烏夜話(からすやわ)
@komakaeru
第 一章 一夜 ~遊女 明烏(あけからす)~
烏が塒に帰ると賑わう街。
ここは花街。
夜は煌びやかな行燈に道は照らされ、茶屋からは音曲と賑やかな声が漏れてくる。
男はそんな華やかな表通りをのんびりと歩いていた。
「𠮷原とはまた違う趣だねぇ。」
人が多く集まる土地には大抵花街があるが、ここはふらりとやってきた客には冷たい街として知られている。
男もこの地をよく知る兄弟子にあたる者からの招きがあって通りに踏み入れたものの、歓迎されていないんだろうなと肌で感じた。
大店の多いこの広い通りは明るく照らされているものの、客引きもいなければ、用心棒とおぼしき目付きの鋭い男がそこかしこから目を光らせる。
射殺されそうな視線に鳥肌がたつほどだ。
とはいえ、ここには遊びにきたわけではなく、逃げ帰ることはできない。
目的の場所を確認すべく、男は兄弟子からもらった絵地図を広げると、ひとつ頷き、脇道へと曲がった。
大店の長い板塀に沿ってしばらく歩き、板塀の隙間から漏れる灯りで再度絵地図を確認する。
よし、ここだ。
男は薄暗い板塀にしつらえられた板戸を軽くたたいた。
しばらくすると中から下働きと思われる男が現れ、板戸ののぞき窓を開けた。
男が兄弟子の紹介で来た旨を伝えると、覗き窓を閉め、しばらく待たされたのち、板戸を通された。
遊郭の裏口から暗い廊下を抜けると、そこに質素で小さな座敷があった。
男にそこで待つよう言うと、下働きは去って行っていった。
男はざっと座敷を見回す。
どこからともなく密やかな話し声や、三味の音が聞こえてくるが、宵の花街とは思えぬ程ずいぶんと静かだ。
狭い室内に行燈はあるものの火は小さく、薄暗い。
店表とは昼と夜程の差がある。
板間に敷かれた薄い座布団に胡坐をかき、廊下側の障子にうつる中庭の灯籠の灯りの揺らめきを眺めて四半時が過ぎたか。
男が少々眠気を催した頃、障子の外から声がかかった。
「お待たせして申し訳ありませぬ。急な客が上がった故・・・。」
障子が静かに開き、やや年増だが十分に雅やかな女が顔をのぞかせた。
男は慌てて居住まいをただし、女の方に頭を下げた。
「妾がここの主でございます。
あなたさまがご紹介いただいた絵師殿ですか。」
「はい。兄弟子より太夫の絵姿を描く絵師を探していると伺いまして。
参上いたしました。」
女主人は頷いた。
「ええ。お噂は伺っております。江戸で絵師をされておられ、美人を描くと右に出るものはないとか。楽しみにしておりました。うちの太夫を美しく描いて下さいませ。」
「気張らせて頂きます。」
女主人は雅やかに笑顔を作り、頷いた。
男は「居続け」とは名ばかり、その実は遊廓に住み込みで遊女の絵姿を描く絵師であった。
男の絵姿は遊里、遊郭でも美しく描いてもらえると評判で、また、遊女を贔屓にする客の男たちの間でもその絵姿はいたく人気があった。
男は絵の評判は良かったものの、一本立ちはできておらず、暮らし向きはよくなかった。華やかな遊女たちをひたすら描くことを人生の楽しみと自分に言い聞かせていたのだった。
今回の仕事を絵師に寄越した兄弟子は、江戸詰めの武家だ。
風流を好み、趣味で男と同じ師匠に絵を習っていた。
この兄弟子と絵師は師匠のもとで何度か顔を合わせた程度であったが、男の花街での評判と併せ、絵師のことを覚えていたようだ。
この店の主人が風流人の兄弟子に店の遊女たちの絵姿を描く評判のいい絵師の紹介を頼み、兄弟子はこの絵師に白羽の矢を立てたというわけだ。
男は他所もいってみたいが金がないと思っていたところだった。
いつもよりずっと多い報酬と、兄弟子が旅費も出してくれるという好条件に二つ返事で引き受け、今、ここにいる。
