第98話




***



 シャリージャーラの支配が無くなり、操られていた人々は理性を取り戻した。

 すべてを知った国王は、何が起きたのかを国民に知らせた。

「生贄公爵」の真実を。すべて、余すところなく。




 あの夜から四ヶ月が過ぎたある朝、ライリーは一人で馬車に乗り込もうとしていた。

 ライリー本人はどんな処罰も受ける覚悟だったが、ヴェンディグを捕らえたことに対するお咎めはなしだった。

 ヴェンディグは、自分がライリーに甘えて、離宮に閉じ込めてしまったせいだと訴え、ライリーがどう望んでも彼に罰を与えようとはしなかった。

 それどころか、世話役の任を解き、文官に推薦してくれた。シャリージャーラによって操られた貴族達の被害報告やら聞き取り調査やら、仕事は溢れていたから、とりあえず落ち着くまではとライリーは王宮でがむしゃらに働いた。

 だが、初めから、王宮に居座り続けるつもりはなかった。


「ふう」


 ようやく最後の仕事の目処が立って、この地を去ることが出来る。


 最後にもう一度だけ、離宮の方に目をやった。

 その時、もう二度と聞けないと思っていた声がライリーの耳に届いた。


「ライリー様!」


 驚いて振り向くと、小さな鞄を抱えたニナが、息を切らして立っていた。


「ニナ。どうして、ここに……」

「連れて行ってください!」


 力強く言われて、ライリーは思わず言葉に詰まった。


「私も一緒に行きます!」

「……何を言っている?」


 突拍子も無いことを言い出したニナに、ライリーは唖然とした。

 ライリーは、もう一生、王都に戻ってくるつもりはない。そんな資格はない。

 これから辺境地に赴任して、地方の一文官として働くのだ。栄華とは無縁の、ただの平民文官として。

 伯爵令嬢であるニナとは、もう目を合わせることも出来なくなる。

 だが、ニナは覚悟の決まった顔つきでライリーの前に歩み出た。


「家は捨ててきました」

「何?」

「伯爵家には弟達がいるから大丈夫」


 呆気にとられるライリーを余所に、ニナはにっこりと笑った。


「私も、レイチェル様のように、ライリー様がどんなお姿になっても、誓って愛し続けます。どんな場所でも、ライリー様と共にいたいのです」


 ライリーは言葉が出てこなくて、口を開けたまま硬直してしまった。

 しばしの沈黙が流れ、ごほん、と咳払いが聞こえた。御者が、乗るのか乗らないのかと催促しているようだ。


 ライリーは短い逡巡の後で、ぐっと唇を噛んだ。


「……乗ろう。手を」


 差し伸べられた手に、ニナは幸せそうに微笑んで指先を重ねた。





 悪しき魔物に乗り移られ、数多の貴族を操り、国を混沌に落とした大罪人。

 パメラ・クレメラを、教会の貴族墓地に葬ることは決して許されなかった。

 だが、身寄りのない者を葬る一角に、粗末な墓を立てることは許された。


 その墓に、小さな花束を供える。

 ダニエルは、そこに眠る友人に小さく笑いかけた。


 クレメラ子爵の証言から、モルガン侯爵が逮捕され、エリザベスが助け出された。

 子爵も一時拘束されたが、こちらはすぐに釈放されるだろう。

 ただし、もう貴族としては生きていけない。

 エリザベスにも、帰る家はない。母親の行方も一応おざなりにだが調べられたらしい。だが、行方はしれず。死んでいるか、生きていても死んだ方がマシな暮らしを送っているだろう。エリザベスも、救貧院行きだろう。


