第11話

「さあ、起きるのよ」

 深い眠りについていた僕を、誰かが揺さぶった。目を開けると部屋の中はまだ暗かった。誰だろう? まだ夜も明けないのに……。

「おはよう。ここでは朝でも暗いのよ。さあ、起きて顔を洗いなさい」

 聞き覚えのある声だけれど……。

「あっ」

 僕は飛び起きた。

「おやまあ、まだ寝ぼけているんだねぇ。ここがどこだか思い出したかね?」

「すみません……。おはようごさいます」

 そうだった。ここは魔女界。早く二人と合流して、ここを脱出しなければならない。

「外に井戸があるからね、そこで顔を洗うんだよ」

「はい」

 玄関のドアを開けて外に出ると、井戸は見当たらないし、今出てきたドアさえ見えない。

「何をきょろきょろしておるのじゃ。こっちだ」

 ジュリアーノが僕を呼んだが、声の聞こえる方向には、やはり誰もいない。

「こっちじゃ」

 後ろの方から、再び声がして振り向くと、真後ろに立っていた。

「井戸はここじゃ」

 さっきはなかったはずの井戸がそこにはちゃんとあった。どういうことだろう?

「考えるようなことじゃない。あると思えばあるのじゃ。ないと思えばないのだ。分かるか?」

「はい」

 納得はできなかったが、たぶんこの世界ではこれが普通のことなのだろう。井戸の底に水がたまっていて、桶を下ろして汲むという、なんともレトロなものだった。

「ここではイメージが大切なのじゃ」

 確かに、この井戸は僕のイメージしたそのもだった。顔を洗って、見えないドアを開けて家の中に入った。その時に気がついたが、初めてこの家に案内されたとき、ジュリアーノはドアではなく、カーテンを開けてこの家に入った。しかし、僕は家に入る入り口には、ドアがあるという先入観を持っている。だから、入り口はドアになったのだろう。なんとも不思議だ。

「さあ、朝ごはんをいただきましょう」

 シンプルな朝食のあと、

「さあ、あなたは行かなければならない。分かっているわね。私たちは手伝ってあげられないのよ。この世界の者だからね」

 とジュリアンヌが言った。

「はい。分かっています。いろいろとありがとうございました」

 僕は礼を言って、その家を出た。黒い森には僕の行くべき道が標されていた。その道をたどると、目の前にあの大魔女の城が聳え立っていた。見る者を威圧するような迫力のある城を目指し、歩みを進めた。城の立つ場所は、ごつごつした岩山の上、そこには当然ながら道などなかった。魔女たちはそこを歩く必要などない。しかし、人間の僕にとってこれは難関だ。ロッククライミングが得意ならよかったのに。

『イメージじゃよ』

 突然、僕の頭の中で、ジュリアーノの声が響いた。ここで僕は何をイメージしたらいいんだ? ロッククライマーになりきるとか? 魔法使いになって空を飛ぶとか? 山田ならきっとすばらしい想像力でこの難関を切り抜けるだろう。

「よし、登ろう」

 テレビで見たロッククライマーをイメージした。岩の出っ張りに手をかけ、足をかけ十メートルほど登ったが、息は切れるし、指先は疲れ、力が入らなくなった。もうだめだと思った瞬間、身体が岩肌から離れ、仰向けに落ちて行った。このまま死んでしまうのか?

「そんなこと考えちゃだめよ」

 少女の声が聞こえ、僕は網のようなもので掬われた。

「人間って、無力で哀れだわ。このままあなたを大魔女様のところへ連れて行ってあげる。それがあなたの望みでしょ?」

 少女はほうきに乗った魔女だった。僕はほうきの柄にぶら下げた網の中。まるで、コウノトリが赤ん坊を運んでいるみたいだ。

「あなたの友達は無事よ。大魔女様は寛大なお方。この世界に人間が来ることは禁じられている。本当なら処罰されるところを、あの方が保護されているのよ。感謝しなさい」

 僕よりも明らかに年下のようだが、言い方は大人っぽく、麻里を思い出した。そうだ、麻里は大丈夫だろうか? あのあと、ちゃんと家に帰っただろうか? まさか、あのとき一緒にこの世界のどこかに飛ばされたんじゃないだろうか?

