群青色の時計

Higasayama

1.モルガンとシモン

 そこはフランス、アルプス山脈のふもとにある、イゾラグという小さな村。

 明朝。白む空。養鶏場ようけいじょうのニワトリと牧場のヤギが、声を揃えて鳴いている。

 まだほの暗い村の大通りを、猟銃を掛けたリュックを背負って、ドカドカと通り過ぎる老人。

 その老人は、顔の下半分を白いヒゲに覆われ、木目のようなシワを刻み、目深まぶかにかぶったハンチングから見える瞳は、深海を思わせるブルーだった。

 せたオーバーオールに、中は長袖の白シャツ。まくった袖の下からのぞく筋肉は隆々りゅうりゅうと盛り上がり、血管が脈打っている。やや腹は出ているが、それでも、腕、ふくらはぎ、背中と、まるで兵士のようなガタイは、老人とは思えない。

 その老人に、釣り竿を担いだ男が、すれ違いざま声をかけていく。

「おはようモルガン! 調子はどうだ? 」

「お前と会って最悪だ。失せな」

 気持ちのいい挨拶を、一言のうちに斬り伏せる。無愛想はいつものことなのだろう。男はニコニコとすれ違っていった。

「モルガン、良いキャベツ採れてるよー! また買っておくれよ! 」

 次に呼びかけてきたのは、通りに面した八百屋の女だった。

「虫が食ってなきゃな」

「美味しいんだもの。虫だって食うさ! 」

 女は、男と違って返す刀で反撃してきた。モルガンは、それには何も言わずに通り過ぎた。その女も、さっきの男と同じくニコニコしていた。

 大通りに面した店が次々に開店し、欠伸あくびをしながら住民たちが出てくる。

 村にある唯一の学校に向かう子供たちや、井戸端会議に夢中のオバサンたち。

 そんな人の往来をすり抜けるように、少年がひとり、モルガンの後ろをついてきた。

 その少年は、神からのギフトのような金髪に、明るいブルーの瞳をしていた。カーキ色のジャケットを着て、ジーンズを履き、モルガンと同じブラウンのハンチングをかぶっている。体格はとてもひ弱で、モルガンとの対比がグロテスクだ。

 モルガンが、歩きながら、振り返ることなく少年に言う。

「シモン。ちゃんと飯食ってんのか」

「体重、なんと先月から二キロ増加」

 少年シモンは、にかっと笑ってピースしてみせる。

「クソすりゃ減るぞ、んなもん」

「しなきゃいいんだよ」

 シモンは人混みをかわしながら、器用にモルガンの後をついてくる。

 モルガンが向かっていたのは、村から外に繋がる、唯一の門だった。村は丸太の壁で一面を覆われており、門の部分だけはその壁が持ち上がるようになっている。

 門の前には、猟師の集団が待機していた。全員が二十代から三十代と若く、ガタイがいい。そして、背中にはリュックと猟銃を背負っている。

 モルガンを見るやいなや、それまで談笑していた彼らは背筋を伸ばし、軍隊のように敬礼した。モルガンが手で制すと、また談笑が再開される。

 猟師の一人が、モルガンに声をかけてきた。

「モルガンさん……あの、今日もその子が一緒ですか? 」

 その猟師は、怪訝けげんそうな顔をしていた。

「できるなら、テメェが言って聞かせてみろ」

 猟師は、申し訳なさそうに膝を曲げて、シモンに目線を合わせて言う。

「なぁ、シモン? 最近は人を襲う熊も多くなっているから、できれば回れ右してほしいんだが、できるか? 」

「くっくっく、やーだね」

 そう言うと、シモンはモルガンの後ろに隠れた。

「おいおい……君も、もう十三になる。猟師になりたかったら、ちゃんと学校で授業を受けてからでも、遅くないんじゃないか? 」

「面白くねえよ。あんなとこ」

 猟師はほとほと困った様子でモルガンに向き直る。そして、耳打ちした。

「本当に、怪我だけはさせないでくださいよ。この子が孤児なのは、どこにでも連れ回していい免罪符じゃないんですから」

 モルガンはきまり悪そうに「分かってら」と言った。

「門を開けろ。出発だ」

 その猟師が指示を出すと、たちまち門が持ち上がった。十名ほどの猟師はちりぢりになって、門の前に、横一列で駐車された軽トラックに乗り込んでいく。ある者は運転席に乗り、ある者は荷台に乗った。

 村のすぐ前にはアルプスの大森林がそびえており、トラックはそれに沿うように左右に散開する。

 モルガンは一台残ったバイクにまたがり、ハンチングを取ってリュックに詰める。バイクのハンドルにはヘルメットが二つ引っかかっていて、その一つをシモンに投げた。

「おら、とっとと乗れ」

「言われなくても! 」

 シモンは投げられたソレを鮮やかにキャッチすると、ハンチングをモルガンのリュックに詰めて、後部にまたがってヘルメットを着けた。





◇ つづく

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