第二章 一夜~川原のやんちゃ者~

桜も終わり、日も長くなってきたのどかなある日。ようやく絵師らしい仕事の依頼を得た絵師は大川そばの芝居小屋を訪ねていた。

芝居が終わって落ち着いた頃合いを見計らったつもりだったが、訪ねた相手はちょうど小屋を出たところだという。

絵師は肩をすくめ、仕方なく小屋を出て大川の土手を歩き始めた。すると。

「うっせぇやい!」

甲高いが威勢のいい怒鳴り声が川原に響き渡った。

大川のほとりの堤から川原を眺めると、小柄な少年が屈強そうな大男を前に腰に手をやって啖呵を切っていた。

どう見ても大男の方が気圧されている。

「だからってさ、傾城君(けいせいくん)…。」

「オレに言い寄ってきやがった男の一人や二人ぶっ飛ばしたところで、何が悪いんだよ。」

「お前、一人や二人じゃないだろ…。そりゃさ、確かに悪くはないよ。ただね。」

「ただ、なんだよ。」

「今回の興行に随分と金を出してもらっているんだから・・・。」

「はぁ?じゃ何か?テメェ、オレを売ったのかよ。そうなんだろ、オイ!正直に言ったらどうだ?」

少年が詰め寄ると、大男はたじろいで後退った。

「オレは身売りだけは絶対にしねぇ、って何度も言ってるじゃないか。」

「別にお前を売っちゃいないよ、傾城君。まぁ、向こうが勝手に誤解してるし、わざと否定しないで思わせぶりにしちゃいるよ。

そのことはさ、そりゃお前には悪いとは思ってるよ。

でもだよ、もう少し色目も使ってさ、こう、うまくあしらってくれよ…」

傾城君とよばれた少年はフン、とそっぽを向いた。

「嫌なものは、い・や・だっ!!!誰があんな金に物言わせたイヤらしい野郎にそんなことしなくちゃいけないんだよ。冗談にもなりゃしねぇ。」

そっぽを向いた少年の横顔には見覚えが…どころじゃなかった。

今、ハッキリと思い出した。そう、いつぞや出会った烏太夫は天女のごとき美女に見えたが、あれは男だった。

…もっと上品で言葉遣いも丁寧だったはずなんだが。

目の前の少年は斜な言葉遣いで盛大にダダをこねている。

顔をみなければ気づくわけがない。絵師は慌てて堤を駆け下りた。

「おい、あんた、烏太夫か!!」

少年はいきなり現れた絵師をにらみつけた。

「はぁ?誰だよ、お前。それにオレは烏なんて名前じゃねぇし…って…あ…」

絵師の顔をまじまじと見た少年は固まってしまった。

「えっと、傾城君??」

大男が声をかけると、少年は呪縛が解けたように踵を返してどこかへ行こうとした。

絵師と大男は慌てて少年の腕をつかんだ。

「傾城君!!」

「烏太夫!!」

大男と同時に声をかけると少年は振り向き、

「うっせぇなぁ…。なんなんだよテメェらはさ。」

「話があるから声をかけてるに決まってるだろ。」

またも大男とかぶってしまった。少年は、不機嫌そのものの顔で二人を見た。

「あぁ?テメェら仲いいな。で、なんだよ。事と次第によっちゃぁ覚悟して話しやがれ!」

絵師は先に話をしていた大男を立てて、どうぞお先に、と声をかけた。

大男と傾城君と呼ばれる少年、絵師の三人は川原の芝居道具を修繕するために作られた粗末な小屋に入って話をすることにした。


さて、この大男、今評判の芝居小屋の座長だそうだ。

傾城君と呼ばれているこの少年は、童顔だが20歳をとうに過ぎた熟練の役者ということになっていた。

今流行りの芝居興行で美しすぎる、と評判の女形で当代一との呼び声も高い。

が、そこまで評判になると、言い寄ってくる者も多い。

座長は傾城君を餌に大店や芝居好きの武家らから金を集めて、興行を張っていた。

ところが、この傾城君、言い寄ってきた者たちをうまくあしらうのは面倒だと嫌がり、片っ端から袖にしている。

その上、見た目に反して腕っぷしがやたらと強い上に武芸の腕もたつ。

力に頼って襲い掛かってくるような相手は容赦なく叩きのめし、全戦全勝を誇っているといった具合だ。

それで恥をかかされたと恨みを買うかと思いきや、老若男女貴賤問わず全員平等に袖にするため、高嶺の花とさらに人気に火がついてしまった。

