クレイドル
梨水文香
第1話
ある日世界に神さまが降り立ってこう言いました。
「少女には夢を与えましょう!」
その日から、地球の少女は夢を見る生き物になったのです。
それは西暦三〇〇〇年の出来事でした。宇宙に発見された地球とよく似た環境の、地球よりずっと生活に適した惑星への移住が本格的に始まってからちょうど十二年の時が過ぎた頃でした。外星――外国と同じように地球以外の惑星の事をわたしたち地球人はそう呼びます――にも少女という生き物が生まれる頃でした。
神さまの言う少女というものは定義が曖昧で、ですが女として生まれたからには必ず少女になります。時期は人それぞれですが、少女になると女の子はみんなぱたぱたと眠りに落ちて、そして『クレイドル』に運ばれます。そしてみんなでみんなの夢を見るのです。
クレイドルというのは神さまの管理する少女の寝床です。そこには大人の女性が少女たちの眠りを守るために働いていると聞きますが、夢の中の少女たちはそれを知りません。どころかここに来るまでの事は何一つ、自分が少女であるという事以外はなにもかもを忘れてしまいます。そして少女でなくなる時が来たら、クレイドルで過ごした夢の事も忘れてしまうのです。それが少女という生き物なのです。
わたしという少女はどうやら十一歳になる頃少女として神さまに見初められて、まっさらになってこのクレイドルに来ました。
クレイドルでの事は全部ママが、そう、わたしたち少女はみんな神さまの事をママと呼びます。ママはとっても美人さんで、わたしたちをとても愛してくれています。そのママがクレイドルでの事は全て良いようにしてくれます。かわいいワンピースみたいなパジャマをくれるし、ふわふわの専用のベッドも(夢の中なのに)あります。わたしたちはおいしいお菓子といい匂いの紅茶でお茶会をしたり、みんなでママの読んでくれる本の内容に耳を傾けたり、お花畑で花冠を作って遊んだり。それは全部夢の中での事ですが、ママの作ってくれた優しい少女の国でママに愛されて、そして応えるようにママに恋をして少女期を過ごし、そして大人になるのが、地球の女の子の普通なのです。
けれど普通じゃない子もいます。ママはその子の事をすごく気にかけていて、わたしたちはなんだかそれが面白くありません。
「わたしに恋をしてくれない少女なんて初めてだわ。それに誰とも仲良くしてくれないの。あの子は少女になるのも遅かったし、心配だわ」
ママは困ったように溜息を吐きました。わたしはその時ママの膝を枕に寝転んでいて、ママの溜息が目の前にぽとりと落ちて来た気がしました。だからわたしはママの憂いを拭ってあげたくなって、任せてママ、そう言ってしまったのです。そうすると、ママは本当?とわたしに目を剥けてくれました。それがとっても嬉しくて、わたしは勿論よと胸を張りました。ママはわたしを、ぎゅっと抱きしめてくれました。
「ありがとう、あなたはママの天使さまよ!」
それはクレイドルの少女みんなが言って貰える愛の言葉でした。あの子にもこれを聞かせてあげよう、わたしは心に決めて、その子の元にビスケットと紅茶のポットの入ったバスケットを持って行ってみました。
その子は一人で本を読んでいました。クッションも置かれていない木のベンチに腰掛けて、静かに小さな本のページを捲っています。その本は綺麗な挿絵なんて無くて、表紙もうすっぺらい紙一枚に文字が書かれているだけ、お姫さまも出て来ないのだと、それは後から聞いてびっくりした話だったけれど、その時のわたしはなんてつまらない本を読んでいるのだろうと本当にびっくりしてしまったのです。
「ねえ、その本面白い?」
「あなた面白く無い本を読むの?」
向けられた言葉にわたしはきょとんとしてしまいました。この子何を言ってるのかな、そんな事を思います。本当に言っている事がわからなくて、いいえ、わたしは首を横に振りました。
「わたし本は読まないわ。ママが読んでくれるのを聞くのが好きなだけだもん」
「『ママ』」
その子は口端を歪めて笑いました。そんな笑い方をする子はここにはいないので、わたしはこの子は本当に変わっているのだなあと思うばかり、けれどそんな事よりも、ママの不安を理解出来た事の方が嬉しくて、わたしはこの子を『みんなと一緒』に連れて行く決意をしたのでした。
「あなたたちってそればかりね。私はあんなやつの読み聞かせを聞くような子どもじゃないわ」
「どうしてママの事あんなやつだなんて言うの?ねえ、本なんか読んでないで、みんなで一緒にお茶会しましょ?あなたずっと一人きりのまま少女を過ごすなんて、そんなのさみしすぎるわ」
「勝手に決めないで」
ぱたんと本を閉じたその子はわたしを睨みました。誰かに睨まれるのなんて――少女になってからは――初めてで、わたしはまたとてもびっくりしてしまったのでした。
「私は私が好きだから本を読んでるの。あなたたちとお茶会をしたり、あの女神の声を聞いてうっとりするよりも、一人で本を読んでる方がずっとずっと楽しいわ」
「……そうなの?」
わたしが首を傾げると、その子も首を傾げました。
「そうなのって、何?」
「わたし、あなたがものすごくシャイな子なのかと思ってた……」
それに答えたわたしの言葉に、その子はとてもとても、本当にとても深い溜息を吐き出しました。それからわたしをまた睨んで、失礼な妄想をしないで頂戴、とわたしに低い声で言ったのでした。
「私は私の好きなように過ごしてるだけよ」
「そうなのね。ごめんなさい」
「……わかったのならどこかに行ってくれない?一人でいるのが好きなの」
「うん。でもわたし、ママにあなたの事任せてって言っちゃったから」
けれどわたしも引く訳にはいきません。一人の少女として、あたりまえにママのためになる事がしたかったのです。
「だから、わたしも本を読むわ。ねえ、お姫さまが出てくるお話は無い?」
少女ってこれだから。その子はやっぱりわたしを睨んだけれど、わたしのために童話を一冊貸してくれたのでした。
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