第22話 昼寝

「お腹いっぱいになった」と美沙希が言い、

「ちょっと眠いかも。早起きしたし」とカズミが言った。

 もちもちの樹の店の前。

 ラーメンを求める行列はまだ途切れていない。


「じゃあさ」

「うん。何?」

「私のうちで、お昼寝しない?」

「昼寝?!」

 カズミは目を丸くして、美沙希の顔を見た。この世のものとは思えないほど整った顔が、無邪気に笑っている。

 美沙希の家を訪問するのは、カズミにとって魅力的なことだった。

「い、いいね。昼寝したい。美沙希の家、どこなの?」

「あやめ町。駅のそばだよ」

 美沙希は自転車に乗り、「行こっか」と言った。


 川村家は黒い瓦屋根の2階建ての日本家屋だった。広い敷地が椿の生垣で囲われている。

「おっきい家だね」

「無駄に大きいの。私とお父さんだけしか住んでないのに」

 美沙希が玄関の鍵を開け、家の中に入った。

「お邪魔します」

「誰もいないから、気兼ねしないで。お父さんは休日出勤」

 美沙希とカズミが靴を脱いで中に入ると、板敷の廊下がぎしりと音を立てた。漆喰の壁には古そうな山水画が掛けてある。

「私の部屋、2階だから」

 美沙希が階段を上り、カズミがあとに続いた。


 美沙希の部屋は6畳の和室だった。

 畳の上に勉強机と洋服タンス、本棚、ベッドが置いてある。シンプルで飾り気のない部屋だな、とカズミは思った。

 女の子らしい人形やぬいぐるみなんかは見当たらない。本棚には漫画の単行本や釣りの雑誌が並んでいた。


「じゃーん、釣り具はここだよ!」

 美沙希が襖を開けると、隣に4畳半の部屋があった。

 竿をズラッと立て掛けたロッドホルダーがあり、ルアーや釣りの小物が収納してあるカラーボックスが3つ並んでいた。何が入っているのかわからない段ボール箱、リュックサック、2リットルのペットボトルなどが畳の上に転がっていたりして、こちらは雑然としていた。


「ここで釣りの準備をしているのが至福の時間なんだよねー」

「すごいね。釣り専用の部屋?」

「趣味がこれだけしかないからさ」

「釣り具、見させてもらってもいいかな?」

「いいよ。私、なんか飲み物持ってくるね」

 美沙希が部屋を出て行くと、カズミは竿を数えた。12本もあって、こんなに持っているのか、とびっくりした。


 美沙希がオレンジジュースの入ったコップをふたつとチョコレートビスケットをお盆に乗せて、戻ってきた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 ふたりとも畳の上に直接座って、ジュースを飲んだ。

「今日は記念日だよー」と感慨深そうに美沙希が言った。

「え? なんの?」

「私の部屋に初めて友だちが来た記念日!」

「あ、そうなんだ」とちょっと驚いてカズミが言った。

「言ったでしょう、カズミがたったひとりの友だちだって」

「過去も含めて?」

「カズミは私史上最初の友だちなんだよ! その友だちがカズミみたいにかわいくていい子で、私はしあわせだよ!」

 美沙希の目がキラキラ光っている。

 史上初の友だちなのか……。

 かなり重い。裏切れないな、とカズミは思った。あたしからは絶対に裏切らない自信があるけど。


「じゃあ、お昼寝しよっか」

 ジュースを飲み終わると、美沙希は下着姿になって、ベッドに潜り込んだ。

「あ、あたしはどこで寝ればいいの?」

「ここにおいでよ! 少し狭いけど、寝られると思うよ!」

 ベッドを半分空けて、おいでおいでと誘っている。


 この子の距離感はちょっとおかしい!


 カズミはそう思ったが、少し魚臭い服を脱いで、ふらふらとベッドの中に入り、美沙希の隣で横たわった。

 腕と腕がくっついた。美沙希の二の腕がぷにっと柔らかくて、カズミはドキドキした。大好きな女の子と同衾している! 

 美沙希から甘い匂いが漂ってきて、頭がくらくらした。


 これって、夢にまで見た状況だよ!? 現実なの?!


 性的な意味で好きな子が、隣で無防備に寝ている。しかも下着で!


 ふざけて抱きついても許されるのでは……???


 天井は板張りだった。

 カズミは木目を見つめながら、自分がどう行動すべきか考えた。理性的であるべきか、欲望の赴くままに動くべきか、それが問題だ。

「美沙希さーん、LGBTって、知ってる……?」と問いかけた。


 答えはなく、穏やかで規則的な寝息が聞こえてきた。

 愛する女は健やかに眠っていた。

 美しい寝顔がすぐ横にあった。睫毛が長い。唇が色っぽい。

 カズミの眠気はすっ飛んでいて、昼寝どころではなくなっていた。


 ひーっ、あたしはどうすればいいんだー?!

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