67.狼煙(のろし)の日

 春の終わりの月曜日。


「エドぉ、すきぃ」

「あぁ、ミーニャおはよう」

「おはよう、エド」


 ちゅっちゅ、とミーニャがほっぺにキスをしてくる。

 まだキスがなんたるか理解していないのか。

 それとも理解しているからこその女の子の愛情表現なのか。


 それを見ているシエルは顔を赤くしているが、まだ眠たくてそれどころではない。

 シエルは朝が弱く、ぐずぐず俺に抱き着いて寝ようとするので、ちょっと困る。


 ミーニャの両親とは部屋が別になったので、俺とミーニャと新入りのシエルで川の字で寝ている。

 まだ床に転がって毛布だけ使っている。

 ベッドは欲しいような、別になくてもいいような。


 宿に泊まったときにはベッドもいいかな、とは思ったけど快適度でいえばミーニャとシエルの抱き心地のほうがいい。


 部屋は前と同じで土足禁止だ。

 キッチンとダイニングは土足で部屋の前で脱ぐことにしている。


「エド、今日は狼煙のろしの日だよ」

「わかった」


 ギードさんが教えてくれる。


 ――『狼煙の日』。


 なんということはない。

 国中の公的機関の狼煙台が一斉に火をつけて、その訓練をする日だ。

 イザというときに使い方がわからなかったり、狼煙が見えない、確認できないではお話にならない。


 そのためこの国では年に二回。春の終わりと秋の終わりの月曜日に狼煙を上げる。

 俺たちには特に意味はないが祝祭日というやつだ。


 暦の上では、狼煙の日の翌日から夏、冬と呼んでいる。

 実際にはまだ寒い日がたまにあったりするんだけど、そういうことになっている。


 この世界でもいわゆる「暦の上では夏」というやつだ。


 朝ご飯を食べて、スプーン作りをして早めにイルク豆でお昼を済ませてしまう。


 そして正午になる前に、スラム街までみんなで行く。

 前の家、今は「メルン診療所」へ向かった。


 このあたりからは森の上に「見張り山」が見えているのだ。


 スラムの家はどの家も一階建てという不文律で、しかもだいたい屋根が低い。

 メルン診療所はスラムの中では立派な土壁と木の屋根だ。ただし隙間は空いていて、相応にボロい。

 それ未満のテントみたいな家が多いので、当然屋根はあってないようなものだ。


 ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン。


 お忘れだと思うが、正午十二時は「六の刻」といい「六の鐘」が鳴る。

 時間を支配している立派な教会様は魔道機械式という魔道具と機械のハイブリッドの大型時計を装備していて、かなり正確であるという。


「おおぉ、煙、出てきた」

「すごいすごい。これが狼煙なんだねぇ」


 ミーニャも半年前に見たことがあるはずだが、初見のようによろこんでいる。

 子供はなんでも覚えているとは限らないので、まあそんなもんだ。


「狼煙ですね」

「わわ、狼煙みゃう」


 三者三様の反応をして、みんなで同じように右手を目の上にやって、遠くを眺めるポーズでそれを見つめる。


「反対側見てみ」


 西側を見るとトライエ市の城門つまり東門があり、その城門の上からも狼煙が出ている。

 それから少し南側の領主館の辺りからも狼煙が上がっているのが見える。

 領主館そのものは城壁で完全に見えない。


 さらに北門、西門からも煙が出ていた。


「あっち、あっち、遠くみゃ!」


 シエルが指をさすのはエルダニアの方向だ。

 確かに遠くに霞んでいるが、狼煙の白い煙が見える。


 狼煙は薪などに水分の多いものを投入して、たくさん煙を出すので、ほとんどが水蒸気だ。

 だからだいたいは白い。


 たまに違う意味を持たせるために、黒い煙と白い煙を使い分けることもあるらしいが、詳しくは知らない。


 周りをぐるっと見渡してみると、途中のバレル町がある東方向からも煙が上がっている。

 それからその少し手前、エクシス橋からの煙も見える。


「ヘルホルンのほうも! 二つある!」

「おう」


 北のほうへ目を移すとヘルホルン山の左右からの狼煙も確認できる。

 西側の登山道の麓にあるヘルホルン西砦、エルフ騎士団が通ったはずのヘルホルン東砦の二つだ。


 砦といっても規模は小さく、一応エルフ国との国境の関所なのだけど、まあ立派な山小屋だと言ってもいい。


 ただし石造りで標高が高いので、冬季には少し雪も降る。


 この辺トライエは雪はほとんど降らないけど、北のほうは山の影響なのか積雪があるのだ。

 エルダニアもその雪が風に乗って飛んでくるらしく、年に何回かは降雪があるそうだ。


 だから避難民は雪を避けて南側のトライエに多く滞在している。


 生粋の『エルダニアン』は冬になるとみな同じ冗談を言う。

 ドリドンさんとかね。


『今日は寒いな。エルダニアの雪が恋しいぜ』


 腕をさすりながら鼻で笑い飛ばす。

 寒いくせに、よくいう。


 ドリドンさんも元エルダニア民で、大型商店を営んでいた。

 持てるだけの財産をもって逃げてきたが、財産のほとんどが物資だったので、そのほとんどを失った。

 残ったのは人脈くらいだったそうだ。

 あの人は利益がでるようになってもトライエ市内に移転するのをしぶってドリドン雑貨店を続けている。

 ひとつはスラム民のため、もうひとつはエルダニアンだからだ。

 彼の目標はエルダニアの再興であって、トライエ市民になりたいわけではないのだそうだ。


 まあドリドン雑貨店が閉店になったらスラム民は困るのは目に見えているので、大変ありがたい。

 俺は一足先にトライエ市民になってしまったが、恨まないでくれ。


 そうそう市民になるとはいうが、家賃には市民税が含まれているので、余分に税金を負担する必要はない。

 正確に言えば「人頭税」という税で、人間に掛かっている。

 設定された住民数より多くの人が住んでも問題はないことになっている。一応どんぶり勘定らしい。

 これはいちいち事務処理なんてやってられないので、その経費を考えたら家賃から天引きしたほうが安く済むという合理的な考え方による。

 情報処理システムとかあるわけないので、それでいいのだ。


 この政策はトライエ市で子供を産んでも余分に人頭税を負担する必要がないという意味でもあるため、近年出生率が上がっていて、子供が多いらしい。

 景気が上向きであるのと合わせて、市内の活気はこうして作られている。

 なお他の都市がどのような税務システムであるかは知らない。


 とにかく、こうして狼煙の日を無事に過ごすことができた。

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