ダークゾーン 電波獣『レイラニ』登場!

一章『標的は電波獣 BEACON』


 夕方の街は騒がしい。

 日本有数の都市である池袋では帰宅民たちが縦横無尽に歩き回っていた。

 サラリーマン。

 女子高生。

 遊びに来た風の若者たち。

 両手にグッズの入った袋を下げる太った男。

 その多くが携帯電話やスマートフォンをいじっている。

 人々を取り囲むビルの群れは広告やネオンサインで絢爛に光り輝いていた。

 流行アーティストの歌が四方八方から響き渡り、静かな空間がない。

 目をひく広告の数々に、ポップなキャラクター。

 離合集散を繰り返す人々の群れはこれらに惹かれているのかもしれない。

 すでにあたりは夜に近い。

 太陽はすでに沈み、人々はすべて人工灯に照らされる。

 すべての人が影法師になる。

 逆光に照らされた人々は、ただ『群れ』であってそこに個人としてカタチを喪失していた。


『プ、プ、プ、ブブブブブブブ――――――――…………』


 群れの携帯の一つから奇妙な音が流れた。

『P、P、P、PLLLLLLLLLLLL――――…………』

 一人。

『BBBLLLLL――――――……!』

 また一人と奇怪な音が響きだす。

 気づけば曲もモニタも静まり返り、真っ白な液晶はただ輝きを増していく。

 強烈な白が町中を照らしていく。

 人々のざわめき。水面に小石を投げ込んだように広がっていく。

 ――――――ブツンッ……

 電源が切れたような音とともに、すべての画面が元通りになった。

 普段の通り、携帯にもモニタにも正常な画面が帰ってくる。

 なにごともなかったように再び群れは動き出した。

 彼らの頭上には、

 灰色の飛行船のような巨影が群れを……、


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 まだ暑さの残る秋。

 青年が池に釣り糸を垂らしていた。

 浮きがひかえめに震え、水面に波紋を広げている。

 青年はいかにもな貧乏学生といった風である。はたから見ればその日の夕飯でも狙っているように見える。そう納得してしまえるような雰囲気がある。

 よれよれなTシャツに何日も履いたままらしいジーンズ。アゴには三日ほど剃っていないのかヒゲがちょびちょびと生えていた。

 首にはニコン製のカメラが紐で吊るされている。

 その瞳は怠惰に水面を見つめていた。

 時折、あくびが漏れている。

「釣れていないようですね。剣次君」

 青年に後ろから近寄る者がいる。

 一見僧侶に見える。

 藍色がかった袈裟を見にまとっており、長身でがっしりとした体格をしているが剃り上げた頭や肌には年齢を示すシワが深く刻まれていた。

 悠久の時の流れの中ひっそり大洋を見守り続けた鯨のような雰囲気がある。

「……全ッ然釣れねえっすよ先生」

 剣次が少し眠気交じりの声で返した。

「もう二日ですよ。釣れないってわけはないでしょう」

「それでも釣れないんすよダメなんすよ」

 その時、浮きがぴくんと反応した。

「あっ、剣次君、引いてる。引いてますよ」

「なぬっ」

 フナ。

「テメーじゃねー」

 即刻リリース。

「せっかく釣れたのにもったいない。なんで逃がすんです。フナは調理すればおいしい食ざ……」

「あー、わかってないっすね先生は。俺が狙ってるのはもっとデカイ奴なんすよ。ほら、先生が影になって奴が逃げるでしょう。座るか帰ってくださいよ」

 先生と呼ばれた人物は大人しく近くの石に腰を下ろした。

「もしや、釣れた魚はすべて逃がしているのですか?」

「そりゃ、いらないですし」

「では、剣次君が狙う『奴』とはなんなのですか?」


「――――怪獣っす」


「……やはりUMAですか」

「そうっす。はいこれ」

 剣次から先生に手渡されたスマートフォンに映るサイト。

 『UMAを探せ!』などとキャッチャーなフォントで彩られている。

 UNA、すなわち『怪獣』を個人、団体に関わらず自由に賞金をかけて捕獲を依頼、または情報をやりとりすることで金銭取引を行うサイトらしい。

 剣次の狙う怪獣『テガタロウ』は手賀沼に出現する魚型怪獣で大きさに関わらず賞金は捕獲二十万円、写真で五万円。依頼者はTV番組である。

「こんなので遊んでないで就職活動でもした方が有益じゃないですか? もう四年生でしょうあなた」

「ひとまずはって感じっす。これを元手に起業したりするかもしれないじゃないすか」

 適当な返事に「はあ」と先生はため息をついた。

「ところで本題ですが。私の元生徒が君と同じくそのサイトに肩まで浸かってしまいましてね。怪獣を捕まえに行くなどと言いだしてしまって……。できることなら君に付き添いを頼みたいのですが」