男は女主人の後に続いて遊郭特有の急な階段を上がった。階上の部屋から芳しい香の香りが漂ってきた。
丸く抜かれた月見窓のような障子戸が付いた部屋の前につくと、少し待つよう手で合図された。
「太夫、絵師がいらっしゃったよ。開けてかまわぬか」
主人が声をかけると、禿がそっと障子を開けた。
明るい部屋には天女のようとしか言葉か思い浮かばない、若い女が佇み、微笑んでいた。
「烏太夫と申します。どうぞお上がりくださいませ。」
主人から先に入るよう促され、廊下で頭を下げると部屋へ入った。
部屋の隅に座ったまま顔を上げると、太夫は微笑みながら男に目を向けた。
「江戸で有名な絵師と伺いました。贔屓の方より絵姿をと、頼まれまして。遠方よりわざわざお越しをいただき、ありがとうございます。どうぞお願いいたします。」
男は太夫の鈴のような優しい声音にさらに恐縮したが、主人に目をやり、主人が頷くと早速仕事に取り掛かることにした。
男が懐から筆を取り出すと、思い出したように、主人が紙を取ってくるから待て、と言ってきた。特別の紙が用意されているという。
眼前には天女のような美人。
どうにも気恥ずかしいが、太夫に気を遣わせる訳にはいかない。男は何か話題はないか、と頭を働かせた。
「あの・・・太夫、この間の慰みに教えておくんなさい。
烏太夫とは、何かいわれが?」
男がそういうと、太夫は不思議そうな顔をした。
「烏・・・というと不吉とはよく言われますが、あなたもそう思われますか?」
男は首を横に振った。
「いや、そんなことはありません。私は吉原を初め花街で絵姿を描くことが多いんですがね。
烏の名を持つお方は大層麗しい方が多い。
先日も名前に烏のいる遊女の話をきいたとこで。それを思い出したんですよ。」
太夫は驚いたような顔をして、まぁ、と言い、どんな話か続きをせがんだ。
男は住み込んでいた店のある遊女から聞いた話だが・・・と前置きして話を始めた。
「ある店に烏を可愛がっていた遊女がいましてね。
その遊女は刃傷沙汰の不始末で主家がお取り潰しとなったお武家の娘だったそうで。
父も兄もその主家の罪が重かったために新たに仕える先もなかったと。一家は路頭に迷い、その娘も泣く泣く身を売るしか無かったんだそうです。
その遊女は夜は地獄の苦界。けれど
夜が明ければ地獄も消える。朝を呼ぶ烏に早く鳴いてほしくて烏を可愛がっているんだと。
遊女はその言葉にちなんで「明烏」と呼ばれてたそうでね。」
烏太夫は興味深そうに聞いている。
「まぁ、私が太夫になる前と同じだなんて不思議な偶然ですのね。その先があるのでしょう?」
はい、と返事をしたところで店の女主人が香を焚きしめた上質の和紙を持ってきた。
「おや、太夫、楽しそうだね。そんなに面白い話なのかい?」
「はい。「明烏」というお人の話を伺っていましたの。
絵を描きながら、続きを聞いてもよろしいでしょうか。」
太夫がゆったりとした声と口調で言うと、女主人はそれをたしなめた。
「太夫、絵師殿も絵を描きながら話すのは辛いと思うけどねぇ。」
「よござんすよ。笑って頂いた方がよい絵になるんでね。
話ながら描くなんざ慣れてまさぁ。」
男はそう言って、細筆に墨を含ませ、持参した紙に筆を走らせながら続きを話始めた。
「明烏はね、太夫と同じように凛と咲く牡丹のような華やかな遊女だったそうですよ。
元が武家だけあって教養もあり、品も良く、それでいて笑うと頬のえくぼが愛らしく、贔屓も多かったとか。」
持参の紙に太夫の顔の習作をいくつか描き、手が慣れてきたところで、女主人のもってきた紙を一枚取り出しながら、太夫の顔を新ためて見る。
目を見張り、興味津々といった顔をしている。
男は続きを語り始めた。
「この明烏という遊女は、武家や大店といった太客の贔屓もつき、ついには太夫にもなった。
