Ed-アンノウン・フューチャーズ

エピローグ

「そうだ茂樹くん、大瑠のタンバはどうだった?」

 食事が始まってどうやって出会っただとか、どちらから告白したのか、プロポーズはどうだったのかと新婚は確実に聞かれるであろう地獄の関門を何とか乗り越えて話題が尽きそうになってきたとき、杉本館長が茂樹くんにそう話しかけた。

「ああ、あれはわりと好評でしたね。外国人のお客さんが『#cooljapan』『#japaneseanime』のハッシュタグで発信してくれたおかげで次作の期待は最高潮ですよ」

「そうか……じゃあ『あさま』の次は『瑠一〇八(る ひとまるはち)ヒゼン』にしようかな? いや……やっぱり奮発して橙瑠(とうる)の陸上艦『ラーウィー』をメガサイズで……」

「無理です! さすがにカウンターに置けません!」

 茂樹くんの悲痛な叫びがダイニングに響いて、それは一瞬で全員の笑いに変わる。

「じゃあ『倭〇〇一(わ まるまるひと)』はどうだろう。三十センチくらいだ」

「それでお願いします」


 食事会は雑談と共に進んで、叔母が焼いたお好み焼きを食べながら私は叔父たちに茂樹くんの凄さを語っていた。

「それにそれに……」

「優花、もう彼の凄さは十分、いや十二分にわかった」

「優秀なだけじゃないんだって!」

「惚気はそこまでにしてさ、ご飯食べたら? 冷めたらおいしくなくなっちゃうじゃない」

 叔母にそう言われて私は切り分けられたお好み焼きを箸でつまんで口に入れる。柔らかい麵とカリカリに焼けた肉が奇跡的なほどに調和してさらにキャベツの甘みとよく焼けた生地がそのアクセントになって非常においしい。

「やっぱりすごいおいしい……」

「でしょ? まだまだ私の腕も落ちてないってことよ」

「そういえば早苗さんは琢朗先輩と付き合い始めた頃、私に料理の味見をさせてましたよね」

 どや顔をする叔母の前で杉本館長がそう言った。彼女の顔はみるみるうちに赤くなって「そ、そうだったっけ?」と大焦りで喋っている。

「叔母さん、そんなことしてたの?」

「それは衝撃の事実だな……俺も今まで知らなかったよ」

 驚く私の横で「ひゅっ」と息を呑むような声を出した茂樹くんは「陰キャの同志だと思ってたのに……」と恨めしそうな眼を杉本館長に向けていた。当の杉本館長は「いやあ、なんだか申し訳ないな」と言いながら笑っている。その近くでは叔母が顔を真っ赤にして俯いているし、叔父は「え、そんなことしてたのか……?」と少し困惑していた。今の状況を一言で表すなら『混沌(かおす)』だろう。

「まあまあ、杉本館長の暴露で対抗してもいいんだよ?」

 私は冗談交じりにそう言って何本目かのビール瓶を開けた。自分のところに注いでから俯いている叔父叔母のコップにもそっと注いで、茂樹くんにも勧めてみる。

「飲まないの?」

「いやあ……まだいいかな」


「優花、早いよ。それに帰りはどうするの? 車で来たんでしょ?」

 調子を取り戻した叔母が私にそう言った。隣にいる茂樹くんも「そうだそうだ」と相槌を打っている。

「いいじゃん、別に。泊まってくし」

「それ先に言ってくれる?」

 茂樹くんと叔母の声が重なった。どちらも思うことは一緒だったようだ。確かに二人には言っていなかったし、茂樹くんも叔母さんも、今日私がここに停まることなんて予想もしていなかったはず。

「私の部屋に泊まるから」

「はいはい、わかりましたよ……杉本さんは?」

「私は歩きで帰ります」

 叔母と杉本館長が話している間に先に注いでいたビールをすぐに飲み干して、私はもう一杯のビールを注いだ。頑なにお酒を飲まない茂樹くんに叔父がジョッキを持ってきて「呑(の)まないか?」と勧めている。

「いや……僕凄く弱いんです」

「何敗までならいける?」

「二杯くらいですね……」

 茂樹くんはあはは、と笑いながらかわそうとしているがもはやそれが致命傷だ。私の叔父がお酒を勧めると大体の人は強かろうと弱かろうと確実に飲まされる羽目になる。「ああ、ご愁傷様」と思いながら茂樹くんと叔父のやり取りをビール片手に眺めていた。結局茂樹くんの手には小さいジョッキが握らされることになり、彼はそれを少しづつ飲みながらお好み焼きを食べている。

