ビルの中のベッド

私は疑わずにはいられなかった。

エーリッヒ・フロムの理論である「人との合一」「神との合一」という感覚に、、、

フロムは人は昔から自然や神など自分より大きなものへの合一の感覚を求めているという。

昔で言えば祭りなど集団的な陶酔がその役割を果たしていたし近年(といっても1945年付近のフロムにとっての近年だが)は酒やたばこがその役割を果たしてきたという。

3つ目の手段が絵や芸術など自己の表現としての合一らしい


人が合一を目的とするならなぜ今日のように一日中一人でゲームしたりYouTubeみたりTikTokみたりする怠惰を絵に描いたような日を過ごすことになるんだ?

それならなぜ私はこうして自分に向き合う時間を先延ばしにしてまでこんな無駄なことをしているんだ?

それならなぜこんな無力さと孤独を感じているんだ?


いまのわたしっていったいなに?


そんなことを考えながら夜の10時に犬の散歩をしている。もしここを通りがかる人がいたとしてもだれも身を滅ぼしそうなほど思い詰めているとは思うまい。

夜の公園には昼の快活さとは逆の幻想的な自由がある。誰も見てないからなんだってできる。だからといって滑り台の上で寝転がる以外に特段何かをすることはない。ただ何をしても誰にとやかく言われない。それが大切なのだ。

犬も寝転がっているときは身を寄せて待っていてくれる。初めに来た時はこれが犬か!?と思うほどいうことを聞かず嚙まれていたのに随分大人しくなったものだ。


その夢想的な時間が残酷な事実を受け入れさせてくれたのかもしれない。

私妄想を信じ込む狂人であり麻薬中毒者であった。


始めにこんな生活になったのは中学のときだった。

私はそれまで自分の話をしたことはなかった。いつもその場にあるものに合わせて話をしていた。友達とはいっしょにやるゲームの話、お互いが好きな漫画の話、学校の話。そういう無難で当たり障りのない話でその場に受け入れられていた気がした。その好きなものが自分が好んでやり始めたものなら救われたかもしれない。しかしそうではなかった。小学2年生の時の時に初めて買ってもらったマリオも友達がやっていたのを見て親にせがんだものだったし漫画も親がみているものを退屈しのぎに見ていてそれをたまたま友達が知っていた。中学に上がってもそれは変わらず友達の家にあるバイオハザードを一緒にやったり友達が好きなレースゲームをゲームセンターにやりに来ていた。

私とは他人の寄せ集めであり、私などなかった。


それは別に遊びだけではなかった。塾でも常に点数がいいことが求められていた。ランキング制で点数が悪いとしたのクラスに入れられる。だから必死に勉強した。部活はそこまでうまくなることは求められていなかったので、と言ってもうわさでは高校並みの練習量と言われていたものを野球部の一員として必死にこなした。家では父の機嫌を損ねないことが必死だったが結局何をしても怒り出すことが分かった。


嗚呼、疲れたなあ


そんな中学3年生の私には夢があった。

ここで言うのも恥ずかしいが旧学区でトップの高校にいき京大に行き天才物理学者になって同級生からほめたたえられようと。高校では勉強もトップレベルにできて本気で好きになる彼女もいて部活の弓道部で全国優勝しよう!と。

最高な青春であり、最高な人生であると思わずにはいられない!

このためになら睡眠時間を1時間にしても勉強する価値がある!

そう思った。


いや実は逆なんだ。

人に勝つには人よりそれをやるしかないのは経験でわかっていた。

でも10人中9人に勝つためにはそれこそやらねばいけない量は半端じゃなかった。

だからそれをやるだけの、正当化するだけの理由がいるんだ。


なぜその高校を目指していたかは初めは地区でトップだからと母親が勧めていた。

でもやっぱりそれを目指そうとしたのは自分であった。


これまでの他人で作られた自分、野球部でレギュラーになれなかった自分。

それが唯一まわりを見返せるという希望だったのだ。


無論、もうそのころには精神的にガタが来てた。

学校では内申点が上がるように振る舞い、部活ではキッツい練習にレギュラーになれないのに頑張り、塾では周りとの死にもの狂いの競争にさらされ、家では難癖付けられて父親にキレられる日々。これが3年間続いた。


その唯一の救いはゲームだった。学校も塾も終わった深夜1時に妹の3DSで一時期流行った「妖怪ウォッチ」のオンライン対戦をした。あとは「マリオカート」のオンライン対戦をしたり漫画を読んだりした。そうやっているときは日常の全てが忘れられる誰にも言われてやることじゃない自由なものだった。それにゲームでだんだんと人に勝てるようになっていくのは至福だった。自分の組んだデッキや自分のプレイスタイルによって勝った時の優越感はかなりあった。


それが中学に上がりスマホを持てるようになった。

そのときからスマホはすごかった。それまでのゲーム機ではソフトを買わないといけなかったがそこではタダでいくらでもオンラインゲームができる。それも割とすごいグラフィックでだ。そこで戦車や戦闘機、軍事戦略ゲームにハマった。すごい!昔やりたかった戦闘機のゲームもあるし戦車のゲームではちゃんとした戦略がいる!敵をキルしたときはやってやった感がすごい!これ一人一人を人が動かしているんだ!それでそいつに勝った!へえー意外にみんな弱いなー。


私は夢の中にいた。


高校に入ってから求められることは上がった。

それでも私は高校で頭のいいと思われるように塾に通おうとした。しかし父親とこれ以上なく関係が悪化していた私は塾に通わせてもらえなかった。父親は高校入試のときも絶対安全圏じゃなければいけないといってそれでも受けるならといって土下座をさせらた。それで私が受かったもんで父はさほど偏差値が高いところではなかったので恐らく妬みがあった。父は私が母と仲良くしているとすぐに機嫌を損ねて細かいことで高圧的になった。


塾に通えなくなった私はもちろんそれまで塾での競争が勉強する理由となっていたのでそれがなくなった今、全く勉強などしなかった。それでも面白いことに京大に受かることはまじめに考えていてどの参考書をやればいいか計画を立てていた。それはその高校は偏差値は高いが2流の高校で京大や東大に行く人はほぼおらず早慶が一般的だった。だからそのときの自分は学校のとおりにやっていてはだめだと思ったらしくこれが夢想に拍車をかけた。


その夢想と現実の隔たりはスマホゲームが埋めた。その世界はこんな現実と一切関係ない!この世界は私に興奮と優越感を与えてくれる!しかもそれをやっている間は私の夢想がただの夢だと気づかなくて済む!なんていい世界なんだ!


そうなんだ現実がおかしい、学校に行くと私の夢と現実の違いを見せつけられる

そもそも勉強する理由って何?死ぬほど勉強した先がこの世界ならこの先も同じでしょ?

ゲームしていれば夢想は壊れない!私は私の世界が保たれる

ああ、もう全部どうでもいい


私は夢はずっと夢の途中なのだ

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