47.Speculation
夜の王。
目の前にいる彼女が、その深い隈が刻まれた目を、しかし爛々とさせて放った言葉。この言葉が意味することは果たして何だろうか。
いや、きっとこれは、今考えるべき事柄ではないだろう。
問題は、内通者がベルさんだったということ。
とても端的で、わかりやすい。嫌になるくらいだ。
「……詩的な表現は苦手じゃなかったっけ? いつもみたいに、俺程度の頭でもわかるように言ってくれないか」
「声の震えが感じ取れるぞ、ハリくん?」
そう言うベルさんの表情は、まるで俺を品定めするかのようだった。実に楽しそうで、こんな場面なのに、この人はまさにショッピングでも楽しんでるかのようだ。
「だが、それもまた良い。男だって強がることすらできないようじゃ、私も困ってしまうからねぇ」
捕食者のような、しかし自身がそれであることを寸前まで気づかせないその狡猾さは、ヘビのようにも思える。俺のことなんていつでも丸呑みにできる、とでも言いたげな目が、より一層それを想起させた。
俺のことをひとしきり眺めたベルさんは、一区切りついたかのように息を吐き、向かいのソファに戻った。
「さてハリくん、今君は私に聞きたいことが二つはあるはずだ。なぜ私が君たちを裏切ったのか、それはいつからか――だろう?」
今の現状を整理するように、ベルさんは微笑みを崩さず、ただただ淡々と述べた。
この余裕な態度を見るに、やはり先ほどまでの言動は、意図的に俺が答えにたどり着くように誘導したというところだろう。
「教えてくれるんなら、ぜひそうしてくれよ。話のあてにコーヒーでも淹れるかい?」
動揺してる場合ではないだろう。裏切りに対していちいち落胆しているような余裕もない。
俺は努めて平静を装って、ベルさんを見つめ、次の言葉を待った。
彼女は楽しそうだ。どんな時でも楽しそうだ。それ以外ないだろうとでも言うように。
彼女は口を開いた。
「是非と言いたいところだが、こんな無粋な、淹れてくれたものも冷めてしまうような時でなく、もう少しロマンチックなタイミングでお願いしたいね」
「さて」彼女は足を組みなおし、顎に手を当てる。
「では回答だが――そもそも裏切ってないと言ったら、どうするね?」
「……最初からロジーのスパイだった、ていう解釈でいいのか?」
「半分だけ正解だ」
半分だけ、それはどういう意味だろうか。
考えても仕方がないだろう。答えはすぐに彼女が発する。
「あの夜、君たちとロザリアの館でやった、グレート・エスケープと言ってもいい素晴らしい脱出劇。あの演目を果たした直後から、私は彼女にコンタクトを取っていた」
「なんだと?」俺がそういった瞬間、彼女は人差し指を俺の口に当ててきた。あせらず最後まで聞け、という意思表示だ。
「使者を通して私はロザリアにある契約を持ち掛けた。我々の行動を逐一報告する、その褒美として、
ベルさんは首を小さくかしげて、指を空中でくるくると回す。考えをまとめるルーティーンを、何でもないようにしているのは、ことこの場において少しも緊張していない証だ。
「わかるだろう? モンタナがママ・ロザリアに潰されれば、私は君を研究できる。万に一つ君たちがロザリアから逃げおおせたとしても、私は君のそばにいて、いつでも弄りまわせる」
「どう転んでも、アンタは勝つってことか」
「その通り。どこにオールインしても大当たりなルーレットだ。やらない阿呆もおるまいよ」
おそらくだが、ロジーはベルさんを本当に重用するつもりだ。
『クリーピーローズ』。運用さえ間違えなければ、大抵の人間を意のままに操れる。魔法の錠剤。どうやってあの錠剤ができたかなど知らないが、ロジーのあの求めようからして、多分まだ、ゼロから生産することはできないのだろう。
ベルさんは素人の俺が見てもわかるくらい、化け物じみた薬学の知識を持っている。錠剤を取り扱う闇医者の中でも、常軌を逸しているレベルの科学者だと、以前イトが言っていたことを思い出した。
生産方法が確立されていない薬、その課題を高いレベルで解決できるであろう科学者、その科学者の目的。
ベルさんがロジーと通じるための要素は、最初から否定しようがないほどに揃っていたのだ。
「……前々からつかみどころがない人だと思っていたけど、なるほどな、とんだコウモリ女だったわけだ」
「アッハッハッハ! 酷いなあ、だが的を射てる。意外とそんなセリフを吐けるところも好きだよ」
ベルさんは乾いた、演技じみた大げさな笑い方をした。
彼女の胸ぐらにつかみかかりたくなる衝動を、睨みつけることを代替として耐える。いま彼女をひっぱたいたところで、何も解決するわけではないだろうから。
「――それで、裏切者の私を、君はどうしたいね? 組み伏せて殴りながら犯しでもするかね? それはそれで素敵だ」
そんな俺の感情を知っているかのように、ひとしきり笑った彼女は言った。それは開き直りともまたちがう。開き直るという行為は、やらかした行為に多少なりとも罪悪感があるやつがすることだ。
この人はそういう人じゃない。世間の倫理を知識として理解しているが、それと自分の目的を比べた時、秤にかけるまでもなく後者を選ぶ、そんな人間だ。
きっと彼女は、裏切るという感覚を知らないだろう。そんな気がした。
沸いてくるようなこの感情には折り合いをつけよう。まだ聞きたいことは終わってないのだから。
「待てよ、まだ聞けてないことがある。あのフード女にイトを襲わせたのは、アンタの指示か?」
「無論だ」
にべもなく、ベルさんは言った。俺は今苦虫でもかみつぶしたような顔になっただろうか。
「そう怒らないでくれたまえ。あの子を殺そうとしたわけじゃない。ほどほどに弱らせて家でおとなしくさせて欲しいといっただけなのに、やれやれ全く彼女らときたら加減というものを知らない。ラミーを送ってなかったら、どうなってたことか……」
フード女に愚痴りながら、ベルさんは嘆息をした。彼女が、あるいはロジーがどうやって『神託の種子』と繋がって、それを使役できるようにしたかなど知らないが、あんなカルト教団を動かしてまで、イトを生け捕りにした。
なぜそうしたか。決まっている。
「イトが絡めば、俺が逆らえなくなる。そういう魂胆だろう?」
言うと、ベルさんはクスリと笑った。
「違うのかね?」
「だとしたら?」
「念のために言っておくが、君が協力的な態度をとってくれない場合、イトの生死は保証できない。ああ、彼女の強さは今回あてにしないほうがいい。神託の種子の実力は君も見ただろう?」
「……そんな前置きはいい。つまるところアンタは俺にどうしてほしいんだ? 一緒にロジーのところに行って、あのババアを慰めてやれってか?」
「ロザリアに下ってほしいのは合ってるが、足りないな」
ベルさんはソファから身を乗り出し、俺の膝に手を置いた。
さらに顔を近づけて、耳元で俺に囁いた。
「言っただろう? 『夜の王』だ。君にはそれになってほしい」
再び出てきた、その単語。一体それはなんだというのか。
俺が沈黙するのを見て、彼女はしようがないとでも言うように、言葉を続けた。
「ハリくん、私の目的は以前話しただろう」
ベルさんが話してた目的。確か、男性のナニを自分に生やして……だとか言っていただろうか? 聞いたときは、正直酔っ払いの戯言とばかり思っていたが。
「本気だよ、私は」
その声のトーンは先ほどまでと違い、圧があるように感じた。視界は彼女の横髪だけ映して、その表情はうかがえない。
「ハリくん私は、私は完全になってみたいんだよ。女であり男であり、人であり人ではあり得ない。そんな矛盾すら超越した存在だ」
耳元で、息の音が大きくなる。興奮してきているのか?
そう思った、矢先。
途端。
彼女は俺の肩を痛いほどの力でつかみ、俺の目の前にその顔を見せる。
恐ろしさすら感じる、恍惚として表情だった。
「すべての快楽を享受したい、全ての痛みを味わいたい、全ての倒錯を手に入れたい。そして、そしてそしてそしてぇ、全て手に入れ、全てのオーガズムで満たされ! 囲まれ! 果て! 生を遂げる! それ以外に何が要るという! 生物として、それ以上に重要なことなど何があるというッ! それは神秘だ、それは神話だ! ああ素晴らしい素晴らしい素晴らしい! 巷で蔓延っているお上品なイデオロギーや主義主張などクソの役にも立たん! 私の脳を破壊するほどの、圧倒的な悦楽ぅ! 人間としてのプライドなどただの傲慢でしかないと思い知らされるほどの、全てを踏みしだく絶頂ぉ! それが、それこそが生命ぃ! その極地なのだよぉ!」
すさまじい勢いでまくしたてられた彼女の目標という名の狂気。それに飲まれ、俺は言葉を失ってしまった。
話はほとんど理解できなかったが、わかったことが二つ。ベルさんが思っていた以上に重度の倒錯者だったこと。そして、だからこそ、そこに至るための手段を選ぶ人間ではないということだ。
一通り言い終えたベルさんは、ふうふうと肩で息をして、クールダウンし始めた。
「……だから君、夜の王になりたまえよ」
先ほどとは一転して、まだ顔色は紅潮しているものの、彼女は余裕のある声色へと戻る。
「ハリくん、君は素晴らしい逸材だ。貴重な美男というだけではない。
「……アンタが言う『夜の王』ってのは、つまり――」
「そう、ロザリアのファミリーの幹部、大量の
総括すると、つまり彼女はこう言いたいのだ。自分の研究のために、俺にあのリドーのまねごと、それも質も量も大幅に上げた人身売買をしたいから、神輿になれと。そのためにロジーに下り、さらに体を好き放題に弄らせろと。そして、断るなら神託の種子にイトを殺させると。
……イト、君たちの周りの人間は、こんなのばっかりだな。自分の悦楽のために手段を選ばないような。その度に君たちが、その業をおっ被ったのだろう。
うんざりだよな、いい加減。
「それで? まだ返答を聞いていないが……」
ベルさんは小首をかしげて、俺に問いかける。その言い草は、断られることなど微塵も予想していないような、癪に障る感じだ。
「ああ、いいぜ」
言った自分でも驚いたくらい、俺の声色はあっけからんとしたトーンだった。
ベルさんも少し面食らったのか、俺を見ながら、わずかに目を見開いた。
「……ほう、もう少し苦渋に選ぶものと思ったが」
確かにそうだ。これでもう二度と、俺の人生は暗闇になるかもしれないのに。イトたちにももう二度と会えなくなるかもしれないのに。結局力あるものには勝てないという、夢も希望もない結末の始まりだというのに。
理由は明白だ。それは違うから。
「ベルさん」
この世界では、自分の安全が何より高い。ベッド一つ分、一晩分の安全を手に入れるために、大量の血を払うことだってザラだった。
幸か、不幸か。
俺自身が、重要なカードになれる。
イト、本当に、安全ってのは高いもんだな。
今夜は俺が、君に奢るよ。
「一つ、提案がある」
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