第四十一話「加護」

 ホロは意外にも、追い詰められたとは考えていなかった。


 スクイが離脱したホロの現状は絶望的なものである。


 幹部5名のうち、精神感応系の魔法使いセルベア、火魔法使いフォーコの2人はスクイが倒した。

 そして残り3人、そして大勢のその手下が残る。


 1人はオール。身なりのいい高級なスーツに、名前の通りのオールバック。この中では先ほどから指示を出しており、リーダー的存在である。


 その横にいる男はクリメント。黒い仮面をした男で会話を行わない。

 ただオールの横で突っ立っている。


 そして3人目、他2人に比べて見るからに強いとわかる筋骨隆々な女性。


「もういい、お前ら下がれ」


 オールが指示すると、手下は引き下がった。

 ホロが焦りを見せない理由がこの戦果にあった。明らかに現状のホロには数での攻撃が効いていない。


 頭上に浮かべた水の輪で全方位を確認し、体の周りに浮かべた複数の岩が遠距離で飛ぶ。

 近づけば或いはと言う隙も見せないほどの精密な射撃と連射力でホロは場を制圧していた。


「にしても驚異的な魔力量だ。嬢ちゃん。この数を相手に余裕すらあるとは恐れ入るね」


 オールはどこか軽薄に語りかける。

 実際本気で感心している部分もあった。水の魔法も岩の魔法も、出力と維持の両方に魔力が必要になる。

 だから本来、水や岩を常に操作するような使い方はしない。


 しかしホロは水の輪はもちろん、岩も周囲に出したままになっている。こうすることで魔法発動の隙はできないが、普通に打ち込むことの何倍も魔力が必要になった。


「すでに常人なら魔力が枯渇している。加えてこの戦闘センス。殺すには惜しいが」


 まあ、そう言うわけにもいかん。そう呟き、オールは幹部の女性を見る。


「レビータ。手早く始末しろ。俺たちはさっきの男を追う。ボスのところに殴り込まれたらあとが面倒だ」


 オールは極めて常識的に、ボスに敵襲を許すことはできないと思い、ホロに背を向ける。

 それに呼応するように、レビータと呼ばれた女性が、のっしりと後方からホロの前に立った。


「こんな小さくても十分に戦えるたあ、私は感心したものだけどね」


 しかし、そう指を鳴らしながら歩み寄る。

 明らかな近接タイプの見た目。遠距離主体のホロの戦い方では近接で有利を取れるとは考えにくく、また距離を保って撃破できるほど柔な相手でないことも明白。


 その相手を前に、ホロは初めて。


「ご主人様の」


 言葉を口にする。


「邪魔をするな」


 発される言葉の重さ、それはその人間の人生の積み重ねに比例する。


 レビータは肌がひりつくのを感じていた。彼女は他人の機微に敏感なタイプではない。

 だが強者の風格は理解できる。

 自分の前にいる子供が、テロリストに連れられたそれなりにできる程度のおまけだという認識を改める。


 犯罪組織の幹部に至るほどの戦闘力。それを得るほどの過酷な経験。

 それを決して優位に思えない。対等なホロの人生の厚みが、その一言で雄弁に感じ取れる。


「殺すぞ」


 しかし、レビータの認識はまだ甘かった。

 重苦しいまでの怒気、その声に立ち去ろうとしたオールとクリメントすら足を止める。


 その瞬間であった、全員が動きを止めたその言葉の直後。


 ずずっ、とホロの足元から何かが這い回るような、嫌な感触が周囲に伝わる。

 全員がこれに気づいた時には。


 廊下の向こうには壁ができていた。


 現状を一番に把握したのはオールだった。

 まず彼はホロが岩で壁を作り、足止めをしたのだと思った。


 しかしその間違いに即座に気づく。


 その壁はあまりに厚く、壁や天井、床ですら同じ材質になっていた。

 壁ではない。部屋である。

 この場にいるホロを含めた全員が、ホロの岩の部屋に囲まれたのだ。


「違うのか?」


 レビータと同じく、オールもまた、ホロはスクイの付き添いくらいに思っていた。

 せいぜいここでの足止め、腕は立つが本命ではない。


 しかし、本当に恐るべきはどちらか、ここにいる全員の判断が揺らぐ。


「こいつ、さては加護持ちか」


 失策。敵の大きさを甘く見たことにオールは舌打ちをする。


 加護。


 魔法は神に与えられたものである。

 火の魔法は火の神に、岩の魔法は岩の神に。

 愛の魔法は愛の神に与えられる。


 魔法の取得は神を表す存在そのものへの接触量というのが基本だが、接触の仕方までは解明されきっていない。


 では加護とは何か?


