第72話
***
王城に戻ってきたレイチェルは、離宮へ帰ろうとして王宮の護衛騎士に止められた。
「離宮には誰も近寄らせるなとの命令です」
「どういうこと?」
レイチェルは戸惑った。
「王太子殿下の命により、離宮に巣食う悪しき魔物を退治するとのことです」
「——なんですって!?」
護衛騎士の言葉に、レイチェルは耳を疑った。
悪しき魔物とは、まさかナドガのことか。
(王太子殿下が? 何故……)
シャリージャーラに取り憑かれた子爵令嬢が王太子に近づいていたことを思い出して、レイチェルは顔色を変えた。シャリージャーラが王太子を操り、ナドガを倒しにきたのだ。
では今、離宮ではヴェンディグとナドガが追い詰められているということか。
「……ライリー様! ライリー様を呼んでください!」
ライリーは、たった一人でヴェンディグを守っているはずだとレイチェルは思った。自分もすぐに行かなければ。
「ノルゲン殿は、離宮で兵の指揮をとっている。心配せずとも——」
「——……え?」
レイチェルは愕然とした。そんな馬鹿な。ライリーは、ナドガが悪しき魔物などではないことを知っている。彼はヴェンディグの側に十二年間も仕えてきた、誰より信頼できる理解者であるはずだ。
(何が起きているの!?)
レイチェルは林の向こうの建物を見つめた。
「さあ、貴女はこちらへ……」
「っ!!」
レイチェルは歯を食いしばった。肩を掴もうとする護衛騎士の腕をすり抜け、離宮へ向かって駆け出した。
「おい! 待て!!」
「来ないで!!」
レイチェルは追いかけてこようとする護衛騎士に向かって怒鳴った。
「私は生贄公爵の婚約者よ! 蛇に魅入られた女に触れたら呪いがかかるわよ!!」
その言葉に、騎士達は怯んだように動きを止めた。その隙に、レイチェルは必死に走った。
「閣下……ヴェンディグ様っ……!」
足がもつれそうになりながら、レイチェルは懸命に走った。離宮の側まで行くと、風に乗って甘い匂いが漂ってくる。
(ラベンダーの……匂い……っ)
レイチェルは無我夢中で離宮の中に駆け込んだ。そして、目にしたのは——ヴェンディグとナドガを取り囲む兵士達と、ライリーの姿。
「ヴェンディグ様っ!!」
レイチェルの叫びに、ヴェンディグがはっと顔をあげた。
琥珀色の瞳が、大きく見開かれた。
「レイチェル……」
「ヴェンディグ様……」
レイチェルはヴェンディグの元に駆け寄ろうとして、ナドガが傷だらけであるのに気づいて足を止めた。
今、自分が駆け寄ったら、ヴェンディグとナドガの足手まといになるのではないか。そう考えて、足が動かなくなった。
一方のヴェンディグは、レイチェルに手を伸ばそうとして、それを躊躇った。
ここで手を伸ばしたら、レイチェルを巻き込んでしまう。
手を伸ばしてはいけない。これ以上、レイチェルを関わらせてはいけない。
そう思った。けれど。
紫の瞳が揺れるのを見て、ヴェンディグはほとんど無意識に叫んでいた。
「レイチェル! 来いっ!!」
その声を聞いた瞬間、レイチェルは弾かれたように走り出していた。伸ばされた手を掴み、ヴェンディグの胸に飛び込んだ。
「ナドガっ!!」
黒蛇は大きく唸り声をあげ、尻尾を振り回して兵士達を弾き飛ばした。
ヴェンディグとレイチェルを守るように体をうねらせ、兵士達の間をくぐり抜け、ナドガは離宮を飛び出し空へ舞い上がった。ヴェンディグはレイチェルの腰にしっかりと腕を回し、レイチェルはヴェンディグの背中に腕を回し当てしがみついた。
夜と違い、青い空を泳ぐ黒い大蛇の姿は地上の人々の目に触れ、悲鳴が辺りを飲み込んだ。
それを聞きながら、レイチェルは目を開けて遠ざかっていく離宮を見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます