46.Transition

「「イトが連れ去られたぁ!?」」


 ルーラとリネンの声が、部屋の中に響いた。

 モンタナの屋敷の中。その奥にあるエレーミアの部屋で、俺は先ほどの一部始終を、いつもの面々に語っていた。

 満身創痍の状態でラミーに連れられて帰ってきたときは、なぜそうも生傷が絶えないのかと先に叫んだ二人に怒られたわけだが、今その話は割愛しよう。

 議題にするべきは俺の生傷の原因、今ここにイトがいない理由だ。


「待て、おい待てよ、黒髪黒瞳。お前を攫うんならまだしも、なんでそのフードはあのオトコ女を持ってったんだ? そいつは目の前にあるダイヤとガラス玉の区別もつかないクソバカってことか?」


「わからない。ただ、間違えてというよりも、最初からイトを攫うのが目的なように見えた」


 リネンのもっともな疑問に、俺は現状そう答えるしかなかった。

 ここまできて自意識過剰だなどとは言えないだろう。俺――いや、というより、黒髪黒瞳の若い男という『属性』は、この世界において同質量のプラチナよりも遥かに高値が付くものだ。

 イトのことをガラス玉だとは思わないが、だとしても彼女が狙われる理由があるとすれば、それはなんだろうか。


「強いて考えるならば、こちらの戦力の削減かしら」


 まるで察したかのように、エレーミアは口を開いた。


「彼女は今やモンタナの――というより、この世界じゃかなり上のランクにいる実力者だしね。イトを殺せる人がいるなら、その名前は聖歌隊に謳われるような伝説となる、なんて与太話もあるくらいよ」


「……イトって強いとは思ってたけど、そこまでなのか?」


 エレーミアの言葉を受けて、俺はリネンにそう聞いた。なんで私に聞くんだ、と言わんばかりの表情をしながらも、どうやら答えてはくれるようだった。


「聖歌隊うんぬんの話はただのデカい尾ひれだろうけどな。ただ、アイツの化け物じみたタフさはお前も知ってるはずだ。その辺のチンピラ数十人に軽機関銃持たせようが、10分も持たねえだろうよ」


「ま、私が相手の場合は話が違うけどな」と言いながら、リネンはふん、と息を吐いた。


 女性が強いこの世界でも、彼女が頭一つとびぬけた存在であることはわかっていたつもりだったが、どうやら想像以上のものだったようだ。


「確かに、強さという一点でいうなら、イトはハリとは違う需要があるわね」


 エレーミアは顎に手を添え、深く考えるようなそぶりで続ける。


「『A5』の錠剤を服用できる人間なんて、私なら敵方にいると考えただけで嫌になるわ。その中でもあの子はとびっきり。できれば無力化しておきたいというのはわかるけれど」


 『錠剤』。この世界に蔓延る、そしてこの世界を形作る、身体強化用の薬。

 即効性と効果は折り紙付きだが、それ以上に強い負荷を精神と肉体に与える。

 以前ベルさんに聞いた話だが、錠剤のカテゴリはE~A。そこからさらに細かく1~5まであるらしく、一般社会で服用されるのは、最高でもDまでらしい。

 『A5』は最上位。与える力は凄まじいが、その負荷は致命的で、ほとんどの人間は服用した時点で血を吐いて死ぬか、運が良くても脳を焼かれて廃人になるからしい。イトやリネンのように常用できる人間は、ベルさんが知ってる中でもこの二人だけとのことで、天才的だとさえ言っていた。

 ちなみにルーラは『C4』、ラミーが『B5』らしい、それであの強さなのだから、Aカテゴリがどれほどのものか計り知れない。


「と、いうのがボスの見解だが、ハリくん、君はどう思うね? 現地にいたものとしての意見を伺いたいね」


 すると、腕を抱えて静観していたベルさんが、話のバトンを俺に渡してきた。この人が俺に意見を求めるなんて、珍しいこともあるものだ。


「……正直、理由としては弱い気がする。第一、襲ってきたあのフードの女は、悔しいけどイトを圧倒していた。その場で殺すんならともかく、あんな戦力を持った奴らがわざわざイトを生かして連れ去ったってことは、ほかに理由があるはずだ」


「まあ、それもそうなのよねぇ」


 俺の答えを受けて、エレーミアが嘆息する。彼女自身も自分の答えに納得していなかったようだ。ただ肝心な『ほかの理由』がわからないために、思考が振出しに戻っただけだが。