太夫になっても変わらず烏を可愛がっておりましてね。
朝になると餌をやり、その中でも特に懐いている烏を「翠(あお)」と呼びそれは可愛がった。
翠は明烏が窓を開けると真っ先にやってきて窓枠に止まり餌をねだる。
そして餌をもらった後もしばらく明烏のそばにいて、明烏が小声で話かけると首をかしげて話を聞いているように見え、それは愛らしかったそうで。
明烏と翠の穏やかな姿は年季明けまでずっと続くかのように見えましたがね。
この明烏、ただ年季明けを待つつもりは無かったんですよ。
明烏は遊女になってもお武家はお武家。
敵討ちをせねばならぬと自分のお家に起きた不幸な騒動の真相を探っていたんで。
明烏はさりげなく客に自分の主家の事件のことを聞いていましてね。
どんな小さな噂も聞き逃さず、手習いと称して紙に記していたそうです。
そうしているうちに主家の不始末が仕組まれたものだということをつかんだ。」
烏大夫も女主人も男の話に耳を傾けている。
「その主家の刃傷沙汰の不始末とは、お城であった殿様の宴で酔った同僚と言い争いになり、相手が切りつけてきた。ただ切りつけられたのでは武士の面目が立たず、殿様の前で刀を抜いてしまった。両家は喧嘩両成敗で双方切腹を申しつけられ、お家もお取潰しとなった・・・。
ところが、それで事は済まなかった。
先に刀に手を付けた家の家人が、明烏の主家の家に乗込み、謹慎していた主人の目の前で刀を振り回し妻子を切り殺してしまった。
家族を殺されれば、敵討は武士の定め。
主家の主も武器を持ち、相手の家に切り込むこととなった。
なまじに腕が立つ御人だっただけに相手の家人をも皆殺しにした。
双方が血みどろの斬り合いをした結果、両家ともお家断絶となり、仕えていた家来すべて浪人となった、というの表向き。
まぁ、よくある武家の残酷話でさ。」
男はここまで一気に話すと、一息付いた。烏太夫と女主人は顔を見合わせて、ほぅ、と溜息をついた。禿が淹れたお茶を一口飲んで口を潤すと、再び太夫の顔を覗き込み、筆を走らせながら、続きを話す。
「ある日、太客の一人が明烏の気を惹こうとしてね。
明烏が事件に興味を持っていたことを覚えていて、この血なまぐさい事件の詳細をよく知っているという者を座敷に連れてきたんですよ。
なぐさみ話として語った話というのが、これまた大変な話だったんで。
事件の発端となったとなった宴の斬り合いも本当は宴の余興の芝居で家老が持ち込んだ話だった、と。
流行りの赤穂の敵討ちの一場面「松の廊下」のお芝居だったとか。
殿様も承知の芝居であったはずが、殿様には伝わっておらず、本気の争いとされて双方処罰された、って言うんですから、穏やかじゃぁない。
両家とも余興の芝居であったと何度も申し立てたが家老も殿様も聞こうとしない。
そりゃそうですよ。事件の黒幕はこの殿様と家老だったんですからねぇ。
この両家は昔から、そう、東照宮様が天下を納める前から殿様に仕えていた古くからの家臣で家老を務めたこともある家系で裕福だったそうですよ。
江戸の世になり普請に参勤交代と家計が苦しい殿様は双方の家の財産を没収し、当家の財としようとしていた。
両家を潰し、禍根なくすべて取上げるために一計を案じ、あの事件をでっち上げたんすよ。
ただね、やり過ぎは事を仕損じるとはよく言ったもので。
仕上げとばかりに浪人者を送り込んで主家の家族を斬らせることで両家を潰すことはできたんですが。
両家に仕える家来の恨みも盛大に買ってしまった。
事件に巻き込まれ、辛い目を見た明烏も当然のように殿様とその家老に恨みを抱きますな。
そうして武家の娘として敵討ちをしたいと思いを募らせていたところに、あろうことか明烏の評判を聞いたその殿様が茶屋につなぎをいれて明烏を指名してきた。
