前夜祭

lampsprout

前夜祭

 ――ずっと前に私が教えたカクテル言葉を、貴方は覚えているだろうか。

 そう、コープスリバイバーの意味は……



 ◇◇◇◇



 おかえり。

 淡々と言った彼女の頬には、薄く紅が差していた。よく見ると化粧がほんのり濃い気がする。

 だが、それを見た彼は優しく微笑み、ただいま、とだけ言った。


 彼の見慣れない服でお洒落をした彼女は、いつもより少しだけ豪勢な夕食を用意していた。普段あまり買わない牛肉や、変わった香辛料を使っているのが見て取れた。棚を見れば、最近開かれていなかったレシピ本が、仕舞いやすい一番端に移動している。

 キッチンには、料理のあとのまな板や包丁がそのままにしてあった。他にも、見たことのないグラスや器が並べてあった。

 彼は意味がわからず、ただ戸惑った。付き合って1年の記念日は、つい先週に済んだばかりだった。他に思い当たることはない。何か忘れているのだろうかと、彼は不安になった。

 しかし彼が理由を尋ねても、明日は大事な日だから、としか彼女は答えなかった。


 荷物を片付ける彼の横では、酒には強くないはずの彼女がカクテルの用意をしていた。彼も頻繁には飲まないので、酒を見るのはかなり久しぶりだった。

 洒落た洋酒の瓶がいくつかテーブルに並んでいる。カルヴァドス、コニャック、スイートベルモットなど。恐らくなかなかに強い酒ばかりだろう、と彼は詳しくないなりにそう思った。


 何故かは分からなかったが、彼はただ彼女がいつもより明るいことに喜んだ。彼女は不眠症で睡眠薬を手放せず、最近は副作用などから鬱ぎ込んでいた。仕事もしばらく休んでいるところだった。


 無口な彼女が珍しく鼻歌を歌うのを聞きながら、彼はカクテル作りを見守った。コープスリバイバーだと言って、彼女は可愛らしくはにかんだ。

 酒に明るくない彼には耳慣れなかったが、何だか聞き覚えはあった。出来上がったカクテルはさっぱりと甘く美味しかった。献立にも良く合っている。

 度数が高いからか、彼女自身は一口飲んだだけでやめてしまった。それでも、美味しいと溢した微かな笑顔だけで、彼は心の底から満足だった。



◇◇◇◇



 ――刻々と0時が迫っていた。

 温かいベッドで彼女の胸に顔を埋めながら、彼の意識は急激に遠のいていく。酔ったせいにしては眠気が強い。

 彼は何となく不思議に思った。柔らかな腕の中で身じろぎをすると、大丈夫だというように髪を梳かれた。頬を寄せられ、一度も染めたことがないという、彼女の栗色の髪が首すじを擽った。


 そして、きつく抱き締められたまま、彼は最期の言葉を聞いた。



 ――おやすみ。ずっと、愛してる。

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