元令嬢と重い男

黒瀬真白

日々

朝の光が顔に当たり、そのまぶしさに無意識に顔を顰めゆっくりと目を開ける。

見慣れた天井にどこか安心しながら寝返りを打った。


「おはよう。よく眠れた?」


そう声を掛け頭を撫でてくるのは私の夫。

とても幸せで穏やかな朝の風景。私はにこりと夫に微笑み、夫もそれに釣られ笑顔になる。顔立ちが良い彼はどんな表情をしても素敵だ。・・・たとえその目の下に隈が出来ていても。


「・・・。」

「・・・そんなに見つめられると嬉しくてどうにかなっちゃいそう。」

「アル。」

「ん?どうしたの?」

「ちゃんと寝たの?」

「え、ちゃんと休んだよ?」

「違う。私は寝たのかって聞いたの。」


軽く睨みながら夫の返答を待つ。私が怒っているのが伝わったのだろう。

視線は泳いでいる。

その様子をみて私はわざとかってぐらい大きなため息をついた。

カッと目を見開き夫の頬をつねる。


「また寝なかったのね!今日仕事でしょう!?」

「いや、だって、寝たら君の寝顔を見れないじゃないか!」

「見なくていい!」

「やだやだ僕はみたい!」

「そんな理由で、倒れたらどうするの!?」

「僕は倒れないから安心して!」

「そんな濃い隈作ってる人の発言をどう信じればいいのよ!」

「僕の君への愛を信じて!」

「意味が分からない!」


何度目・・・いや結婚してほぼ毎日このやりとりが朝の恒例となっている。

夫は、寝ない。別に不眠症だとかそういった病気で眠れないんじゃない。敢えて眠らないのだ。やめてと言っているのにやめない。酷く頑ななのだ。


「・・・はぁ。とりあえず、朝ご飯つくるね。」

「ご飯はもう作ってるよ?」

「・・・そう。ありがとう。」


夫に見守られながらご飯を食べ、仕事に行きたくないとごねる夫を家から叩き出す。

酷く絶望した表情で出勤する夫に手を振り見送る。


あらかたの家事を終えはぁっと息を吐きつつ、椅子に座る。

家事と言っても率先して夫がしてしまうため私の仕事はほとんどない。

仕事をしているんだからと何度か私が家事をすると言ったが、とても良い笑顔で「君が過ごす環境を僕が整えてるって考えると(興奮して)止まらないんだ。」とこれまた訳の分からんことを言い、押し切られてしまっている。

