第10話 二人の目的と、国境越え

 少しだけ馬の足を急がせている。

 アリスの乗馬技術ではぎりぎりの速度で、これ以上は上げられない。


 軍が差し向けられるというヘンリーの言葉ははったりではないはず、というラファエロの判断で「追いつかれたら仕方がないが、国境まで抜けてしまえるならその方が安全だ」と先を急ぐことになった。

 宿泊予定の街でも宿を取らず、馬をかえるだけで場合によっては夜通し走り続けると。


(手の内をぺらぺら話してしまうのはさすがヘンリー……! それとも、言わざるを得ないくらい、ラファエロやエイルを警戒し、怯えていた?)


 会話もない中、アリスは先頭を行くエイルの背を見つめた。

 木々の葉擦れによりまだらに落ちてくる光に、黒髪が艷やかに靡いている。


(エキスシェルの有力な薬師一族といえば、ラスティン家……。父の代までは交流があったはず。叔父上に代替わりをしてからはどうなんだろう。魔法薬草の詐欺が浮上しているこの時期に、アンブローズのお膝元まで出向いてきていた理由は何?)


 叔父一家の不正は、実に手際よく進められていたようにアリスには感じられた。裏になんらかの組織がついたとまでは言わずとも、入れ知恵した人物はいるのではと勘ぐりたくなるほどに。

 エイルは、魔法薬草について知識が豊富な人物とみて間違いない。

 だが、それならばヘンリーと敵対するとは思えない。


 そのとき、ラファエロが心持ち馬を寄せてきた気配があった。

 アリスが目を向けると、アイスブルーの瞳に真摯な光を湛えて「落ち着いて話せれば良かったんだが」と切り出した。


「魔法薬草の販売事業に関して、我が国でも最近とある詐欺行為があった。稀少な薬草に、特殊な魔法を付与して作る特効薬のが出回ったんだ。詐欺師の言い分は『薬草の品種改良に成功し、大量生産が可能になった。魔法もさほど高度な技術を必要としない。そのため、特効薬と同程度の効果が得られるものを、安価に販売できる』という」


 聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けていたアリスは、馬上であることを忘れて身を乗り出しそうになった。


「同じです。叔父上の手口もまさにそれです」


 わかっている、というようにラファエロはしっかりと頷いて続けた。


「同じ人間が関わっているんだ。俺とエイルはその詐欺師を追っている。アンブローズ子爵家に出入りしているのは、エイルが確認した。これからあの街を中心に、大規模な詐欺行為が行われる恐れがある。俺はあの街に滞在している王弟殿下が、それを見逃すつもりなのかどうか探りを入れていた。結論から言うと、限りなく黒と考えている。不正を告発するなら、直接中央に訴えでなければこの件、握りつぶされる」


(エイルは詐欺師と面識があり、ラファエロは王弟殿下にお目通りがかなう身分、もしくは探りを入れる手法に長けているということ?)


 かなり踏み込んだ話をしてくれたのを感じ、アリスも前を向いて手綱を気にしつつ、打ち明けた。


「安価な特効薬、本当なら素晴らしいことだと思いましたが、事実はまったく違います。稀少薬草サトリカの代用品と叔父がみせてくれた薬草は、よく似た従来品で効力は高くありません。そこに、一族の名を持ちながら、実際はあまり魔法を扱えない現子爵家の面々で効果を付与しても、特効薬には遠く及びません。使用しても体に害はありませんが、『同程度の効力』として売るのは詐欺に等しいです。しかも、『安価に』とは言いますが、庶民にとっては月収三ヶ月分程度、かなり高値で売りつける算段で。アンブローズの特効薬はもともと生産量が多くないので、実物を手にしたことがあるひとは少ないです。庶民層であればなおさら。求めるひとに一時的に売ることはできるでしょうが、あの新薬が出回れば、あまりの役の立たなさぶりに、築き上げた信用は失墜します。一体、叔父上は何を考えてあのようなことを……」


(家名を地に落としてまで荒稼ぎをしても、その先は)


 言い淀んで、言葉が途切れる。

 ラファエロの落ち着いた声が引き継いだ。

 

「能力が無いからだろう。アリスがいなければ作れない特効薬など、アリスが『もう作りません』と言い出したらそれまで。わかっているからこそ、アリス無しでも稼げる方法をと考えたときに、そこに行き着いてしまった。そもそも、能力による貢献によって付与された爵位であるのに、能力を持たぬ人間が継いでしまうのは、法の形骸化としか言いようがない」


「……であれば、遠からず爵位の返上をする日がくることを視野に、その前に荒稼ぎを」 


(その稼ぎから王弟殿下に賄賂を渡すことで、話がついている、と。詐欺の薬草は、健康被害自体はなく、ただ庶民からお金がしぼりとられるだけ。騙された人間が悪いとすれば、税金を上げるよりよほど効率が良い……、悪党!)


 もともと叔父一家がろくに魔法を使いこなせないと知ったときから、爵位返上もあるのではと、アリスも考えないではなかった。それを切り抜ける唯一の方法として、アリスとヘンリーとの婚約が画策されていたのは知っていたが、何度もはねつけてきている。

 一度、屋敷を追われた身なのだ。家名を守るために事業には協力してきたが、アリス自身はすでに子爵家の人間として扱われていない以上、虚しい尽力であることに気づいていた。

 それなのに、さらに都合よくまた呼び戻され、子を成すために結婚せよと言われても。


 爽風が頬を撫で、アリスは顔を上げた。


「風が気持ち良いですね。生まれ育った街に愛着はありましたけど、飛び出してきて、すっきりしました。自分ひとりでは、エキスシェルに行こうなんて考えなかったと思います。きっかけがあって、良かった」


 手綱を繰りながら、前を行くエイルの群青色の外套を見つめて、目を細める。

 その横で馬を進めながら、ラファエロが軽く咳払いをした。


「俺は、アリスと知り合ったのは偶然ではなく必然だと考えている。保護するのは当然だが、迷いなく国を出られると聞いて、安心した」


 心なしか、早口。

 アリスはふふっと笑みをこぼしてから、すぐに頬を引き締めてラファエロを見つめる。


「ですが、この件はどうにかして王宮へ伝えるべきです。そのために力を貸して頂けるのでしょうか」

「もちろん。そのためにも、まずは我が国に戻り、然るべきところと話す必要がある。強行軍になるが、急ごう」


 この言葉通り、その後は不眠不休でひたすら国境を目指すことになった。

 やがて予定よりも早く到達することができたことで、王弟の軍の追跡から逃れることに成功する。

 なお、国境を越えたところにはエキスシェルの軍が待機しており、三人を出迎えてくれた。

 疲れ切った状態で現れるのを見越していたかのように、手厚いもてなしを受けながら、アリスはラファエロの正体を知る。

 半ば予想し、覚悟していた敬称によって呼ばれていた。殿下、と。


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