明烏もこんな僥倖はないとばかりに殿様のお座敷に上がることに首を縦に振った。
明烏は賢いお人で、最初から復讐を遂げるような真似はせず、まずは様子を見た。
最初のお座敷は花街の仕来たり通り、ただ明烏と名乗るのみにとどめ、口をきくことも事もなく、目も合わせない。敵の顔を扇子の陰から見ていたそうな。
連れなくも、自分を見つめる美しい明烏に殿様はかえって夢中になった。
慌てたのは家老でね。
明烏に宴の話を語った武家というのは明烏が事件に関わる者ではないかと探りを入れるために放った家老の間者だったんですよ。
明烏はこの間者の話を表情一つ変えず聞いていたそうですが、そもそもこの事件の話も当時流行りだったの残酷話の一つでしたから何かと話題になっていた。
明烏がただ流行りに乗っただけなのか、事件にかかわる両家の者なのか判断できなかった、というわけです。
まぁ、明烏は始めからこの武家を訝しんでおり、話の内容が本当かどうかも疑わしいことこの上なし、もしかしたら踏絵のごとき罠かもしれないと思っていたようで、ただの物好きとして振舞っていた。それが功を奏して殿様の座敷にあがり順調に事も進めることができた。」
男は顔をあげて烏太夫を観察する。話を聞く烏太夫は小首をかしげ、愛らしい。
「そして、床入れの日が来た。
明烏が狙っていたのはこの時でね。殿様と部屋に入った瞬間、後ろを向き帯を解く振りをして懐から刀を抜き、静かに近づいた。
殿様の首元に刃を向けいざ、敵を打とうというその時、隣室に潜んでいた殿様の家来がふすまを開け、乗込んできた。」
烏太夫も女主人を息を飲んだ。
「明烏はすぐに捕まり、本懐は遂げられず、朝になり殿様を殺そうとした罪人として引き出されていったそうで。
・・・殿様の家来が明烏を引きずって店を出るとき、可愛がっていた烏の翠が店の屋根で大声で鳴き、それを聞いたたくさんの烏が大騒ぎをした揚げ句、殿様とその家来をつついたり蹴ったりしたそうでね。明烏の代わりに烏たちが一矢報いた、というおまけがついたと。
捕らえた明烏は朝早かったのと、当代きっての太夫の敵討ちの仕損じとあっては寝覚めが悪かったんでしょうな。明烏をすぐに拷問にかけることはせず、いったん牢に入れたんだそうですがね。半時ほど経って牢番が様子を見に行ったとことろ、牢には明烏はおらず、代わりに一羽の烏が居たんだと。
驚いた牢番が慌てている間に烏は牢の格子を潜り抜け、飛び立っていってしまった。
その後、明烏も烏の翠を見たものはいない、というのが私の聞いた話です。」
烏太夫と女主人は、まぁ、と声を上げて顔を見合わせた。
「その話、本当にもう続きはありませんの?」
男は烏太夫を見て力なく微笑んだ。
「残念ながら、ここまでしか聞いてないんで。・・・太夫、描けましたがいかがでしょう。」
男が紙を差し出すと、そこには愛らしい表情の太夫が描かれていた。
女主人はそれをみるとこういった。
「これでは可愛すぎるねぇ。
あの客は気に入るかもしれないがね。妾はもっとこう、艶のある太夫のがいいね。
太夫は今日はもう疲れているだろう。
また明日、描いてもらいましょうかね。」
烏太夫はにっこり微笑んで、男と女主人を交互にみた。
「ええ、そうしてもらいましょう。それとね、姐さん、うちに伝わる烏太夫のお話を慰み話にしてもらえませんか。
じっとしているのはそれはそれは退屈ですもの。」
女主人は溜息をついた。
「主人の妾を座敷に出さない気かい?
まったく、これじゃ商売上がったりだね。
ま、よござんすけど。」
「では、よろしゅうに。」
烏太夫は無邪気に笑った。
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