 

「ベルさんこそ、何か知らないか? あんただったらイカレたテロリストの思考だって模倣できそうな気がするけど」


「失礼だなあ君も。いくら私が聡明でも、そんなもったいないことをする奴らのことなんて、理解したくもないね」


 ケラケラとからかうように、ベルさんは俺に笑って見せた。

 少しだけ、冷や汗が出る。


「あん? それってどういう――」


「いいじゃぁんもう、メンドクサイなぁ」


 リネンの言葉を遮って、ラミーがソファから立ちあがり、伸びをしながら言った。軽くあくびもして、続ける。


「あのクソフードの目的とか知らないっつーのぉ。やることは一つ! アイツら全員ぶち殺して、そしてついでにアイツら全員ぶち殺す。んでさらについでに、まあ時間があれば、イトも生きてれば助ける。それだけっしょ」


 まるでイタズラを考え付いた子供のような、楽しそうな笑顔を浮かべる。


「いや、最優先で助けてよ」


「それにぃ?」


 ルーラの突っ込みを無視しながら、ラミーはそばに置いていた自身の日本刀を持つ。さやから少し出した刃は、先ほどのフード女との闘いで、ボロボロになっていた。


「こいつの落とし前付けてもらわなきゃさあぁ」


 ああ、それが本音だなと、この場にいる全員が考えたと思う。


「……まあ、ラミーの言うとおりね。理由を探るのはイトを助けてからでも遅くはないわ」


 少し呆れた口調ながらも、エレーミアもそれに同意した。

 確かにそうだ。今最優先にすべきは、なぜこうなったかではなく、イトを助けるためにどう動くべきかだろう。

 

「わざわざ攫ったということは、すぐ殺すようなことはしないはず。街の連絡網を使って、情報を集めてみるわ。あなた方も少しでも何かわかったら、すぐに連絡を入れるように。独断での行動は許さない」


 エレーミアは立ち上がり、よく通る声で、この場にいる全員に指示を出した。ロウティーンでありながらたぐい稀なる才能と、それがあってなお余りある過酷な環境によって育てられたその風格は、裏社会のボスというにふさわしい。


「いい? 勝手に死んだりしたら許さないからね。解散」


 だが最後に出たその願望にも似た警告は、彼女にまだ残っている子供の部分だろう。できればずっと残していてほしいと思うのは、俺のわがままだろうか。


「何よその目は、ハリ? 言っておくけど特にあなたに言ってるんだからね? 悪いけど当分外出は許さないから、そのつもりで」


「ウッ……すまない」


「……怪我もしたんだし、今は休んでなさい」


 エレーミアはそう言うと、なぜか少しバツが悪そうに部屋を出て行った。

 実際彼女の言うとおり、俺が出て行ったって足手まといにしかならないだろう。家の中でニュースなり新聞なりで、少しでも関係がありそうな情報を探す。歯がゆいが、今の俺ができることはきっとそれくらいだ。


「大丈夫だよハリくん! イトは必ず私たちが助けるから」


 ルーラが俺を見て、明るく笑ってそう言った。

 俺が自分を責めないようにしてくれているのだろうか。ありがたいのと同時に、気を使わせてしまったことへの申し訳なさを感じる。


「お前に助けられるようになっちゃ、いよいよアイツもおしまいだな」


「言えてるわぁ」


「うっさいよあたおかコンビ! じゃあ私たちも街に行ってみるから、期待して待っててね!」


 そう言いながらリネン、ラミーとともに、ルーラも部屋を出て行った。

 これで、今部屋にいるのは、俺とベルさんだけになった。

 少しの静寂。

 クスクスと相変わらずの笑い方をして、ベルさんは静かに口を開いた。


「フフン、今更ながら、君のモテっぷりはすごいな。こりゃ本気になれば国だって傾けられるんじゃないか?」


 とても面白るような顔をして問いかけてくる。先ほどと打って変わって他愛ない雑談だが、それが今は少しありがたく、少し乗っかることにした。


「そんなんじゃないでしょう。この身体があくまで億万長者へのチケットだからですよ。そりゃあ、誰でも欲しがるに決まってる。それがあるから、みんなだって俺を守ってくれてるんだろうし」


