第11話 「お前の声、もう少し聞きたい」

「モラハラめっ」

『言いたいのはそれか?』

 わざとらしく何度もため息をつかれ、大地はモラハラという禁断の言葉を口にした。

「……嘘です僕が悪かったです許して下さい」

『分かればいい。これからは他の男と二度と会うなよ』

「うん……気持ちの整理がついたんで、もう会いません。ストーカーの撒き方講座も、保坂さんから学びました」

『あいつはああいうの得意としているからな』

 電話越しに聞こえる雑音は、相変わらずやかましい。テレビの音やどたばたと走る音、子供の声。

 聞いていられなくて切ろうとすると、止められる。

『お前の声、もう少し聞きたい』

 吐息混じりに聞こえる声に、思わず好き、と呟く。

『えらくエロい告白だな』

「エロいのは千秋さんですよ」

『ああもう。ちょっと待て』

 どこかに移動したのか、雑音が聞こえなくなった。

『で、俺と実とどっちがいい男?』

「保坂さんも素敵でしたけど、恋愛対象になるのは千秋さんですよ」

『パーフェクトな回答だ。ああ、キスしたい。ちょっとしてみ?』

「ええ?」

『リップ音でいいから。ほら、三、二、一……』

 むちゃくちゃなハラスメント行為に、息が漏れる。それもぶほっと色気のかけらもなく。

 電話越しに含み笑いが絶えず聞こえる。

「なんなの! いきなり!」

『ベッドの中のお前はもっと色気があるのにな。そういうところも可愛いよ』

「もう……」

『遅いからそろそろ終わりにするか』

「次、いつ会えますか?」

『そうだな……。ちょっと今ごたごたしてるんだよ。また会いにいく』

「我慢します」

『いい子だ。他の男と会うなよ? じゃあな』

 電話を切ると、一つSNSにメールが届いていた。相手は達彦だった。

──今、何してる?

 好きな人と電話中でしたとは言えず、勉強していたと普通すぎる言い訳を並べた。最後におやすみなさいと書けば、これ以上続けなくて済む。

 案の定、返事はなかった。安堵した大地は布団に入り、眠りについた。


 私生活がいろいろありすぎて、忘れていた件もある。早川啓介のことだ。

 彼がモデルの仕事もしているのは本当で、有名なファッション雑誌の一面を飾っていた。相撲部だった頃の面影はなく、大地はがっくりと肩を落とす。

 並べられている週刊誌には、有名モデルの実体と赤文字で書かれ、イニシャルだがあきらかに早川のことだ。

 相撲部だった頃の写真、大学のミスコンで準優勝だったことなど、私生活を淡々と残酷に書いてある。

「僕からしたら、隠すようなことでもないのにな……」

 こうしてばらされてしまったわけだが、相撲部だった頃は純粋に目をきらきらさせて、真剣な表情に夢中になった。

 彼にとっては黒歴史でも、大地にとっては淡い想い出だ。

「絶対に、今よりもかっこいいのに」

 分からないものだ。かくいう大地も、告白したことは掘り返されたくはない。大地の歴史を引っ張り上げる人はいなくても、早川は芸能人という立場であり、これからも過去をほじくる人は現れるだろう。

 大学では、女子たちは早川について盛り上がっている。

「相撲部って、やだ、イメージと全然違う」

「イニシャル違いで別の人じゃないの?」

「でもミスコン準優勝でモデルって早川君しかいなくない? 相撲部の写真も面影あるし」

 悪いことをしたわけではない。堂々としていればいいと思うのは、他人だからだろうか。

 そう、他人でしかない。他人のふりをすればいい。なのに、先に連絡を取ってきたのは早川だった。

 学食で遅いランチを食べていると、斜め前に座る早川は、わざとらしく音を立てる。

「空いてるんだから隣に座ればいいのに」

「ばらしただろ」

「記事の件なら、僕じゃないよ。雑誌の取材がしたいって僕のところに来たけど、断ったし」

「どうだか」

「本当、変わったね」

「お互い様だ」

「昔はこんな風に、ケンカなんてしなかったのに」

「なりふり構わず男をはべらせている奴に言われたくねえよ」

「なりふり構わず? どういう意味?」

「文化祭のときに一緒にいた男以外にもいるんだろ。そういう相手。相撲部みたいな奴」

 早川は相撲部をやけに強調する。

「ちょっと待って、なんで知ってるの?」

 早川はほらな、という顔をするが、聞きたいのはそういう話ではなかった。

「どこで会ったの?」

「大学の前で、お前のこと聞いてきた。大地って男知ってるかって、特徴まで言ってたぜ。可愛いだのなんだの」

「……どうして……学校のこと……」

 それどころか、大地は本名すら明かしていなかった。知っているのは千秋しかいない。

「まさか話したの?」

「お互い様だろ」

 早川は完全に大地がプライベートを記者に売ったと思い込んでいる。何を言っても無駄だろう。

「どうしよ、そんな……」

 ちょっとした情報から家まで特定されると、忠告を受けたばかりだ。

 ポケットにある端末が光った。救いの手か、悪魔の囁きか。

──今、どこにいる?

──変わりないか?

 両方だ。前者は悪魔で、後者は連絡先を交換したばかりの頼れる弁護士。

──変わりあります! どうしよ、学校ばれました!

──どこにいる?

──大学です。家はまだ大丈夫だと思いますが……。

──家に帰るなよ。うちの事務所に来られるか?

 保坂からのメッセージの後、すぐに電話がかかってきた。

「保坂さん、どうしよう。僕の大学も名前も知られてしまいました」

『落ち着け。電車でひとまず来い。人のいない道に入るなよ』

「はい」

 言葉短めに切り、荷物を背負ってなるべく早歩きで駅へ向かった。

 背中に熱がこもり、ちくちくした痛みがある。背後から攻撃されているようで、息苦しさも増す。

 エレベーターで上がると、保坂は立ったまま待ち構えていた。

 どっと疲労が襲ってきて、足下がふらついてしまう。

「大丈夫か?」

 とっさに保坂は手を伸ばし、倒れそうになる大地を受け止める。

「ありがとうございます……息苦しい……」

「ソファーで休め。飲み物取ってくる」

 個室へ連れていかれると、大地は横になり息を整えた。

 今は温かなものより冷たい飲み物がありがたかった。

「ストーカーの顔写真、名前等、知っているありったけの情報がほしい」

「ストーカー……」

「立派なストーカーだ。わざわざ大学までお出迎えしてるんだからな」

「でも、弁護士の先生を動かせるほどお金が……」

「金は奴につけるから問題ない。とりあえず紙に書いてくれ」

 保坂は紙とペンを置いて廊下に出てしまった。

 情報といっても、SNSを通してのわずかなものしか知らない。

 名前は達彦、妻と子供がいる、ホテルに誘ってくる、大きくてクマのような風貌。

 廊下から保坂の声が聞こえ、顔を上げた。

──だから、それでいいのかよ?

──それはこれからだ。ひとまず家も確認する。

──もし、つけられていたら……。

──俺の家に泊めてもいいけど?

──それならお前が来いよ。

──ああもう、お前の気持ちは聞いた。

 親しそうな様子から、仕事関係者ではなさそうだ。

 書き終わる頃に保坂は戻ってきて、反対側のソファーへ腰を下ろした。

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