「そういや茂樹くん、去年の秋に酔いつぶれてたね」

「そうだったね……あの時はロシア人かってくらい飲んだ気がする」

 私たちがそう話している横から少しアルコールが回ってきた様子の叔父が「お、どうしてそんなになったんだ?」と割って入ってきた。

「優花さんが強くて……」

 茂樹くんは困ったような表情を浮かべながらそう答える。その答えを聞いた叔父と叔母は「優花と同じペースで飲もうとするのは自殺行為だからやめときな」と笑いながら言った。

「小林家は優花の母も、私たちも、ひいては祖父母や曽祖父母まで、話を聞く限りではみんなお酒が強いんだ」

「へ、へえ……」


 『食事会』と称した宴会は四時間ほど続いて、気が付けば十時を少し過ぎている。

「さて、結婚祝いも終わったことだし、苦労話でもしてもらおうかな?」

「いや……もう皆さん疲れてるでしょうしこんなところで話しても面白くないようなものですよ?」


 近所迷惑にならない程度に飲んで騒いで、片付けが済んだ頃には日付も変わり日本酒の瓶と氷の解けた水が張っているコップが置かれたダイニングテーブルに突っ伏して私と茂樹くん以外の参加者は寝てしまっている。日付が変わる直前、翌日と翌々日に有給休暇の申請をしておいて助かったと思った。この調子でやっていれば明日はろくに仕事なんてできたもんじゃないから。

「ちょっと風に当たってくる」

 半分目を閉じかけている茂樹くんにそう言って、私は玄関を出る。夜の少しひんやりとした風を受け、ふと私の頭に一つの言葉が浮かび上がってきた。

「十五歳の茂樹くんって、もしかしてもう一人の私?」

 当時の彼も私も同じようにたった一人の肉親と死別し、たった一人の肉親が遺して逝った繋がりに縋っていた。今更思っても遅いのだが、「あの時私が気付けていたら」という後悔の念が浮かんでくる。

「気付いてあげられてたら、どうなってたんだろう」

 もしかしたら茂樹くんはあれ以上に苦しまなかったのかもしれないし、もしかしたらさっきの宴会が数年早く挙行されていたかもしれない。そう思って立ち止まっていると、カーテンの隙間からこちらを覗いていた茂樹くんと目が合って、どたどたという音と少しの間の後に彼が玄関のドアを開けて出てきた。

「……一緒に歩く?」

「うん、歩こう」

 夜の静かな住宅街の坂と私の記憶を二人で下り、いくつかの小さな角を曲がって遊具一つない、ベンチだけがある公園に辿り着く。

「ここ、風通しが良くて、空もきれいに見えてね。昔よく来てたんだ」

「いい場所だね……」

 一言、二言零すように続く会話はどうにも居心地が悪くて、ベンチに腰を掛けて茂樹くんが空を見上げたとき、思い切って切り出そうとしたが言葉が詰まって「あ、あのさ」と歯切れの悪い言葉が地面に落ちた。

「どうしたの?」

「中学の時、気付けなくてごめん」

「いや、いきなりどうしたの?」

 茂樹くんは少し困ったような顔を見せて私にそう尋ねる。

「あのとき茂樹くんがひとりぼっちなのに気づいてあげられてたら……」

「気づいてくれていたら、今の僕は僕じゃない。優花さん含め、同年代の誰も気づかなかったから今が楽しいんだ」

 私の目をしっかりと見て言ったあと、彼はまた空を見上げて

ふう、と一つ息を吐いた。




 叔父夫婦の家に戻ってかつての自分の部屋に客用の布団を一つ引っ張ってきて、自分の布団の横に並べるようにして広げ、部屋の電気を消して布団を被った。

「ねえ茂樹くん、これが幸せってやつ……なのかな?」

 眠気で思考が少し弱ってきたとき、ふとそんな言葉が口から漏れだす。

「優花さん、これがね、愛ってものなんですよ」

 私は「そうかもしれないね」と言おうとして、これまでにあった人並み以上に波乱万丈と言えるかもしれない日々を反芻し、静かに頷いた。

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