 それは偏に信仰によるもの。魔法は修練こそ必要とすれど、該当の神への信仰を必要としない。

 しかし加護は神への信仰を必要とする。その上で神を表す存在への接触。


 魔法を超えた奇跡。それが加護である。


「あまりの未知故に誰もが手放した最強の切符。まさかこんなところで」


 オールの言葉にレビータは気づく。

 この部屋は巨大化している。否、この部屋の中身は変わらない。

 しかし、その覆う壁はとんでもない速度で厚みを増し。


 全員が姿勢を崩す。


 建物の一角としての重量限界を超えた部屋という名の岩の塊は、高所の建物から外れ、ゆっくりと傾き。


 落下した。


「魔法の無限増殖。噂に聞く愛の神の加護か?」


 仮にもこの街を拠点にする集団。この街の宗教は理解している。

 しかし似非は大勢いるものの、実際に愛の神の加護を受けた人間はオールも見たことがなかった。


 あまりの希少な経験に苦笑いしながら、オールはなすすべもないというように壁に打ち付けらる。


「1人だって逃がさない」


 突如現れた空間、想定することもありえない落下する部屋という状況での戦い。

 ここにその状況に即座に対応できるものは。


「やってみな嬢ちゃん!」


 案外いるものである。

 部下が壁に頭を打ちつけて全滅する中、吠えるホロに応えるようにレビータは牙を剥く。


 異色のキャットファイト。その言葉を表すようにレビータの体が変化する。

 空中での2人が激突した瞬間、レビータの体は毛に覆われ。


 虎のような毛と尾、そして長い爪を持った姿へと変貌する。


「獣のっ」


 獣の魔法、ホロがそう言い切る前に空中でレビータは跳び、ホロに長爪で斬りつける。


「とんでもない魔法だが、状況が悪くねえか?」


 そう異様に発達した犬歯を剥き出しに笑うレビータ。

 ホロはそれを周囲の岩を集めガードするが、明らかに力の差が大きい。


 空中という状況は決してホロに有利ではない。

 スクイに追いつこうとする者を確実に妨害はできるものの、現状の落下状態が、ホロの有利に動きはしない。


「落ちる前に終わらせる」


 そういうレビータはホロの元から跳び去ると、壁に張り付き。


「反応してみろ」


 高速でホロに飛びかかる。

 ヒュゼークルすら比較にできないほどの速度での攻撃、ホロは空中でガードすらできずに横腹を切り裂かれる。


 それで動きは止まらない。そのまま反対の壁に張り付くと、レビータはさらに攻撃を仕掛ける。

 ホロの周りには鋭利な岩がいくつも用意されていたが、そんなものは蹴散らされるだけであった。


 とまらない高速での往復。なすすべもなくホロはダメージを蓄積させた。


「ほらな、お前じゃ何も」


 そこでレビータはふと、気づく。

 それは、あまりに当然の、それ故に気づけない疑問。


 なぜ、この女は死んでいない?


 一撃目は横っ腹であった。これは確かに致命傷ではない。

 思い返すとその次もそのさらに次も、レビータは強力な攻撃一方的に繰り出せる術を持っていながら、急所へダメージを与えられていない。


 なにか、おかしい。


 そうレビータが思うと同時に、全員が。


 妖艶に笑うホロの顔を見た。


 それは今まで、状況はともかく明るく、時に素直に怒った彼女のイメージとは真逆の表情。

 レビータは怖気が走る。


 なんとか致命傷を回避した。そういう顔ではない。

 これが目的であったかのような。


 まるで傷つくことを喜ぶような、常軌を逸した何かを根源に持つ笑み。


「ああ、これで」


 確実に、次で止めを。

 そう力むレビータの足を、壁がぐにゃりと動き、固定する。


 あまりにも硬い。足首を掴まれた程度だというのに、組織随一の力を持つレビータが完全に引き剥がせない。

 おかしい。


 それ理由に気付いていたのはオールだけであった。

 このホロの作った空間は、落下に際してもなお膨張し、そして圧縮されていた。


 発生時点でオールが脱出を諦めたほど極めて密度の高い岩の壁が、さらに強度を増し続け、ホロの武器と化す。


 そしてその時間、ホロはレビータの攻撃を辛うじて耐え切ったと、オールは考えていた。


 しかしホロの笑みを見てその考えは消える。

 あれはレビータを倒せるほどの魔法を用意するために歯を食いしばって耐えた人間の表情ではない。


 望んでいたとすら思える恍惚。

 彼女もまた、死を信奉する異常だと、しかしそこまで推測できるものはこの場にいない。


「ご主人様と同じ痛みを共有できる」


 愛の神の信義は自己犠牲である。

 しかしそれを、決して美しいものに限りはしない。


 元々、ホロの部屋に閉じ込められた時点で勝敗は決していたに等しいのだ。

 何せホロは出した岩を飛ばすだけでなく、自在に操れる。


 硬化した岩に足を取られ、身動き取れなくなったレビータに、周りの岩が更に姿を変える。

 それは明確に、刃物の形をしていた。


「100用意しました。落ち切る前に」


 存分に死に近づける喜びを感じていってくださいね。

 そう微笑むホロ。


 そこから轟音と共にこの部屋が落ち切るまで99回。

 そして最後に100回、スクイのナイフに酷似した岩のナイフが。


 容赦無くレビータを岸壁に磔にし、無惨なハリネズミへと変貌させた。


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