後日談・1
第17話 それからのこと。
「来ちゃった!!」
詰め所のドアから姿を現した、高貴な姫君。
らしからぬ、砕けた物言いではあったが、他ならぬそのひとこそ第二王子のもとへ嫁いできた隣国の姫君であるのは周知の事実。無碍に出来ないのは間違いない相手。
仕事終わりが近く、机に向かって書き物をしていた薬師たちの間で(お前が対応しろ)(いや、お前が)という空気が流れる中、ドアのそばで「あ、すみません」という声が上がった。
「アリスちゃん。いないからどうしたのかと思っていたわ!! 迎えにきたのよ~!!」
すぐさま、絡まれているのは先ごろ宮廷薬師として正式採用された隣国出身の薬師。面倒事は全部引き受けてくれるだろう、と詰め所の中の空気がのんびりとしたものになる。
アリスはといえば、夕方詰めかけてくる訓練上がりの近衛騎士たち用に、大量の薬を袋詰めして籠にいれて持ち帰ってきたところであった。
入り口をふさいでいる姫君相手にどうしたものか、と困った顔をしていたところで、いきなり両手で持っていた籠を奪い取られてしまう。
「フローラ様、重いですよ!?」
「たしかに重いわ。わたくしに一刻も早くこれを離してもらいたいなら、ちょっと付き合いなさい」
「薬を人質にとられた……!? 人ではないですけど」
「早く来なさい、アリス。じゃないとあなたに荷物持ちをさせられて辛いって王宮中喧伝して歩くわよ!」
「や、やめてください! 王子殿下に知られたら首を刎ねられます!」
ごちゃごちゃと言い争いながら、姫君が詰め所の中へとひょいっと顔を向けて、一声かけてくる。
「というわけで、エイル。アリスを借りるわよ」
「おう。いってらっしゃい」
騒ぎが去ってくれるなら重畳とばかりに、エイルは細かいことを何もきかずに返事をした。
* * *
フローラがアリスを連れていったのは、近衛騎士の修練場。
見学用の席があるからと言っていたが、行ったそのとき特に席らしいものはなかった。フローラが姿を現すなり隅で稽古が終わってへばっていた騎士たちが「こ、こちらに!!」と言いながら優美な足つき布張りのソファなどを運び込んできた。薬の籠を地面に置いて扇で自分の顔を仰いでいたフローラは、当然のように歓待を受け入れた。
「さ、座りましょう、アリス」
「はい」
逆らう気も起きずに、アリスはその隣に腰掛けた。
目の前には小さなテーブルが置かれ、茶道具まで揃っている。お茶をいれた方がいいのだろうか、と思ったところで無骨な手が伸びてきて、騎士のひとりがきっちりとポットから茶碗に茶を注いでいった。目が合うと片目を瞑って愛想よく微笑まれる。アリスもにこっとだけ微笑んでみせた。
「最近どう、調子は」
「お優しいお気遣いありがとうございます。忙しいですが楽しく働いています」
「あら。わたくしが聞いているのはラファエロとの仲よ」
お茶を飲もうと茶碗に手を伸ばしていたアリスは、ひっくり返しそうになって手を引っ込めた。
(飲んでいたらふいてたわ。本当に、この方は……!)
ちらりと修練場のど真ん中に目を向ければ、ちょうどラファエロが部下に稽古をつけている最中。
訓練用の剣で相手を打ち倒しつつ、「次! まとめて来い」と鋭く声を上げている。
その指示に従って、今度は三人がかりでラファエロに打ちかかるが、相手になっていない。動きのひとつひとつが、ラファエロひとりだけ違って見える。
「ラファエロ様にも、ずいぶん気を使って頂いていると思います」
「結婚できそう?」
気安い口調で聞かれて、アリスは軽くフローラを睨みつけた。
その目つきが面白かったのか、フローラは明るい笑い声を上げて言う。
「わたくしたちの国では、いまだに女性に相続を認めない貴族法が幅を利かせて窮屈この上ないけれど。この国は違うわね。すでに十年も前に法が改正されている。それだけでなく、身分差にもかなり寛容だわ。さすがに平民と王族という組み合わせはまだ考えにくいけれど……。あなたは今後自分自身の働きで爵位を得る可能性は十分にあるわね。どうしても身分が足りなければ、エイルあたりが養子にでもして体裁を整えてくれるでしょう?」
さらりと言われた内容に、アリスは気軽に頷くこともできず口をつぐむ。
しかし、思い直して最小限のことは主張した。
「エイル室長にお世話になるのは……。むしろエイル室長だからといいますか」
「ああ、そうね。エイルもあなたに執着しているものね。養子にして体裁整えるからうちに入ってくれ、なんて言いながら結婚したことにされてそう。重婚はさすがにきついわね」
「とんでもないことです」
(冗談でもまずい話を、この方は次から次へと……!)
横で聞いているだけでも生きた心地がしないことこの上ないのだが、見晴らしの良い場所で周りに聞いている者がいないのはわかるのだけがありがたかった。
「ラファエロ、今日は元気ね。見学にあなたが来ていること気づいているから」
「殿下はそんなことで仕事にブレが出るようなお方ではないかと」
「あら。ラファエロに夢を見すぎよ。彼は普段はそれなりに冷静だけど、こと好きな相手に関する件だけは別ね。あなたも少しあのテンションに合わせてあげていいと思うの」
(テンションに合わせるとは)
「具体的にはどういう」
「簡単よ、優しくしてあげて? 少しだけ特別扱いしたり。『仕事の後に会いたいです。少し顔を見られるだけでも嬉しい』って一言いえば、どんな用事も迅速に仕上げて駆けつけてくれるわよ。もし陛下や王太子殿下に引き止められようものならクーデター起こしてでも」
「起こされたくはないですね! それは用事を済ませてないから引き止められているわけで、まずはしっかりご自分の仕事を終えてきて頂けるのが私としては一番望ましく!」
とんでもないどころではない発言に、思わず立ち上がってまくしたててしまった。
そのアリスの背後に、ひとの気配。
「何を騒いでいるんだ?」
ひっと息を呑んでアリスは後ずさりながら振り返った。
汗をきらめかせながら、友好的な笑みを浮かべてそこに立っていたラファエロは、アリスの反応に笑顔のまま硬直した。
やがて表情をほのかに暗くして、「俺は何かアリスに嫌われるようなことをしたかな」と呟いた。
「してません! してませんよ!? 殿下には何も落ち度はありません!! あの、今日はですね、せっかくですから皆さんに薬をお届けにきたんです!! いつもこちらに来ていただいてばかりではと思いまして!!」
無駄に大声になった。
遠巻きに見ていた騎士たちが「おおおおお」と歓声を上げている。
ラファエロも「そうなんだ」と笑ったが、まだどこか少し悲しげに見えた。
アリスは焦りのままに、ベルトに挟み込んでいた革の小袋から特効薬を取り出してラファエロに差し出した。
「殿下には特別このお薬を!! 殿下だけは特別ですから!!」
「アリス、ありがとう。嬉しい」
ぱっと表情を輝かせて、ラファエロがアリスの手をとる。
(特別扱い特別扱い……! 特効薬を渡せばかなりの特別扱いにはなるはず……!!)
これで良かったに違いない、とアリスは自分に言い聞かせる。
その背後で、フローラはソファに身を投げ出すように突っ伏しながら、笑い声を上げていた。
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