「あなた、さっきから誰のことを心配しているの?」

「心を読んだのか?」

「聞こえるんだもの、仕方がないでしょ?」

「妹のことだよ。こっちの世界に来ていないだろうか?」

「それはないわ。だって、あたしたちが見たのはあなたたち三人だけよ」

 それを聞いて安心した。

「さあ、ついたわ」

 少女はそう言って、小さな窓に向かって僕を放り投げた。窓は小さすぎて、僕が入れるとは思えなかった。しかし、窓枠が急に大きく広がり、僕は部屋の中に転がった。

「しばらく待っていれば、大魔女様がいらっしゃるわ。それじゃ、あたしは忙しいから行くね」

「なんて、乱暴なことをするんだ」

 その部屋は床も壁も灰色の石でできていて、ひんやりとしていた。家具も調度品もなく、あるのは大きな姿見の鏡だけだった。僕はその前に立ち、自分の姿を見ようとした。しかし、その鏡は白い靄のようなものを映している。

「その鏡は、今のあなたの心を映しているのです」

 突然、後ろで声がして、振り返ると、そこには若くて美しい魔女が立っていた。

「あなたは……」

「分かっているはずです」

 三つ池では、顔をはっきり見ることはできなかったが、この声は確かに聞き覚えがある。

「三つ池でお会いしましたね」

「ここへは来てはいけない。あなたもそれは分かっていたはずです」

「はい。でも、あれは事故だったのです」

「そうかしら? 時空の裂け目はいつどこに現れるか分からない。でも、わたくしとあなたの間に偶然現れるなんて、あまりにできすぎた話しじゃないかしら?」

「それじゃ、まさか、これはあなたの策略なのですか?」

「だとしたら、あなたはこのあとどうするのかしら?」

 どういうつもりなのだろう? なぜ事故に見せかけて僕らをここへ呼び寄せたのだろうか?

「お友達に会いたいでしょう? 今、会わせてあげます。ただし、今の話しはあなたの心だけに留めておくことです。あなた方にはしばらくこちらの世界にいていただきます。その間、この城内なら自由に見て回ることを許します。この城にはわたくしの力が及んでいますから、危険な目に遭うことはありません。しかし、この城から出れば、たとえ魔女界であっても、魔法使いの手の者捕まるかもしれません」

「あの……。どうして魔法使いたちが、僕ら人間を捕まえるんですか?」

「やぼな質問ですね。かれらは人間を恐れているのでしょう。質問はそれくらいにして、彼らの元へ行きましょう」

 部屋を出て、廊下を突き当りまで歩いた。そして螺旋階段を下りていくと、だんだん窓もなくなり、暗くなってきた。地下に入ったのだろう。大魔女はスティックに明かりを灯し、

「あの子たちには申し訳ないけど、地下牢に入ってもらいました。こちらにも事情がありますから。これはたてまえです」

 そう言って魔女は、鉄の扉の前で足を止めた。何やら口の中で唱えている。呪文だろうか? そのときガチャリッと音がして、錠が外れた。ギシリギシリという重厚な音と共にその扉は開かれた。

「内野、山田!」

 あわてて中へ入ろうとして、思わずつんのめってしまった。

「そそっかしいなぁ」

 倒れ込む僕を、力強く受け止めたのは内野だった。

「よかった。二人とも無事で」

「僕たちは、魔女さんたちに助けてもらったからね。それより僕は、吉田の方が心配だったよ。森の中へ落ちて行ったんだからね。よく無事でいられたよ」

「僕の方もいろいろあったからね」

「さあ、仲間の無事が確認できたところで、さっそく出かけましょうか?」

「あのー、どこへ?」

 地下牢から解放された僕らは、窓のある部屋へと通された。

「これからのことを少し、お話ししましょう」

 大魔女の話しだと、僕らが魔女界に来たことは、魔法界にも知れ渡っているという。そこで、大魔女にはその責任を問われる評議会が開かれる。そのとき、僕らも犯罪者として強制連行しなければならないという。

「怖がらないで、わたくしが何とかしますから。あなた方はこの世界を一つにするために必要なのです。しかし、大魔法使いはそのことにお気づきになられない。評議会は今すぐに開かれるのです」

 僕らは罪人として、一人一人、蔓でできた籠に入れられ、でこぼこトリオみたいな三人のベテラン魔女たちのほうきの柄にぶら下げられた。向かう先は……。

「評議会が開かれるのは、大魔法使いの城です」

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