第22話
一息ついている間に、レイチェルは頭の中で聞いた内容を整理した。
地の底にある蛇の国。人間の「欲」を食う蛇。人間の世界へ逃げた蛇を捕まえるためにやってきた蛇の王。
にわかには信じがたいが、実際に目の前に巨大な黒蛇がいるのだ。
「……では、十二年間ずっと、逃げた蛇を探しているということですか?」
レイチェルが切り出すと、黒蛇は頷くように首を動かした。
「昼間は俺の体の中で休み、夜になると外に出て罪人を探しているという訳だ」
ヴェンディグが答えた。
(そうか。それで閣下は昼間に休んでいるのね……)
八歳だったヴェンディグが急に衰弱したように見えたのは、取り憑いた蛇による呪いのせいではなく、単なる疲労と寝不足だったらしい。レイチェルはこめかみを押さえた。
「……でも、どうして閣下が、十二年間も……逃げた蛇を探すためにご自分の人生を犠牲にせねばならないのですか」
レイチェルはそう訴えた。逃げた蛇を捕まえたいというのは蛇の国の事情であり、それにヴェンディグが付き合う義務はないとレイチェルは思う。
だが、レイチェルの言葉にヴェンディグ自身が答えた。
「逃げ出した蛇シャリージャーラは、女の肉体に取り憑き、周りの女が向けてくる嫉妬や、男達の向けてくる情欲を貪っているそうだ。さっきナドガが言った通り、俺は平気だが普通は数年で肉体がもたなくなるらしい。魂にまで入り込まれればもっと消耗は激しいようだから、実際は一年ほどで体を取り替えているんじゃないかと思う」
レイチェルは声を失った。
「この十二年の間に、シャリージャーラは既に何人もの肉体を乗り捨てている。これ以上、犠牲者を出すわけにはいかない。一刻も早く、捕まえなければ」
レイチェルは思わずヴェンディグの顔を見つめた。彼はいつものイタズラっぽい笑みを消して真剣な瞳をしていた。
蛇の痣がない公爵は麗しい青年だ。本当なら、皆から愛され令嬢達から熱い視線を向けられただろうに。痣のせいで嫌悪され、皆から恐れられている。
だが、彼は人知れず民のために戦っていたのだ。十二年間も。
何も知らない民から「生贄公爵」などと呼ばれても。
「これだけ知った以上、お前にはシャリージャーラが捕まり、ナドガが蛇の国に戻るまでの間、離宮にいてもらう。外で吹聴されて、国民が無闇に怯えては困るんでな」
ヴェンディグの言葉に、レイチェルはこの事実が民に広まった時のことを想像した。気味悪がるだけならいいが、「あいつが蛇に取り憑かれているかもしれない」などと想像したり思い込んだりした人間が、周囲の者を傷つけたり迫害したら大変なことになる。国中が大混乱に陥るかも知れない。
「……理解しましたわ」
レイチェルはほうっと息を吐いた。
「では、部屋に戻れ。ライリー、送ってやれ」
ヴェンディグは窓から外を見ながら言った。もしかすると、これからシャリージャーラを探しに出るのかもしれない。
レイチェルはライリーに促され、ヴェンディグのことが気になりつつも大人しく部屋へ戻った。
寝台に横になり、レイチェルはヴェンディグのことを考えた。
(閣下は黒蛇……ナドガのことを信頼しているのだわ)
十二年間共にあった彼らの間には、強い絆があるのだろうとレイチェルは思った。
(人の「欲」を食べる蛇……)
レイチェルは自分の胸に手を当てた。
自分が死に、魂が天に昇る時にも「欲」は削ぎ落とされ地に沈み、蛇の餌となるのだろうか。
レイチェルはいつも妹リネットに持ち物を奪われてきた、両親は常にリネットの味方だった。
何かを奪われるたびにレイチェルが妹や両親に向けてきた憎悪も、きらびやかな格好をして両親から愛される妹への嫉妬も、すべて地の底に沈んで蛇の餌になるのだろうか。
そして、レイチェルが妹や両親への憎しみを溜め込んでいる間に、ヴェンディグはずっと己の身を犠牲にしていたのだ。本当はあんなにも美しい容姿を持っているのに、「生贄公爵」と呼ばれ離宮に閉じこもり、皆から同情と恐怖を抱かれているのにも文句も言わずに。
到底、真似できない。もしも、レイチェルがヴェンディグの立場だったとしたら、その身に蛇を受け入れることなど決して出来なかっただろう。想像しただけでぞっとする。
自分は矮小な人間だと、レイチェルは自己嫌悪した。
でも、そんな自分にも何か出来ることはないだろうか。
(お手伝い、したいわ。ヴェンディグ様を少しでも支えたい)
レイチェルに出来ることなど何もないかもしれないが、ほんのわずかにでもヴェンディグの役に立ちたいと強く思った。
(何かないかしら。私でも出来ること)
一番最初に思いついたのは、逃げた蛇を探し出すことだ。しかし、蛇の王であるナドガが十二年もの間捕まえられずにいたものを、レイチェルが見つけられるとは到底思えない。
離宮の環境をヴェンディグが居心地良いように整えるのは、掃除するだけでもライリーが飛んできて止められそうだ。
ヴェンディグの心を慰める方法もわからない。レイチェルは男性の望む言葉をかけたり笑顔で癒したり出来るような可愛らしい女性ではない。自分の可愛げのなさと役に立たなさにレイチェルは肩を落とした。
いや、ヴェンディグはレイチェルのことなど必要としていない。彼らにとってレイチェルは、いきなり転がり込んできた厄介なお荷物以外の何者でもない。
(何か、出来ることは……)
あれこれ考えているうちに、いつの間にかレイチェルは眠ってしまっていた。
翌朝、目覚めたレイチェルは王宮から来た侍女に何気なく尋ねてみた。
「夜に頑張っている殿方にしてあげられることってないかしら?」と尋ねて侍女を真っ赤にさせたレイチェルは、何か誤解されたことに気づいていなかった。
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