「止めなかったんすか? 珍しいっすね先生」

「言う事を聞くタイプの子じゃないんです」

「問題児のお目付け役なんて俺はごめんっす。他をあたってください」

「どうしても、ダメですか?」

「俺はテガタロウに忙しいっす」

「その子は女子高生ですよ」

「…………」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ビルが樹木の如く乱立し、大きな道路があるかと思えば大河に支流があるように細い道があちらこちらに入り組んでいる。

 道路を走る車も人も、派手な装いで己を見よ己を見よと口々に叫んでいるようである。


「お――っ! ビル高けー! 人すげー! やっかましー!」

 池袋駅から外に出たとたん、須田さよりは歓声をあげた。

 初めて見る都会に彼女は興奮しっぱなしである。

「大人しくしてくれ。頼むから」

 対してひどく憔悴した感じで遅れて現れたのは真田(さなだ)剣(けん)次(じ)である。

「やめときゃよかった、やめときゃよかった、やめときゃよかった」

 呪文のようにつぶやきながらがっくりとうなだれる。

 ある日、彼は先生にこの娘の付き添いを頼まれたのだ。

 女子高生と聞いて二つ返事でOKしてしまった自分の中の男をひどく憎む。

 コイツだとは思わなかった。

 須田さよりは剣次が中学生のころ知り合った。その頃から須田さよりは先生の住処である寺に居候していたのだがそれ以前の事情は詳しくは知らない。だがそのころ小学生だった彼女は野生児のように暴れ回っていて町では有名だったからその印象だけは強い。剣次もよく虐められた。その性質は数年経った今でもあまり変わっていないようだ。

 おまけに中卒なので厳密には女子高生ですらないという。

「勘弁してくれ……」

 駅なんぞは使ったこたあないと大喜び、電車内では幼児のように周りも気にせず窓の景色相手に興奮して、なだめてすかして静かになったと思えば六人掛けシートを一列占領しベッド代わりにして眠っていた。

 無茶苦茶だ。

「大丈夫かなあ俺……」

 排気ガスでよどんでいると聞く空も見上げてみれば真っ青だった。

 空が青い。と現実逃避しかけたが、ここに来た本来の目的を思い出す。

 さよりは、ある怪獣を追っている。

 剣次はまだそれを聞かされていない。

「なあ須田、お前ってここに何しに……」

 よれよれのTシャツを撫で伸ばしながらさよりの方を見ると。

「……あ」

 いなくなっていた。


 ニ十分ほど走り回って探し諦めて駅に戻るとさよりは駅内のラーメン屋でズルズルと麺を吸っていた。

「旨い! ウマい! ウマイ! うまい!」

 同じ言葉を繰り返しているのに、語彙力が衰えているように感じるのは気のせいだろうか。

「はぁ」

 本日何度目かのため息。仕方なくさよりの隣の席に腰を下ろしドラゴンラーメンとかいうものを注文した。隣を見るとさよりは既に四杯目である。

 どれだけ食う気なのだ。

 スープまで飲んだドンブリの底に残るコーンまで顔を突っ込んで卑しく貪っている。ゴミ箱を漁る野犬を思わせる喰いっぷりだ。

 隣は無視してやってきた自分のラーメンを食べる。

 ドンブリの中身まで赤く染まっていて見るからに辛そうだ。具材はキムチに始まり辛子味噌からタバスコまで使ってあるのかと思うくらい赤く、また吸い込んだだけで涙が出そうな刺激臭がする。

