第12話
***
よろよろと離宮に戻ってきたレイチェルは、疲労のあまりそのまま寝台に倒れたくなった。最後の方は王妃と婦人の言うことにただ首を縦に振るだけの人形と化していたので、何を言われたのかも覚えていない。
「あ……公爵閣下……」
ふらあ〜っと寝台に倒れこみそうになったレイチェルだったが、ヴェンディグに礼を言わねばならないと思い出して背筋を正した。
「今は仮眠を取っておられるかしら……夕食の後にでも、少しお時間をいただけないかしら?」
後で食事を運んできたメイドに尋ねてみようと決め、レイチェルはソファに腰を下ろした。
「ふう……」
溜め息を吐いて、これからの自分の身の振り方を思う。
出来ればヴェンディグの身の回りの世話をして彼の役に立ちたいが、必要ないと言われれば他に仕事をみつけるしかない。女の身でできる仕事でぱっと思いつくのは侍女やガヴァネスだが、貴族の間ではレイチェルの評判が悪すぎて雇ってくれる家などないだろう。
実の家族からも愛されず、古臭い格好で無愛想な令嬢というのが、社交界でのレイチェルの評価だ。公爵に押しかけ婚約したというマイナス評価も追加される。
この国で無理なら、隣国に行くしかない。しかし、そのための旅費を稼ぐあてもない。
自分の無力さを思い知らされて、レイチェルは肩を落とした。
平民でも職につくには紹介状が要るというし、それがなくても出来る仕事といえば娼婦ぐらいしかない。
「……マリッカに相談してみよう」
親友の顔を思い浮かべて、レイチェルは重い溜め息を吐いた。
ほどなくしてメイドが夕食を運んできたので、ヴェンディグへの取り次ぎを頼んでみたが、ヴェンディグからは「礼はいらない」という素っ気ない伝言が返ってきただけだった。
ならばせめてと礼状を認めてヴェンディグに届けてもらえるようメイドにお願いした。
そうして、レイチェルの離宮での二日目の日は過ぎていった。
ヴェンディグに会えなかったのが心残りだったので、翌日も取り次ぎを頼んだがやはり会うことは出来なかった。
次の日も、その次の日も。
ヴェンディグに会えないままで、あまりにもやることがなかったレイチェルは勝手に掃除を始めた。しかし、床を磨いているところをライリーに見つかって「公爵閣下の婚約者として過ごしていただかなければ困ります」と叱られてしまった。
「婚約者として過ごせって……会ってくれないのはそっちじゃないのよ」
草が伸び放題で荒れ果てた庭に座り込んで、レイチェルはぶちぶちと呟いた。
いっそこの庭の草を抜いて立派な花壇を作ってやろうか。貴族の館を整えるのは女主人の役割なのだから、離宮の環境を整えるのは婚約者であるレイチェルの仕事だと言い張ってみたらどうだろう。
そもそも、ヴェンディグはこの離宮で何をして過ごしているのだろう。退屈はしていないのだろうか。
ライリー以外に話し相手もなく十二年間を過ごしてきたはずなのに、ヴェンディグからはあまり孤独の匂いを感じない。
レイチェルはぼんやりと考えながら、指先に絡めて遊んでいるだけだった雑草を引き抜いた。やることがないというのが想像以上に辛い。ここにきて三日目には親しい友人達にレイチェルがヴェンディグの婚約者になった経緯を簡単に説明する手紙を送った。皆、吃驚しているのか返事はまだ来ていない。
(心配されているかしらね)
レイチェルは友人達の反応を予想しながら、無意識にぶちぶちと草を千切っていた。
しばらくして、無意識に草むしりをしていたことに気づいたレイチェルは、慌てて手についた土をほろった。公爵の婚約者が草を抜いて手を傷つけたなんて噂になったら、ヴェンディグに恥をかかせてしまう。溜め息を吐いて辺りを見回したレイチェルは、一見すると草に覆われた庭であるが一箇所だけ草が生えてないように見える部分があることに気づいた。
草をかき分けて覗き込んでみると、そこは地面ではなく木で出来た扉があった。地面に隠すように作られたそれは、おそらく脱出用の地下通路だろう。王族の住まう王城には緊急時に抜け出せるこうした仕掛けがあって当然だ。
そんな風に考えていると、レイチェルを探していたらしいライリーが顔を出した。
「ああ、こちらにいらしたんですか」
草をかき分けて近寄ってきたライリーは、レイチェルが見下ろしていた木の扉を見て案の定「地下通路の出口の一つだ」と教えてくれた。
「私も入ったことはありませんが、複雑な造りで迷路のようになっていると聞いたことがあります。迷ったら大変なので入らないでくださいね」
もちろん、レイチェルには内部を探ってみようなんて馬鹿な考えはない。正しい脱出経路は王族とそれに準ずる者しか知らないのではければ意味がない。
「わかりました。ライリー様、私をお探しでしたか?」
「ああ、そうそう」
ライリーは思い出したように頭を掻いてこう告げた。
「ヴェンディグ様がお呼びです」
レイチェルは目を瞬いた。
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