第3話
***
ヴェンディグ・カーリントンはディンゴート王国国王グレゴールと王妃アンネローゼの第一王子として生を受けた。
幼い頃より才気煥発、健康で利発な王子を見て、周囲の者達は将来は立派な王になるに違いないと期待した。
ところが、王子が八歳になったある日、王子を起こしにいった侍女の悲鳴が朝の宮廷の空気を切り裂いた。
何事かと駆けつけた者達も仰天した。卒倒した者もいた。王子の顔と体に、赤黒い蛇の鱗模様が這うように刻まれていたからだ。
「昨夜、大きな黒い蛇が枕元に現れて、俺の中に入った」
王子はそう語った。
国王は国中の祈祷師や聖職者、魔術師を呼んで蛇を祓おうとしたが無駄だった。蛇に巻きつかれたような痣は決して消えなかった。
王子は昼の間、こんこんと眠るようになってしまった。常に疲れた顔で徐々にやつれていく王子に、周りの者達は「蛇が王子を喰らっているのだ」と噂し、蛇の呪いが自分にも祟りはしないかと恐れ、王子の側に近寄ることを嫌がった。身の回りの世話をする侍女も何人も逃げ出し、国王は困り果てた。
蛇に取り憑かれ、眠ってばかりいる王子を王太子にすることは出来ない。
幸い、国王と王妃にはもう一人、一つ年下の第二王子がいた。
国王は第二王子を王太子とし、第一王子には公爵位を与えて離宮で静養できるように手配した。
カーリントン公爵となった第一王子は、離宮に閉じこもり人前に決して姿を現さなかった。側に仕えるのはわずかなメイドと侍従であるノルゲン子爵の次男のみ。
離宮の側を通った者は、夜中に奇妙な声を聞いた、黒い巨大な影が蠢くのを見た、などと噂した。
いつしか、人々は蛇に取り憑かれ蝕まれる公爵のことを「生贄公爵」と呼び、憐れみ、恐れるようになった。
それから十二年が経ち、二十歳になったヴェンディグ・カーリントンは怪訝な顔でライリー・ノルゲンを振り返った。
「アーカシュア侯爵令嬢?」
「はい。レイチェル・アーカシュア侯爵令嬢が、ヴェンディグ様にお会いしたいと門前に押しかけてきております」
そう告げるライリーも怪訝そうに顔をしかめていた。無理もない。令嬢が呪われた生贄公爵に会いたいだなどと、この十二年間に一度もなかったことだ。
「からかっているのか、悪ふざけか……」
「ではないようです」
ライリーが差し出してきた物を見て、ヴェンディグは絶句した。アーカシュア家の家紋が刻まれた懐剣である。
「命を懸けて物申したいことがあるっていうのか。この俺に」
懐剣を受け取って、ヴェンディグは呟いた。
「いかがします?」
「会わん訳にはいかんだろう」
社交界など自分には関係ないと思っていたから、アーカシュア家と言われても何も思い浮かばない。
「どんな令嬢だ?」
「社交界での評判は悪くありません。十七歳で、美しいですが愛想がないとかで男性からは人気がないようですが、ご令嬢達の茶会にはよく招かれているそうです。サイロン伯爵家の三男と婚約しています。ただ、家族との関係は良くないようで」
「ほう」
「妹が常にきらびやかな格好をしているのに、姉のレイチェル嬢は古臭い服ばかり着ているそうです」
「ふむ。とすると、家族の中で孤立しているのか。しかし、なぜ俺のところに助けを求めてくるのかはわからんな」
ヴェンディグはふっと笑った。
「まあいい。とにかく連れてこい」
「よろしいのですか」
「構わん。訴えを聞いてやるさ。ただし、俺のこの姿を見て、レイチェル嬢が逃げ出さずにいられればの話だけどな」
顔の左半分を覆う赤黒い痣を撫でて、ヴェンディグは意地悪げに口の端を歪めた。
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