確かに私は元令嬢だ。実家も格式がすごく高いというわけではないが、身の回りのことをしてくれる人達はいた。だから、夫と結婚をするまで家事はしたことがなかった。


「信頼されてないのかな・・・。」


最近はそんな考えが一人の時に巡る。

私が何も出来ないから、私が何も知らないから。私が頼りないから。

彼にたくさん負担をかけてしまっている。


・・・役に立てないのが悲しい。


うとうととしながら、ひどくやるせない気持ちになった。あらがいがたい眠気に特に抵抗することもなく目を閉じた。



********


「君との婚約を破棄したい。」


目の前の婚約者は私を蔑む目で見てそう吐き捨てた。

呆然とみていると、部屋の扉が勢いよく開き婚約者の名前を甘ったるい声で呼びながら女が入ってきた。

宝石をじゃらじゃらとこれでもかと言うほど付け、見せつけるかのように大きく開いた胸元。女は婚約者に抱きつき私に勝ち誇ったかのような笑顔を向けた。

婚約者は悪趣味な女を愛おしそうに見つめ、その腰を引き寄せている。


「こういうことだ。彼女と結婚をしたいから、もう君は不要だ。」


不意に突きつけられた現実に思考が追いつけないまま、婚約者の屋敷を追い出され実家へ帰る。

しかしそこで待っていたのも人からの冷たい視線。

特に父の後妻からの罵りは聞くに堪えないものであった。

父は後妻を愛しており、政略結婚の前妻の娘である私の扱いは悪かった。

両親は厄介払いできると踏んでいた娘が婚約破棄をされたことを私以上に残念がっているようだった。


どこにも私の居場所はない。婚約者の元にも、生まれ育ったこの屋敷にも・・・。


愛情以外不自由なく育ってきた。ただそれは、私を家の発展に利用するために必要だから。自分の娘だからではない。すべては家の為。

実の母親は私を産んですぐに離婚し私を置いて自分の実家へ戻ったと聞いた。実の母親にすら厄介者扱いをされたと分かったとき、ただひたすら婚約者に取って良き妻になれるよう必死に教育を受けた。愛されなくてもいい。婚約者に愛人がいようとどうでも良かった。ただ必要とされたかった。それだけだったのに。


涙は止まることなく私の頬を濡らした。

さくりと足の下で草がなる。役立たずで邪魔な私は消えた方が良い。

そんな事を考えながら歩いた先は国境近くの森。鬱蒼と生い茂り昼間であっても日が差し込まず、魔物が出現すると誰も近づかない場所。

ここであれば、私は追われることもなくただただ魔物に襲われ誰にも迷惑を掛けることなく死ねるだろう。

誰にも迷惑を掛けないという事に私は安心し、森に入ってしばらくした木の根っこに座り込んだ。


疲れた。もう頑張りたくない。


目を瞑り休んでいると、何かが近づいてくる音がする。ゆっくり目を開けると木の陰になり真っ暗な空間にいくつもの光る目が浮かんでいる。常であれば悲鳴を上げ、逃げようとしていたかもしれない。だけど私はようやく楽になれるのだと、その死神の来訪を喜んだ。

目を閉じ、終わりの時を待っているが中々来ない。

不思議に思い目を開けると、そこには男が立っていた。

男は私に背を向けまるで守るかのように魔物との間に立っていた。このままでは男が代わりに傷ついてしまうのでは?と思い、止めるため声を掛けようとしたが叶わなかった。

狼のような姿の魔物が一斉に襲い掛かるが、男は慌てる様子もなくすっと手を前から横に移動させた。その動作の数秒後、遅れて狼たちが弾き飛ばされる。

弾き飛ばされ姿勢を崩した狼に今度は光る槍のようなものが無数に突き刺さり、一瞬で魔物の命を奪い去った。すぅっと光る槍が消えた後、魔物の姿もさらさらと崩れ去っていく。

何が起ったのか状況を飲み込めないまま、ぽかんと口を開けて男を見ていると、突然男がくるりと振り向き近づいてきた。ふわっと浮いた茶髪に、非常に整った顔。

その顔にニコニコと人好きのする笑顔を浮かべ、男は私の前で跪いた。


「お嬢さん、もう大丈夫ですよ。」


そう言った男はさっと私を抱え上げそのままどこかへ歩いて行こうとする。


「あの、ちょ・・・どちらへ!?」


私の言葉に「あ、」と声を漏らし足を止めた男はにこやかに答えた。


「説明不足ですみません。憔悴しているように見えたので、早めに休める場所へお連れしようと思ったのですが・・・迷惑ですか?」


形のいい眉毛を八の字にし、うるんだ瞳で見つめてくるその姿はまるで愛玩動物のようで。

(耳、垂れた耳が見える・・・。)


「い、いえ、迷惑というより、どこに行くのかと気になったので・・・。」

「そうですよね、女性ですから知らない男に抱えられてどこかへって怖いですよね。安心してくださいって言っても難しいかもしれませんが、この近くに小屋があるのが見えたんです。今は夜ですし、魔物が活発になっているので一旦屋根のある場所で朝まで休んだ方が良いと思ったんですよ。」

「そ、そうなんですね。お気遣いありがとうございます。」

「このままお連れしても?」

「・・・お願いします。」


そう伝えると目に見えてご機嫌になった男。足取りも先ほどより軽い。

静かに息を吐き、元々死ぬつもりで来たんだから、魔物に殺されるか、この男になにをされようが一緒かと、胸中で思いそっと目を閉じた。

これが私と夫、アルフレッドとの出会いだ。


******


「・・・ラ、ミ・・・・。・・・て。」

「ん・・・。」


遠くから自分を呼ぶ声がする。

そう思いながらゆっくり目を開けた。

視界いっぱいに夫の綺麗な顔。目を閉じゆっくり近づく彼に応えるように私も目を閉じる。ちゅっと軽い音を立てて触れた唇は間を開けず再び触れた。先ほどのものと違い深くなるキスに驚き、思わず夫の胸板を叩く。それに気付いた夫は名残惜しそうに離れていく。


