人になる卵
@chased_dogs
人になる卵
あるところにおばあさんがいました。
おばあさんが歩いていると、急におばあさんのお腹が痛くなりました。
おばあさんは、山を越え、谷を越え、海を越えて、何もない広い
そしてある朝、ぶるぶると身体を震わせたかと思うと、おばあさんの足元に、大きな卵が一つ転がっていました。おばあさんが卵を持ち上げてみると、それはおばあさんの顔くらいの大きさでした。
おばあさんは卵を地面に置くと、どこかへ歩いていってしまいました。
おばあさんがいなくなってから、何日も何日も、何年も何十年も経ちました。
その間、卵はただじっとそこにいました。雨が降っても、雷が落ちても、火山が噴火して、溶岩が流れ込んできても。日差しが強く暑い日も、雪が降り積もる寒い日も、ただ待ったのです。
ある朝、卵の表面が砂のように崩れ始めました。よく見ると、小さな穴がぽつぽつと開いています。穴の数は次第次第に増えてゆきます。それと同時に、穴の中から何か小さなものがたくさん出てきました。よく目を凝らして見ると、それは人間でした。人間が卵の穴の中から溢れ出てきたのです。
いまや卵の表面に群れる人間たちがはっきりと見えます。人間たちは何をしているのでしょうか? 遮二無二に卵に穴を開けているようにも見えます。しかし、穴の形を見ると、だんだん規則的で複雑になっていくことが分かります。何かを作っているのです。何を作っているのでしょうか?
それはすぐに分かりました。卵の形は人間たちによって整えられ、まず手足が作られました。次に鼻、耳、口、眉と続き、最後に両目が作られました。こうして卵人間は生まれました。
仕事を終えた人間たちはひとしきり歓声を上げると、どこかへ散り散りになっていきました。しばらくして、卵人間の手足がビクリと動くと、手足をばたばたさせ立ち上がろうとしました。ひとしきり地面を転がったのち、卵人間は立ち上がりました。
卵人間があたりをキョロキョロ見回すと、靴下が一足落ちていました。
「あれは何だろう?」
と卵人間が呟くと、
「おばあさんの靴下です」
と耳の中から声が聞こえました。人間たちがまだ体の中に残っていたのです。
「おばあさんに届けてあげよう」
卵人間はそう言うと、靴下を拾い上げました。
「でもおばあさんはどこへ行ったのだろう?」
と卵人間が呟くと、
「分かりません。でもそこに足跡が続いていますよ」
瞼の裏側から人間たちの声が聞こえました。人間たちは卵人間の目玉をガタガタと動かし足跡のあたりを見せてくれました。
「本当だ! これを辿ればおばあさんに会えるかもしれない」
卵人間は足跡を追いかけることにしました。
卵人間が足跡を追うこと暫く、今度は靴が一足置いてありました。
「あれは何だろう?」
と卵人間が呟くと、
「おばあさんの靴です」
と耳の中から人間たちの声が聞こえました。
「じゃあ返してあげなきゃね」
と卵人間が靴を持とうとしましたが、両手に靴下を持っていたのでうまく掴めません。
「どうしよう」
と卵人間が呟くと、
「履けばいいでしょう」
と人間たちが言いました。それもそうだと卵人間は持っている靴下を履き、それから靴も履きました。
靴を履くと、卵人間はとても長い距離を歩けました。草原を抜けて、砂漠を跨ぎ、ぐんぐん歩いていきます。歩いていくと、海に突き当たりました。
「海です」
と人間が卵人間に教えます。
「これは?」
と卵人間が浜辺に落ちていた物を拾い上げ訊ねると、人間たちは、
「おばあさんの帽子です」
と答えました。
それから卵人間はおばあさんの足跡を追いかけようと辺りを見回しました。けれども足跡は海の手前でふっつりと途切れてしまっていたのでした。
「どうしよう。足跡が見つからない。これじゃあ、おばあさんはどこへ行ったか分からないよ」
と卵人間が言うので、人間たちは、海を真っ直ぐ行った先に足跡が続いてるかも、と唆しました。それで卵人間は海を渡ることにしました。
海を渡る途中、水の中にキラキラ光るものが見えたので、卵人間は、片手で帽子を持ち上げながらざぶり
「これは何?」
と卵人間。