かなりしつこく付きまとう者もいるとか。

傾城君に言わせると、「頭のタガが外れた阿呆」に追われて鬱陶しいとなる。

で、今回の話というのも先日の宴での件だった。

座長が現在の興行の出資主となっている大店の宴に呼ばれ、出資の餌である傾城君を無理やり連れていった。

傾城君は仕方なく舞を一指披露し、役目は全うしたつもりでいた。が、この美貌の傾城君に大店の御曹司どもが一夜の相手を迫ってきた。傾城君は激怒し、数と金に頼って迫ってきた御曹司たちをまとめて(本人曰く、かなり手加減して)投げ飛ばしてきた、という。

宴に顔を出す度に起きている、いつものことだ。

座長は傾城君にそれをたしなめようと話をしにきたわけではなかった。

やんちゃな傾城君をたしなめたところで聞くわけがないことをこれまでの付き合いでよく知っている。

宴で投げられたお坊ちゃんたちのその後の顛末こそが問題だった。

彼らが恥をかかされたと恨んでくれれば、金は引き出せなくなるが、さらに容赦なく叩きのめせばいいので楽だ。

ところが、彼らは揃いも揃って傾城君にまた投げられたいと言い、また宴を催せ、と親に頼み込んでいるらしい。

それを聞いた傾城君は頭を抱えた。

「お前さ…武勇伝が増える度にお前の言うところの頭のタガがなくなったヘンな連中が増えてんだぞ。小屋の守りだって大変だ。いい加減にしてくれ。」

「だからって、思わせぶりにあしらうなんてオレは嫌なんだってば。何度も言わせんなよ。」

傾城君は溜息をついてから続けた。

「特にあいつら大店の阿保どもときたらさ、オレたちのこと川原乞食なんて言いやがるんだ。

オレは好きで芸を売ってんだ。あんな奴らに媚びるなんざ胸くそ悪い。」

「・・・お前の気持ちはわかる。金のためだから仕方ないが、オレだって嫌々やってるんだからな。」

座長も溜息混じりにそういった。

「けどなぁ・・・とにもかくにも厄介すぎる。」

「うん。それはそうだ。」

二人は盛大に溜息をついた。

「お前のやりたいようにやって構わないがな。…先に忠告しとく。今のままじゃ、変人が余計に増えるだけだぞ。」

「うぅう…。」

傾城君は頭を抱えたまま唸ると、そのまま静かになってしまった。

多分結論は出ないだろう。

傾城君もそう思い当って考えるのが面倒になったらしい。その場にごろんと仰向けに寝そべると、思い出したように絵師に話しかけた。

「おい、あんた確か絵師だったよな。オレに何の用だよ?」

絵師は、烏太夫に色々聞きたいことがあり、捕まえたのだが…その前に片づけなければいけない仕事を思い出した。

烏太夫が傾城君だと判ったからだ。そもそもそのためにここに来た。

「ええ。ちょうど座長もいらっしゃるならちょうどいい。」

絵師の遊郭での美人画の腕が広まり、最近は別の筋からの仕事が入るようになった。

今回は最近流行り出したの浮世絵の美人画を描かないか、との誘いだった。

絵師の絵で刷った浮世絵が売れれば、その先も約束され、ようやく絵師として一本立ちができそうだと踏んでいる。

版元から頼まれたのは、目の前にいる役者「傾城君」の絵姿、それも舞台上の姿だ。

傾城君は男だが、舞台の上では本物より美しいとの評判通りの美女に化ける。

実際、絵師も騙され、女性だと信じ切って、見つめられれば赤面もしたものだ。

烏太夫という、かわいらしい女と妖艶過ぎる女の両方を見事に演じ切っていたのを実際にこの目で見ている。

傾城君であれば、最高の美人画が描けるだろう。

「最近流行り出した浮世絵にぜひ傾城君の役者絵をとたのまれましてね。今の芝居の傾城君をぜひ描かせて頂けないかと思いまして、こうして頼みにきました。」

「ふぅん、役者絵ねぇ。オレはどっちでもいいけど。」

傾城君はまったく感心がないようだ。が、金には目ざとい座長は違った。

「いいねぇ。役者絵が売れれば、興行の宣伝も金をかけずに済むどころか、むしろ金が稼げる寸法だ。そうすれば、大店との宴も減らせるんじゃないか。な、良いと思わねぇか?」

