6. なんで、キミが、ここに?


 安寧のランチタイムを終えて教室に戻った私たち二人は、入り口の近くで茫然と立ちつくしていた。五月の陽光ががらんどうの空間を眩く照らしており、他クラスで授業をしている中年教師の声が廊下に轟いており、我がクラスには人っ子一人見当たらない。



「え、なんで」


 思わず、阿呆のような声を漏らしたのは私で。


「……これはもしかして例の怪現象……、今度は、神隠しでしょうか」


 眉間にシワを寄せながら、阿呆のような戯言を宣ったのはヤエ。


「――うおっ! お前ら、こんなトコで何やってんの? もう授業、始まってるぞ」


 私たちの背後ろから、ギョッと驚いたような『第三者』の声が聞こえた。


 私とヤエがほぼ同時、ガバリ背後ろを振り向くと、お目見えされたのは脱色された茶髪のくせっ毛、少したるんだ一重の瞳――、噂の『アイツ』、クラスメートであり水泳部仲間でもある天津あまつ向日葵ひまりが身体をのけぞらせていた。

 私は彼に向かって、脳裏によぎった疑問をそのままぶつける。


「……えっ? 授業って、教室に誰もいないじゃん。みんなどこ行っちゃったの?」


 何が何だかわからないという様相で、私は首を斜め四十五度に傾ける。ヒマリは不思議そうな顔つきで、「いや今日さ」と、幼子を諭すようなトーンで言葉を紡いだ。


「火曜日だろ。五、六限目、美術だから、教室移動だよ」


 私が「あっ」と間の抜けた声を漏らしたところで、すべてを察したヒマリが呆れたようにタメ息を吐く。しかしすぐに、「お前ら、ゴールデンウイーク明けでボケてんのか?」と無邪気な笑顔を作った。すべてを察した私は露骨なうっかり顔を披露して――、ちなみにヤエはというと、想い人との突然の邂逅によってバグりモードのスイッチが入ってしまったせいか、パクパクと口を開閉させながら、白い肌を再び朱色に染めている。

 一応補足するけど、ヒマリを前にすると、彼女はいつもこうなってしまうのであった。


「あれ? ヒマリは何しに教室に戻ってきたの?」


 そういえばと、私は口元に手をあてがいながらヒマリに質問を投げる。彼は「ああ」、と少し照れ気味に口角を上げながら、フワフワしたくせっ毛を片掌でくしゃっと掴んだ。


「いや、今日の授業、先週の続きで版画なんだけど、彫刻刀、教室に忘れちゃってさ」

「あー、なるほどね。――って、アンタもヘマってるじゃん。人のコト、笑えないっつーの」

「へへっ、まぁお互い様ってコトで……、もうこの時間だし、急いでもどうせ遅刻だから歩いて一緒に行こうぜ」


 「まぁ、そうだね」と返した私は、ヒマリののん気な提案を受け入れた。彼と同じ轍は踏むまいと彫刻刀をしまってある自分のロッカーへと向かう。

 ……あ、ヤエの頭をポンと叩いて、彼女の意識を再起動させるのも、もちろん忘れずに。


 うちの学校は二棟構造になっていて、各クラスや職員室がある本校舎と、美術室や音楽室などの実習室がある別棟で分かれている。……本校舎にある教室から別棟まで、結構歩かされるんだよね。

 すでに授業が始まっているためか廊下はがらんと閑散しており、私たち三人は並んで歩きながら、少しだけ声のトーンを抑えて談笑に耽っていた。


 ふいにヒマリが何かを思い出したように「あっ」と声をあげる。


「今日、部活休みじゃん? クラスの帰宅部連中と一緒にカラオケ行こうぜって話してたんだけど、小太刀と柴崎もよかったらどう?」


 およそ健全で、およそ快活な高校生らしいヒマリのお誘い。私は「うーん」と少しだけ逡巡した素振りを見せつつ、一応申し訳なさそうな表情を作って彼に返答した。


「やー、今日はお母さん遅いらしいから夕飯の準備とかあるし、そもそも人前で歌うとか私にとっては恥でしかないし。私はいいや。パスかな」

「そっかー、まぁお前んち母子家庭だし、いろいろ大変だよな」


 少しだけ寂し気な表情で、しかし爽やかな笑みを崩さないヒマリはいいやつだ。そんな彼が「柴崎は?」とヤエの名前を呼ぶもんだから、彼女は普段の1.5倍の声量で「えっ!?」とすっとんきょうな声を発する。


「……あ、いや、私も、その、カラオケとかは、あばばば……」


 あわあわと両手を胸の前で振りながら口をあばあばさせているのは、言わずもがなヤエ。……いや、ヒマリに誘われているんだから、そこは頑張れよ――、と叱咤したいところだけど、まぁクラスのリア充連中とヤエが気が合う思えないし、彼女にはちょっと荷が重いだろう。ヤエのへっぴり腰に対して、私は心の中でフォローを入れた。

 「柴崎もか。じゃあ、今度はカラオケじゃないときに誘うわ」と笑うヒマリは、やっぱりいいやつだった。



 そんなこんなで、渡り廊下を越えて別棟にたどり着いた私たちは、美術室のある下階に向かおうと階段を降り始めており、ちょうど踊り場にたどり着いたあたりで一人の男子生徒とすれ違う。「あれっ?」と私の脳裏を違和感がかすめ、思わず振り返った私は、思わず『彼』の名前を呼んだ。


「――月代くん?」


 名前を呼ばれた彼もまた足を止め、声をかけた私の方を振り向く。

 彼の口から「えっ?」と疑問符がこぼれた。

 男子の割りに長い前髪から覗き見える黒い瞳が丸々と大きく広がり始める。彼はまるで宇宙人と遭遇したかのような顔をして、ピタリと全身を硬直させていた。言葉こそ発していないものの、彼は私に、「なんで?」と問いかけている気がした。

 「なんで、キミが、ここに?」、と。

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