「おばあさんのサングラスです」
と人間たち。手に持って歩くと海にぶつけてしまいそうなので、卵人間はサングラスを掛けて歩くことにしました。
サングラスを掛けてみると、水面いっぱいに溢れていた光は弱まり、水平線の向こうまで続く光の道がよく見えるようでした。
ざぶざぶと海を歩くこと数日、海の向こうに何か棒のようなものが突き立っているのが見えました。
「あれは何だろう?」
卵人間が訪ねると、人間たちは答える代わりに瞼の奥をぐいっと引っ張って、それをよく見せてくれました。
「あっ、あれはきっとおばあさんのステッキだ!」
卵人間はたまらず駆け出しました。あまりに速く、急に走ったものですから、時折ぽろぽろと人間たちは海へ投げ出されていきました。しかし人間たちはあまりに小さかったので、卵人間は気がつきませんでした。
「やった! やった! おばあさんはきっとここを通ったんだ!」
卵人間は少し寂しい気持ちになりましたけれども、おばあさんを探さなければと思い直し、また歩き始めました。
卵人間は谷を越え、山を越え、物寂しいところに辿り着きました。向こうで何かヒラヒラしたものが動いて見えます。卵人間はそれに近づいてみました。
それは大きな物干し竿に吊り下げられた服でした。卵人間はそれを着てみることにしました。
すると、上着のポケットの中からひょっこりと人間たちが顔を出しました。その数は数え切れないくらい!
「ここへ何しに来たのですか?」
人間たちは訪ねました。
「おばあさんを探しに来たの」
と卵人間は答えました。
「それならあっちにありますよ」
と人間たちは一斉に指をさしました。
「ありがとう!」
卵人間は人間に道案内を頼むことにしました。
卵人間が歩いていると、白い石ばかりが広がる場所に出ました。石と石の間を縫うように透明な水が流れています。その中にひときわ大きな石――卵人間の体ほどもある大岩――がぽつりと置かれていました。
「あれです」
と人間たちが言うと、卵人間は首を傾げてしまいました。
「あれは石だよ」
しかし人間たちは何も言いません。しかたなく石の前に近づき、ぐるりと周りを歩いて確かめてみました。卵人間には、どこからどう見てもただの石にしか見えません。
「持ち上げてみて下さい」
と人間たちが言うので、言う通りにしてみます。ズズッ、ズッ、ズッ。石が地面を擦りながら動いていきます。
「あっ」
卵人間が石を退けると、その下にはぽっかりと穴が開いていて、中からこちらを見る眼が浮き上がって見えました。
「おばあさん!」
卵人間は駆け寄っておばあさんを抱きしめました。おばあさんはよろめいて、卵人間の肩に力なく腕を添えるだけでした。しばらくそうしていたでしょうか、卵人間はおばあさんを側に腰掛けさせると、持っていた荷物を差し出しました。
「そうだ、これ返すね」
卵人間はおばあさんに靴下と靴を履かせました。それから帽子を被せ、サングラスを掛けてあげました。ステッキを手に持たせてあげました。そして最後に服を脱ぐと、おばあさんに着せてあげました。どれもピッタリおばあさんに馴染んでいるのを見て、卵人間はうんうんと頷きました。
「それじゃあ、おやすみなさい」
そう言って卵人間はまた穴の蓋を閉じてしまいました。すっかり元の位置に石を戻してしまうと、卵人間はまたうんうんと頷きました。
うんうん頷き過ぎたせいでしょうか、段々と上と下との区別がなくなっていきました。
「うーん」
目はぐるぐる回り、足元は覚束なくなっていき、前に後ろにフラフラと動き始めました。そしてとうとう、卵人間は頭から地面へ真っ逆さまに落ちてしまいました。
ガシャンッ! 卵の割れるような音がして、卵人間はばらばらに砕けていました。
しばらくして、卵人間の破片から、人間たちがうぞうぞ這い出てきました。人間たちは四方に飛んで行った手足や顔など丁寧に集め、繋ぎ合わせました。
そうして人間たちが仕事を終えると、そこにはおばあさんがいました。
おばあさんはニッと笑って歩いていきました。
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