第59話
***
レイチェルが出て行ったのを確認すると、ヴェンディグは痣をみつめながら口を開いた。
「ナドガ……聞こえるか」
返事が聞こえる訳ではないが、自分の中でナドガが起きているのを感じる。
「お前、どうして……俺を利用して「欲」を食わなかった?」
シャリージャーラの圧倒的な力を目にしたヴェンディグは、ナドガが勝てないことを本能的に察知した。十二年間、何も食べずに探し続けた者と、ごちそうをたらふく食って力を蓄えた者。どちらが勝つかなんて目に見えている。
十二年前は、ナドガとシャリージャーラの間には純然たる力の差があったのだろう。だが、今ではそれが逆転している。シャリージャーラの力は、ナドガから聞いていたものよりずっと強い。強くなり、ナドガを超えたと確信したからこそ、シャリージャーラはこんなにも近くに姿を現したのだ。
お前など怖くないと、蛇の王に向かって告げるために。
「……ナドガ……どうすればいい?」
暗くなった部屋の中に、ヴェンディグの声がむなしく響いた。
***
朝になって急いでヴェンディグの部屋へ行くと、主は既に目覚めていた。昨夜目が覚めて、レイチェルを部屋に戻したと聞かされたライリーは胸を撫で下ろした。貴族の令嬢に徹夜で看護させるのはライリーにも気が進まなかったからだ。
食欲は無いようだったが昨日丸一日何も口にしていないヴェンディグに小さく切った果物を食べさせ、火傷の手当てをする。幸い、背中の肌が爛れただけで骨や神経には異常がなさそうだった。
手当を終えるとちょうどレイチェルがやってきたので、ライリーはヴェンディグの見張りを頼んで自分は汚れた布や包帯を持って部屋を出た。メイドに洗濯を頼んだり王宮の侍医に薬を貰いにいけば、ヴェンディグが怪我したことが知られてしまう。布と包帯は捨て、ライリーは昨日も訪れた街の薬屋で火傷の薬を入手して王城へ戻ってきた。
ライリーは、離宮に戻る前に林に足を向けた。このところ、王太子妃の調子があまり良くなく、お友達が常に傍で慰めているそうだ。そのため、ニナも連日王宮を訪れていた。約束はしていないが、もしかしたらという期待があった。
ライリーがいつもの場所に行くと、運よくニナがそこにいた。
「ライリー様! ああ、お会いしたかったです……」
会えるとは思っていなかったのか、ニナが泣きそうな表情で微笑んだ。ライリーは足早に駆け寄り、ニナを抱き締めた。
「ニナ……王太子妃の様子はどうだ」
「それが、塞ぎこんでいらっしゃって……」
ニナは目に涙を浮かべて訴えた。
「王太子殿下は何故、いきなり現れた子爵令嬢などに目をかけるのか……私、ヘンリエッタ様がお気の毒でならなくて……」
ライリーは黙ってニナの頭を撫でた。ヴェンディグの命令で件の子爵令嬢について調べた際、王太子にも近づいているようだという報告は受けていた。
ヘンリエッタを大切にしていたカーライルを一瞬で虜にしたのなら、やはりそれは魔性の者の仕業だ。そんな者が王宮に出入りしているかもしれないと思うと、ライリーはニナを離したくなくなった。
「ライリー様……私、もう行かなくては」
しかし、今のライリーにはニナを引き留める権利も、守るための力もない。それが歯がゆくて、ライリーは王宮へ駆け戻っていくニナの後ろ姿をみつめて拳を握り締めた。
戻らなければ。ヴェンディグの元に。
ライリーが仕える主が、大怪我をして苦しんでいるのだ。ヴェンディグの秘密を知るのは、ライリーと、レイチェルだけなのだ。
ついこないだまで、レイチェルが来るまでは、ライリーだけだった。あの離宮で、十二年間、蛇の王のために己の人生を犠牲にするヴェンディグを見てきたのだ。
その挙句に、あんな怪我まで負って——
「おかしいと思わない?」
不意に、聞き覚えのない少女の声が響いた。慌てて振り向くと、木に凭れてこちらを見て微笑んでいる少女の姿があった。
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