年はそう答えたが、それから三十分経っても魚はれなかった。

 青年もドラゴンも。互いに黙ったままだったが、ドラゴンがその静寂せいじゃくを破った。

「……君。何か悩みがあるね?」

「……なんで、そう思うんだ?」

「長く生きているとね、その人の雰囲気ふんいきが分かるようになってね。今の君は、なんだか、今にでも自殺してしまいそうなほど暗い」

 青年は、ドラゴンの言葉に少しの間、答えなかった。

 こんなことを、見ず知らずの謎の生物に話していいものなのか。

 悩んだ青年は、言いにくそうにしながらも結局は答えた。

「会社で、上手くいかなくて……」

 ドラゴンは、返事をしなかった。

 青年も、そのまま言葉を止めない。

「俺さ、そこそこいい大学も出て、大学院まで行ったんだ。でも、会社ではよくミスするし、仕事の勉強しても全然分からなくって。同期は、怒られることもあるみたいだけど、みんなどんどん仕事を覚えて。ああ、俺はダメなやつなんだって見せつけられている感じがして――」

「消えてしまいたくなる、かな?」

 ドラゴンの言葉に、青年は、びくりと体をふるわせた後、ゆっくりとうなずいた。

「分かってるんだ。こんな釣りなんかしてないで、仕事の勉強しなきゃいけないって。でも、最近はこうして落ち着ける時間がないと、潰れてしまいそうで……」

 ドラゴンは、青年の言葉に深く息を吐き出す。

 ――ため息、か。

 こんな人間の葛藤かっとうなど知るよしもないはずのドラゴンにも、呆れられてしまうのかと思うと、青年の心は締め付けられる。

 背を向けているので、ドラゴンがどんな顔をしているかは、分からない。

 いや、見えていても、表情を読み取ることはできないと思うが。

 そして、ドラゴンは、

「いいんじゃなかな。誰にでも、休憩きゅうけいが必要なんだから」

 と、青年がかけられると思ってた言葉とは真逆の言葉を投げかけてきた。

「え……?」

「どんなに頑張っている人でも、誰しもがほどほどに休憩を取っているものさ。それを周りに見せていないだけでね」

 それは、そうかもしれない。

 ストイックなスポーツ選手でも、休憩を取らないという人はいないだろう。

 でも。

「……俺は、みんなより遅れているんだぜ? それなのに休憩なんて……」

「人は、みな歩く速度が違うものさ。無理して休憩もなしに走っても、つぶれてしまうのがオチだよ。つぶれてしまえば、元通りになるまで時間がかかってしまうしね。何事も無理しない程度が、重要なのさ」

 言いたいことは、分かる。

 分かるけど、青年は、受け入れられなかった。

「悪いけど、そうはできないよ。俺は、みんなに追いつかなきゃいけないんだ。そうしなきゃ、またゴミみたいな扱いを受けるし、陰口かげぐちだって言われるし」

「ふむ。それ聞いて、私が今言えるのは――そんな会社、辞めてしまえばいいってところかな」

 青年は、ドラゴンの言葉に振り向くことも忘れて、目をパチクリとまばたきをした。

 そんな青年を置いて、ドラゴンは、さらに続ける。

「自分のことを悪く扱う人間のそばにいたところで、自分をさらに傷つけるだけさ。それなら、自分のことを大切にしてくれる人の傍にいた方が、頑張りたいって気持ちもわいてくる。それに、人には、適した場所や仕事があるものさ。それを探したほうが、身のためじゃないかい?」

「そ、それはそうかもしれないけど、上司にこんなことで折れていたら他でもやっていけないって……」

「そんな言葉は、無視していいよ。勝手に上司が言っているだけさ。君をくさりでつなぎとめて、犬みたいに飼いならしてやろうっていうよこしまな考えで、適当に言ってるだけだよ」

 青年は、考える。

 どうするのが、正解なのか。

 今、目の前にある二つの道。

 辞めるか、続けるか。

「……後は、君がどうしたいかだよ。正解なんてない。君がどうしたいかだ。言っておくけど、三年勤めてないからやめないとかは、考えない方がいい。三年経たずに辞めて、きちんと仕事をしている人もいるからね」

 自分が、どうしたいか。

 就職活動も苦労したのを覚えている。

 やっとの想いで、見つけることができた就職先だった。

 両親も喜んでくれた。

 その場所で、辛い想いをしている。

 このまま、今の場所に居たら、つぶれてしまうかもしれない。

「……今は、答えを出せないよ。でも、今のまま仕事をするのは、つらい」

「なら、最後に言っておこうかな? 君の気持ちは君だけのものだ。辛いものは辛いでいい。誰かが、その気持ちを否定するのは、おかどちがいだ。どうか、君は君の心に素直でいておくれ。難しいかもしれないけどね」

 ドラゴンは、大きく呼吸をすると、

「すまないね、私は眠るよ。ちなみに、君の名前は?」

「……神楽泉かぐらいずみ

「ふむ。では、いずみ。おやすみ。久々に誰かと話せてよかった。もしよければ、また来てくれ」

 ……泉は、その後しばらく本来の目的である釣りをして、帰っていった。

 未知なる存在からかけてもらった優しい言葉。

 釣りの最中さいちゅう、その言葉を、頭で何度も繰り返した。


「……ん? まさか本当にまた来てくれるとはね」

「あの時の答えが出たから、報告しておこうと思ってね」

 最初にドラゴンに出会った二週間後。泉は、再びドラゴンのもとおとずれた。

 正解のない問題。

 その答えを、見つけ出したから。

「……会社は、辞めたよ。俺がそうしたかったから」

「そうかい。君がそうしたいなら、私も何も言えないな」

 二週間。これほどまでに悩んだのは、泉の中で初めてだったかもしれない。

 両親への迷惑めいわくやお金の問題。再就職への不安。

 やはり、無理してでも続けるべきかと、何度も思った。

 でも、大切なのは、自分がどうしたいか。

 その言葉を信じて、会社を辞めることを選んだ。

「ありがとうな。なんかスッキリしたよ」

「だろうね。いい顔をしている」

「なぁ、これからもここに来てもいいか? なんだか、君と話していると落ち着くんだ」

 ドラゴンは、少しだけ微笑んで、泉に答える。

「もちろん。私もここに、ただ寝ているだけだからね。話し相手が欲しかったのさ」

 それからというもの。泉は、転職活動の合間に何度もドラゴンの元を訪れた。

 小さな愚痴ぐちや子供の頃の思い出、今の人間の間で何が流行っているのか、好きな食べ物の話まで。

 理解できないと思っていた未知の存在は、いつの間にか親友なっていた。

 ドラゴンの真意は聞けていないが、少なくとも泉は、ドラゴンと話すのがとても楽しかった。

 この日常が、いつまでも続いてほしい。

 泉は、そう願っていた。

 でも、ある日のことだった。

 泉がドラゴンの元を訪れると、長いローブ姿でフードをかぶり、つえを持った人物がドラゴンの身体を触っていた。

 ――なんだ、あの人?

 泉は、木の陰に隠れ、様子を見る。そして、ある考えに至った。

 ――まさか、未確認生物を調査しに来た国の研究者か!?

 泉は、木のかげから飛び出して、謎の人影にる。

「ちょっと待ってください。こいつは、こんな見た目してるけど、決して人に危害を加える存在じゃないから、ここ居ても安全で。ええっと、だから、どこかの研究所に連れいていくのは、やめて欲しいというか……!」

 突如とつじょ現れた泉に、人影はおどろいたようだったが、すぐに冷静な声で、

「安心せい。我は、こいつをどうこうしようと思っておらんよ」

 そう言ってフードを外すと、恐らく泉と同年代であろう若い女性の顔が見えた。

「我は、りゅうり人。こいつのような龍と呼ばれる存在を管理してるものだ」

「管理?」

「今、龍はどのくらいいて、どこを根城にしているとかを調べている、と思ってくれればよい」

 とりあえず、危害を加える存在ではないようだ。

 そのことが分かり、泉は一先ず胸をなでおろす。

 では、次の問題だ。

「ええっと、それで。なんで龍の守り人さんがここに?」

 ああ、と短く返事をすると、女性は少し考えるような素振りをする。

「お主、こいつとは、友人だったりするのか?」

「ええ、一応。……やっぱり、勝手に友達になったのは悪かったですか?」

「いや、そうではない。……友達であることは、問題がだな」

 言葉の意味が、よくわからず首をひねっている泉を見ながら、女性は意を決したようで、真剣な顔つきになる。

「お主、名前は?」

神楽泉かぐらいずみです」

「よいか、神楽かぐら。こいつは、もう」

 なんだか、嫌な予感がする。

 その泉のかんは、間違っていなかった。

「いつ死んでもおかしくない」

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