第16話
***
昼間のお茶会で精神が疲弊したせいか、妙に眠りの浅かったレイチェルは夜中にふと目を覚ました。
「ふう……」
目を瞑ってみるが、目がさえてしまったようでちっとも眠れない。レイチェルは諦めて上半身を起こした。
寝汗を掻いてしまったのか、少し体が火照っている。レイチェルは溜め息を吐いて寝台を降りた。
少し、外の空気を吸いたい気がして、レイチェルはランプの火をランタンに移して部屋を出た。
暗い廊下を慎重に歩き、中庭に通じる扉まで行こうと階段を目指した。だが、暗いせいか曲がる角を間違えてしまい、レイチェルは長い廊下を闇雲に歩く羽目になった。
「やだ……自分の部屋に戻れなくなっちゃった……」
自分の間抜けぶりにほとほと嫌気がさして、レイチェルは立ち止まって肩を落とした。
とにかく廊下の壁を伝っていけばそのうち部屋に戻れるだろうと進み始めた時、レイチェルの耳にかすかに低い声が響いた。
『——、——』
『——』
誰か、二人の人間が話しているようだ。
ひゅう、と風の音もする。
レイチェルはそちらへ足を向けた。この離宮にいる人間は限られる。声は男性のものなので、おそらくヴェンディグとライリーだと思った。
声のする方へ足を向けたレイチェルは、ある部屋の扉がわずかに開いているのを見つけた。
(閣下の部屋だわ)
思わず歩み寄って開きかけている扉に手をかけようとした時、ライリーから夜はヴェンディグの部屋に近寄ってはいけないと言われていたことを思い出した。
だが、止めようとした手が扉に引っかかり、レイチェルの方へ大きく開いた。
(あっ……)
いけない、と思った瞬間、部屋の中、窓辺に立つヴェンディグの姿が目に入った。
「えっ」
レイチェルは思わず目を見開いた。
開け放たれた窓の側に立ち、月明かりに照らされたヴェンディグの姿。
その顔は、光を浴びて白く輝いており、染み一つない白い肌のどこにも、赤黒い痣がなかった。
声もなく見つめるレイチェルに気づかず、ヴェンディグは窓の外に向けて声をかけた。
「ナドガ!」
夜の闇が、窓から侵入してきた。レイチェルの目にはそう見えた。
ずず、と、大きな闇の塊が——いや、違う。あれは、真っ黒な大きな体をうねらせて、窓から侵入してくるものは。
巨大な蛇だ。
夜と同じ色をした、巨大な蛇。
それが、窓からずずず、と入ってくる。
息を止めるレイチェルの見ている前で、巨大な黒い蛇はヴェンディグに向かってまっすぐ進み、ヴェンディグはそれを受け入れるように手を広げ——
「ひっ」
思わず小さく叫んでしまった。
レイチェルが目にしたのは、ヴェンディグの胸元に鎌首を押し付けるようにした黒い蛇が、ヴェンディグの体に吸い込まれるようにして入っていく光景だった。
ヴェンディグは恐れる様子も見せず、黒い蛇を受け入れている。
蛇の長い体が、どんどんヴェンディグの中に吸い込まれていく、そして、蛇が入っていくのと同時に、ヴェンディグの白い肌に赤黒い蛇の鱗のような痣が浮き上がってくる。
やがて、蛇の体がすべてヴェンディグの中に収まると、ヴェンディグは胸に手を当ててすーっと息を吸い込んだ。
がしゃんっ
何かの割れる音が響いて、ヴェンディグがはっとしてこちらへ目を向けた。目が合った。
「あ……」
ヴェンディグが驚愕の表情を浮かべるのを目にして、レイチェルは自分がランタンを落としていたことに気づいた。割れたガラスと、飛び散った油が小さく燃えている。
(蛇の呪いに蝕まれる、生贄公爵……)
レイチェルの意識が、ふっと遠のいた。
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