 自分でも危険だと思う。

 だがそれこそ我が狙いよ。

 割り箸を割り、熱も冷めぬうちに口に運んだ。

 瞬間、血液が沸騰するような辛さが全身を刺激する。

 辛さだか何かわからない刺激が舌のみならず口内粘膜全体を殴りつけてくる。正直死ぬほど辛い。というより痛い。が、

「…………いい」

 『おいしい食事を食べる人』を演じているとなにやら視線を感じる。隣を見れば、五杯目を待つさよりが興味ありげにこちらの器を見つめていた。

 予想通り。

「……………まあ、一口なら食ってもいいぞ」

「そうか! じゃあもろうていくぞ!」

 さよりはドラゴンラーメンをひったくるように掴んで、レンゲで明らかに一口以上乗せると口に含んだ。そして、

「――――――――――っ!」

 舌に突き刺さるあまりの辛さに弾き飛ばされるように椅子から落ち悶絶した。

「げええ! か、かか、辛っ! 辛え! 死ぬ! なんなんじゃこの! やたらめったら辛いんじゃコラ! 人殺しじゃ! なんてもん渡してくるんじゃテメエ、ってゆうかようこがぁな平気で食べれるな! テメエ、ホントに人間か!」

 鼻をハチに刺された犬のように転げまわりながら悲鳴に近い声でさよりはまくしたてる。

「はっはっはっは。ざまあみやがれ反省しろバーカ」

 作戦成功。

 剣次は腹を抱えて笑った。さすがの彼女も舌は人並みらしい。

 それでもこちらが失ったものも大きかった。

 味覚とか。

 冷水をがぶ飲みしながら床で呻くさよりを見て思う。

「野生っつーか野性だよな君は」

 初見もそうだが、改めて見てもそんな印象がある。

 女子的には背の高い体にスラッと長い手足にはその体を最速で動かすのに適切な引き締まった筋肉が絡みついている。腰の辺りまで伸びている黒髪は手入れもそこそこなのかざんばらざん。服装も上半身はスポブラ一枚にスカジャン羽織っただけ、下半身はボロボロのジーンズ、足元はゲタという滅茶苦茶な格好だが夜店のお兄さんのようで不思議と似合っていた。本能のままに生きるその様子は少女というより獣である。


「うるせえ、静かにしろ」

 あまりにも(さよりが)騒がしいので店主から注意が入った。

 素直に謝る。

 さよりが騒いでいる間にすでに自分のぶんは(根性で)食べきっていたのでさよりを引きずって店を出ようと代金をカウンターに置いた。その時である。

「ああ待て。頼まれていたもんは出来上がってるぞ。もってけ」

 店主がカウンターに黒いアタッシュケースを置いた。

 やけに分厚く、重い。触るとごろりと中でなにかが転がる感触がした。

「なんすか。これ?」

「? お前が注文したんじゃないのか? 注文書をさっきそこの娘が……」

「オレじゃ。オレが頼んだ」

 背後からさよりが手を伸ばしケースをつかんだ。

「これを受け取りにこの店まで来たんじゃ。これから使うことになるけえ」

 ケースを撫でながら言う。しかし、なにに使うのだ。

「なあ須田。それの中にはなにが……」

 ――――BLLLLLLLL!

 スマホの蠕動。自分のものだ。

「まったくなんだよ。話の途中で……は?」

 スマホを取り出し開き、硬直する。

『エリアメール 災害時避難情報』

 およそ日常とは言えないその文字列。店内のTVも遅れて反応した。

『災害避難情報です。自衛隊より東京都池袋における先月六日からの電波障害の原因が生物によるものだと判明。自衛隊は……出発し……排除を目的とした。環境省特殊……室との共同作戦……。住民の皆様は……避な………』

 なぜか、後半はノイズだらけでなにを言っているのかわからない。メールの方も内容が不明瞭だ。

 だが、さよりの行動はすばやくケースを抱えたまま店を飛び出していった。

 剣次も急いで追いかける。

 都会の喧騒から少し離れた民家が立ち並ぶ住宅街にいた。

「おい、どうしたんだよ。なにが」

 そこまで言って気が付いた。

 周りの人々が誰一人として動いていない。


「――――上?」


 皆一様に空を見上げて突っ立っている。

 剣次も目線を上に向ける。

 

 空に、巨大な灰色のものが浮いていた。

 

 全体的な姿はクラゲのような刺胞動物、大きさは学校の校舎ほどもある。不透明なドーム状の笠からは短い触手が前後に二本ずつ垂れ下がっていた。

 それとは別に左右に一本ずつ『腕』が生えている。その先は二股に分かれていてまるで指のように動いていた。

 クラゲの笠にあたる部位の中では幾つかの黄色いレンズのようなものが浮き沈みしており時折、笠の外へ身を乗り出してぐりぐりと動いてはまた笠の内部へと沈んでいく。

 外にレンズが露出して動く様は眼球のように見えた。

 誰かが言った。


「なんなんだコイツは……」

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