第3話 提案
逃げ隠れする余裕はなかった。
すぐに戸口に男が数人、詰めかける。日差しが遮られて、室内がさっと暗くなった。
少なくとも三人は視認できた。その後ろにもさらに仲間がいるかどうかまでは、わからない。
「ごめんなさい。薬を求めてきただけのあなたを巻き込んだわ」
アリスは、小さな声で謝罪を口にした。
「薬の効果は抜群だった。俺は君に感謝している。危なくない位置まで下がって待っていて」
「あの人数を相手にする気?」
青年はアリスをその背にかばうように、さっと前面に立つ。
まさにそのとき、先頭に立った大男から、胴間声が響いた。
「薬を売って欲しい。工房の主人はいるか?」
当たり前の客のような呼びかけであったが、多分に揶揄う響きが含まれている。連れ立ってきた男たちが、周囲で「ひゃひゃひゃ」と失笑をもらしていた。
「用事があるなら俺が承ろう。どういった薬が必要なんだ?」
落ち着き払った態度で、青年が応じる。
戸口に立っていた大男が、のそりと一歩踏み出してきた。
「おやおかしいな。この工房は、薬師の女が一人で切り盛りしていたはず。男?」
ジャリ、と踏みしめられたガラスの破片が砕ける音がした。
青年は腰に片手をあてて、ふっと息を吐いた。
「おかしいといえば、お前達の態度もおかしいな。この場の有様を見たら、何があったかを最初に気にするだろう。話題にもしないとなれば、答えは一つだ。はじめから、工房が荒らされていることを知っていた、となる。何故だ? 聞くまでもないな」
「誰だか知らねえが、怪我したくねーなら下がってろ。用があるのは、後ろの女だ」
視線を感じて、アリスは身を強張らせる。
その気配が伝わったのか、青年は無言で一歩踏み出した。まとう空気が、鋭いものに変わる。
「そのまま返す。怪我をしたくないなら、それ以上近づかないように。手加減はしない」
「……優男が」
吐き捨てるような声が響いたときには、青年が動いていた。
鞘走りの音ともに剣を抜き放ち、男の懐に飛び込むと、顎を剣の柄でしたたかに打った。勢いのまま、腹部に蹴りを叩き込んで、弾き飛ばす。
戸口に立っていた男たちの手には、刃物。夕暮れの乏しい光を鈍く反射していた。
青年は怯む様子もなく、風のように走り抜けると、ほとんど打ち合うこともなく二人をその場に沈めた。
どうっと、倒れ込む重い音の後、静寂が訪れる。
(強い……!)
動きを止めぬまま、青年はドアから外に出る。
軽く辺りを見回ってきたらしく、すぐに戻ってきて言った。
「気絶させただけだ。近くに仲間はいなそうだけど、この場を離れるならひとまず俺と一緒に。何か大切なものがあると言っていたね。見張っているから、どうぞ用事を済ませてしまって」
息を止めて見守っていたアリスは、そこでようやく呼吸することを思い出す。
「ありがとう、ございます」
頭を下げてお礼を言ってから、身を翻して工房の奥へと駆け込む。
ドキドキと、痛いほど胸が鳴っていた。胸元のブローチを掴んだ指が、細かく震えている。
(彼の親切は本物? もしかして、荒くれ者の一味で、私の信用を得るための仕込み……なんて考えたけど。本気で打ちのめしていたし、さすがに手間がかかりすぎよね。いずれにせよ、あの強さは掛け値なしだわ。私が警戒しても、その気になれば敵うはずがない)
小さなキッチンスペースを通り抜け、寝室に使っている部屋に向かう。
荒らされていたらどうしようかと思っていたが、杞憂であった。昼間に出ていったままの状態で、静まり返っている。
それでなおさら、「単なる物盗りではなく、警告を兼ねた嫌がらせ」と確信することになった。
アリスはベッドの横の、質素なクローゼットに向き合う。覚束ない指先で取っ手を掴んで開けた。隅に目立たぬように置いていた小袋を手で拾い上げて、鞄に詰める。
引き返して、デスクの引き出しを開け放ち、二重底の仕組みを外した。革袋におさめたなけなしの財産も鞄に詰めてから、工房へと引き返す。
「よし。思い残すものがないなら、出よう」
「どこか、あてはあるんですか」
陽はすでに落ちていて、互いの顔を判別するのもようやくの暗さ。
輝くような銀髪の青年の周囲だけが、ほんのり明るく見える。
アリスの問いかけに対し、青年は柔和な笑みを浮かべて答えた。
「安全確保のため、この町は急いで離れた方が良い。このまま同行を許してくれるなら、隣の町まであなたを乗せて馬を走らせる。そこで宿を取って、今後について話し合おう。悪いようにしない、薬師の君。俺の名前はラファエロ」
アリスは、真意をはかるように青年の凪いだ表情を見つめた。
(私には、頼る家族もいない。こうなっては、仕事上の取引先やこれまでのお客様でも、誰が味方で誰が叔父上側か判別するのは難しい。本当は、叔父上の不正を王宮付きの役人に申し出られれば良いのだけど、信頼できる相手を見極めてからでなければ。賄賂で黙らせられていたり、逆に私に罪をかぶせてくるような相手にあたってしまったら、そこまで)
状況を打開する方法は、すぐには思い付かない。
はっきりしているのは、不正の薬は効力が値段に見合わないだけで、使用しても人体に害はないこと。もし販売に踏み切られても、毒となるものではない。
しかし、アリスが不正を告発できなければ、真実を知らないで買い求める人々が出てしまうだろう。叔父一家が卑怯な手段で庶民層から金銭を搾り取ることになる。それは阻止しなければ。
(今、口を封じられるわけにはいかない。このひとは、どこまで信用できる相手なのか。わからないけれど、少なくとも一度は守ってくれた。信じよう)
深呼吸で気持ちを落ち着けて、アリスは静かな声で告げた。
「私の名前はアリスです。あなたの助けが必要みたい。少しの間、よろしくお願いします」
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