「もう!気を抜くとすぐに・・・っ!」

「ごめん、ごめん。ミラが可愛くってついね。」

「まったく・・・って、まって?アルが帰ってきてるって事は・・・。」


外を見るとすでに暗くなっていた。


「私、思いっきり寝ちゃってた・・・。」

「寝顔可愛かったよ。」


落ち込む私を抱きしめながらアルフレッドは顔中にキスをしてくる。

(ろくに家事もせず、昼寝で夫が帰ってくるまで寝てしまうなんて・・・妻失格ね。)

はぁっと息をつきながら、私はアルに謝った。


「ごめんね、だめだめで・・・。朝もアルがご飯作ってくれたし。」

「いいんだよ。ミラが僕と一緒にいて、僕の帰りを待ってくれてるってだけで、幸せだよ。」

「そんなのだめよ。家事が出来ないなら、働くとかしなきゃかしら・・・。」

「駄目。」


思いついた代替案を言っただけだが、低い声で夫が静かに言った。

怒られたと感じびくりと肩が跳ねる。

それに気がついた彼はいつもの笑顔になりぎゅっと力強く私を抱きしめた。


「怖がらせちゃったかな?ごめんね。僕嫉妬深いからさ、ミラが働きに外出るなら、世界中の男の目を潰して回らないといけなくなっちゃう。」

「え。そ、そんなに!?」

「そう、そんなに。」

「えー・・・。」

「・・・呆れた?」

「まぁ、でもアルだしなぁ。」

「ははは!ミラぐらいだよ、こんな発言聞いてもそうやって言ってくれるの!僕の知り合いはいつも冷めた目で見てくるよ。」

「いつも、こんなこと言ってるの!?それは・・・。」

「あ、誤解しないでね。僕が愛してるのも、嫉妬深くなってしまうのも、涙が出そうになるのも、閉じ込めたくなるのも、一緒に笑いたいって思うのは、ミラベル。君だけだよ。」

「・・・一言、怖い言葉が混じってた。」

「できるなら、全部管理したい。」


あまりにも真面目に言うから、「ひぇ・・・。」としか返せなかった。


「ようやく、ようやく僕の所に来てくれたんだ。誰の目にも触れさせず、僕だけを見て、僕だけの為に生きてくれればいいのにって常に思ってるよ。」

「それ笑顔で言うことじゃない!!」

「いや~、真剣な顔で言われた方が困るでしょ。」

「そうだけどさぁ・・・。」

「あ、ミラご飯まだだよね?」

「え、あ、うん。まだだよ。」

「そっか。僕、夕ご飯作ったから一緒に食べよう!」


そういうと彼はそのまま私を抱き上げた。

私の話しは聞いてくれるけど彼は基本マイペースだ。今もそのマイペースさが発揮されている気がする。


「アル。私、歩ける。」

「このまま行こう。」

「やだ。歩く。」

「ミラ成分が足りないからダメ。」

「なにその成分。」

「僕の主食。」

「なにそれ、コワイ。」


眉間にしわを寄せてそう言うと彼は笑い、おでこにキスをしてくる。

彼があまりに優しい顔で、明るく楽しそうに笑うから。なんだか、ダメな私も赦される気がして。少し泣きそうになったことを誤魔化すように笑顔で「遅くなったけど、おかえり。今日もお仕事お疲れ様。いつもありがとう。」そう言った。すると彼はさらに笑顔になり「愛してる」と言ってくれるのだった。


この後、私の食べる姿をずっとみて、自分は食べようとしない彼を怒ってしまったのは余談だ。

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元令嬢と重い男 黒瀬真白 @momomood115

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