「いやいや、まあ、イトたちもほかの3人も、最初はそのつもりだったろうがね……多分あの子たちはもう、無限の金を積まれたって、君を売ることはしないだろうさ」


「なぜです?」


「それは自分で考えたまえ、ハリくん。少なくともイトは、テロリストに殺されかけてまで、金を欲しがるような女じゃないさ、そうだろう?」


「……そうですね、その通りだ」


 ベルさんはイトたちのことを、結構昔から知っているのだろう。

 薬を売ってその代金をもらう。それだけの関係で、イトたちもベルさんもそれは否定しないはずだ。

 けれど、彼女たちと話すときのベルさんは、心なしか楽しそうに見えるのは、俺の願望だろうか。

 多分そうだろう。ベルさんには、彼女たちのことは好きでいて欲しかった。


「ふむ、まあ、彼女たちのことは大切にしてやりたまえ。さて、私も街にでも行って――」


「ベルさん」





「なんであのフード女がテロリストだって知ってるんだ?」





 好きでいて欲しかったよ。


「……」


 数秒が、永遠に感じるような沈黙。

 ベルさんは、表情を少しも変えず、一片のブレも見せず、ただただ静かに聞いてきた。


「君が言ったんじゃないかね、私ならテロリストの思考もわかるんじゃないかって」


「襲ってきたのがそうだとは言ってない」


 『内通者』。イトが話してくれた。ロジーが仕掛けるであろう毒。

 ただの杞憂であって欲しかった。万一そうだとしても、俺の知ってる人の中にはいないだろうと。

 ダイナーのテレビで見た、神託の種子ヴォルヴァ・デ・セミラというテロ集団の事件。

 嫌な予感がするといって、ラミーをよこしたベルさん。

 きっとそうはならない、そんな予感がしていた。


「なんで、テロリストなんて単語を出したとき、まったく疑問に思わなかったんだ?」


「……」


「なんで、襲ってきたのがそいつらだって、知ってるように今喋ったんだ?」


 だってそうだろう? 俺が話したのはあくまで、フードをかぶって丸鋸を持っためっぽう強い女に襲われて、イトが攫われた。これだけで、テロリストなんて単語は一回も出さなかった。

 実際のところ、俺もあの女が神託の種子かどうかなんて知らない。ただ近場であの事件が起きたタイミングで、今回の襲撃。どうしても無関係が気がしなくて、ベルさんにカマをかけてみただけだ。

 『テロリスト? 襲ってきた奴がそう名乗ってきたのかい?』なんて質問を投げてくれれば、俺の勘違いとして、謝罪すればそれで終わりだった。


 そんなもったいないことをする奴らのことなんて、理解したくもないね。

 テロリストに殺されかけてまで、金を欲しがるような女じゃないさ。


 今目の前にいるこの人はそう言った。まるでそいつらを知っているかのように、まるでその顛末を知っているかのように。


「ベルさん、俺はハッキリ言ってアンタみたいに頭が良くない。今言った話だってたくさん穴がある。『勘違いだ』と一言言ってくれれば、アンタを疑ったこと、謝るよ」


 そう言う俺の顔は、きっと情けない顔だろう。こんなことを言いながら、俺はこれが勘違いで、彼女がそれについて憤ることに期待していた。




「……ククッ……クハ、ハハハ!」




 それとは正反対だ。

 彼女はまるで、耐えきれないというように、腹を抱えて、静かに笑い始めた。


「ベルさん……?」


 俺の呼びかけに応えず、彼女は声を殺すようにして、そのまま笑い続ける。

 ひとしきり波が収まるまで笑い続け、そして落ち着いたと思ったら、息を整え、俺のほうを見た。

 その顔は、いつもと全く同じ、ニヒルな笑みを浮かべていた。


「私は嬉しいよ、ハリくん」


 ベルさんがソファを立ち、対面から、俺の隣に座り直す。


「これで気づいてくれなかったら、もうだめかとも思っていたんだが」


 にじり寄りながら、手を、俺の下腹部にあててくる。


「これならば、ママ・ロザリアもきっと喜ぶだろうさ」


 顔が近づく、俺の頬に、彼女はもう一方の手を添える。


「心配するな。彼女がきっと、君を一端の男に変えてくれるはずだ」


 鼻と鼻が触れるくらいに、唇が触れる寸前くらいに、彼女の貌がある。


「偶然じゃない。やはり君は、この地獄に来るべくしてきたのさ」


 ……今更、本当に今更ながら、気づいた。


「ハリくん」





「夜の王に、なってみないかい?」





 ベルさんの目は、眼鏡と隈に縁どられたその瞳は。

 底が見えないほど、暗く、黒い。

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