「また来るよ。パメラ」


 ダニエルはそう言って、友人に別れを告げて歩き出した。 




***




 レイチェルはヴェンディグの姿を探して歩き回っていた。

 もう時間がない。きっとマリッカが顔色を変えて怒っていることだろう。


「……ヴェンディグ様?」


 なんとなく勘で訪れた地下に、ヴェンディグはいた。

 祠の前で、何かを目の高さにかざして見つめている。


「レイチェル。見てみろ」


 レイチェルに気づいたヴェンディグが手招きする。素直に近寄ると、彼は手にしていた物を見せてくれた。

 コイン大の銅に刻まれた、白い星と黒い蛇の絵。


「これが、カーリントン公爵家の紋章だ」


 蛇の王ナドガルーティオは、いつでもカーリントン公爵家と共にある。

 そんな願いを込めて作った紋章だった。


 レイチェルはヴェンディグの手にそっと手を重ねた。

 ヴェンディグの左半身は、以前よりも深い黒で覆われている。もう、彼の胸から黒い蛇が現れることはないけれど、あの蛇の王は、確かにここにいる。


「そう言えば、あの愉快な妹はどうしている?」

「リネットなら、つい先日とうとう侯爵家を出て今は街でパーシバルと暮らしていますわ」


 レイチェルはくすくす笑った。今はもう、心配などしていない。リネットなら大丈夫だろう。

 アーカシュア侯爵夫妻とは一度だけ話し合いの席を設けた。リネットは侯爵家を継ぐ気はないの一点張りだったし、縋るような目を向けられたレイチェルはそれを無視した。

 最後には父が折れ、侯爵家は親戚を養子にして継がせると決まった。

 帰り際、母がレイチェルに「ごめんなさいね」と言い残した。父と母とはそれきりだ。

 リネットからは時々手紙が来る。パーシバルが医者を目指して頑張っていることや、アビーと喧嘩した愚痴などを面白おかしく綴っている。毎日楽しく暮らしているようだ。


「こっちは後一年待たなきゃ結婚できないんだぞ。貴族は面倒くさいな」


 ヴェンディグが不満そうに言うので、レイチェルは頰を赤くして苦笑いを浮かべた。


「どうせなら、今日を結婚式にしちまえばよかったのに……」


 ヴェンディグがぼやいたのと同時に、地下に駆け込んできたマリッカが二人をみつけて金切り声を上げた。


「なんで主役がこんな地下でのんびりしているんですの!? ほら、早く上がってきてください!!時間に遅れたら王妃様と王太子妃殿下がお怒りになられますわよ!」


 レイチェルとヴェンディグは慌ててマリッカに従った。その二人がこの城で一番強いことは身に染みて知っている。


 本日執り行われる婚約式だって、「別にそんなのしなくても……」というレイチェルとヴェンディグを力一杯説得したのは主にその二人だ。鬼気迫る勢いに飲み込まれてしまったのを覚えている。


「ほらほら急いで!!」


 マリッカに急かされて、慌ただしく準備を終えた二人は、王宮のバルコニーから姿を見せ、前庭に集まった国民に手を振った。


 大きな歓声があがる。

 蛇に呪われた生贄公爵。決して人前に姿を現すことのなかったその人は、今はもう誰の目も気にすることなく自由に歩いている。

 左半身に刻まれた黒い痣を、恐れる者は誰もいない。


 


 この国にはかわいそうな公爵様がいる。


 公爵様は、まだ幼い頃にその身に「蛇の呪い」をかけられた。


 嘆き悲しんだ王様や王妃様はたくさんの祈祷師や魔術師を集めたが、蛇の呪いは解けなかった。


 公爵様はずっと寝たきりで、誰にもお姿を見せない。でも、その身に「蛇の呪い」の証がくっきり刻まれていることは誰でも知っていた。

 公爵様はもうずっと長いこと、「蛇の呪い」に蝕まれ、命を食われているのだ。


 だから、国の者はいつしか、公爵様のことを「蛇に食われた生贄」の公爵——生贄公爵と呼ぶようになった。


 だけど、一人の少女が呪いを恐れずに公爵様を愛した時、人々は真実を知ったのだ。

 呪いなんかじゃない。

 公爵様と蛇の王は、ずっと皆を守ってくれていたのだと。



 そうして、新たに語り継がれる。


 愛を糧にして王国を守った、蛇の王 ナドガルーティオの物語が。





生贄公爵と蛇の王・完


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生贄公爵と蛇の王 荒瀬ヤヒロ @arase55y85

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