傾城君はうんざりとした声を出した。

「うそつけ。絵が売れりゃその分余計に稼ぐつもりだろ。オレをダシにした宴会は変んねぇどころかむしろ版元相手に増やす気でいるな。厄介が増えるだけにしか思えねぇけど?」

「…よくお見通しで。」

座長は苦笑いを返した。傾城君は絵師をちらりと見て

「ただ、この絵師の兄さん、腕は確かだよ。オレだけじゃなくて他の奴らも描いてもらえ。

おい、兄さん。前は女しか描かねぇとかほざいてたけど、オレを描いたから、男も描けるようになったろ。ちょうどいいんじゃねぇの?」

「はぁ。」

褒めてるのか、弄っているのか。

傾城君のあまりの言い様に苦笑いしか出なかったが、座長と傾城君の了承は取ったということにした。

「では、近いうちに天井桟敷で絵を描かせていただいても…。」

「そんな遠いとこで描くんじゃねぇ。袖で描け、袖で。なぁ、そう思うだろ、座長さんよ。」

「あ、そうだな。うん。好きなところで描いてもらってかまわないよ。座頭にも言っとく。

その代わりうちの役者もしっかり売ってくださいね。」

「はぁ。なにせ浮世絵は初めてで自信はござんせんが・・・気張らせてもらいます。」

交渉は成立した・・・んだろう。

座長も足を崩すと、思い出したように話し出した。

「ところで、絵師どのは傾城君のこと以前からご存じだったようで。こいつを烏太夫と呼んでたが、それは・・・?」

絵師が口を開く前に傾城君がさえぎった。

「おい、詰まんねぇこと聞くんじゃねぇよ。前に岡場所でやった余興芝居のオレの役名だ。この絵師さんはその時、岡場所の居続けで絵を描いてたんだ。」

傾城君は話を合わせろ、とばかり座長からは見えない位置で絵師の背を軽く蹴った。

「へ?え、えぇ、そうなんです。ちょうど女郎の絵姿を頼まれていて、居続けで仕事をする羽目になりやして。そこで偶然ある方の宴の余興芝居に居合わせたんですよ。このお人のことは役名しか聞いていなかったものでね。

私は遊郭・遊里に住み込みで絵をかくことが多くて、世間には疎いんで。

あの綺麗なお人がまさか、世間で評判の男役者とは知りませんでした。」

絵師の意趣返しに傾城君は余分な事は言うな、と再び絵師の背中を蹴った。

穴だらけの説明にも関わらず座長は妙に納得したようだった。

「こいつが男だなんて本当にもったいねぇよな。それはともかく。

これだけの実力があると色々なところからお呼びが掛かる。長丁場の興行になるとこいつを押さえるのは大変なんですよ。

苦労して捕まえたってね、たまに逃げられる。」

「はぁ?オレは興行ごとに手打ちしてるんだからな。どこに居ようと勝手だろ。」

「そうだけどさ。とはいえ、お前ほどの演者はまずいないからな。」

「お褒めの言葉と取っとくよ。そりゃどうも。」

傾城君は起き上がると絵師に向かって言った。

「よぉ、絵師さんよ、久しぶりの再会だ。行くだろ?」

と手で盃を持つ真似をしてみせた。

「いいですが、見ての通り、つつましいもので。」

「あ?そんなの判ってるよ。絵が売れたらたかりに行ってやる。今日はオレがおごってやるから。行くぜ。じゃな、座長。」

傾城君は絵師を引っ張って立たせ、首に腕を絡めると引っ張り出した。

「あ、おい、傾城君!」

「うっせぇ。たまにはまともに飯くらい食わせろ。またな。」

座長はやれやれ、という顔だったが、二人を見送ってくれた。

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