第拾参話 刺影の代金

 女将は「お浜」という名前であった。

 ふらりと呑みに立ち寄った徹山とわりない仲になるのに時間はかからなかったようだ。


 当時、お浜は亭主に先立たれ、ひとりで店を切り盛りしていたのだが、一人息子が流行病はやりやまいにかかってしまった。

 息子の世話と養生にかかりきりとなり、店を放置していたせいで、お浜はたちまち左前の暮らしとなった。


 窮したお浜は筋の悪い烏金からすがね(一日で一割の高利がつく借金)に手をだし、店を手放さねばならないところまで追い込まれた。

 そこに救いの手を差し伸べたのが徹山だったという。


「あなたのお父様は本当にあたしたち親子によくしてくださいました」


 お浜が涙ながらに事情を語っていると――


「母ちゃんを泣かすなっ!」


 棒きれを持った五歳ぐらいの童が奥から飛び出てきた。空樽に腰掛けた一馬に向かって振り回す。

 一馬はそれをはっしとつかんだ。でたらめなぶん回しではない。一応の形にはなっている。


(父上はこの子にも剣術を教えていたのか)


「やめなさい、作太郎。このひとは『お父っつあん』の息子さんなのよ。あたしとは腹違いの姉弟なの」


「徹爺の息子?」


「徹爺……?」


 振り向くと、お浜があいまいな笑顔を浮かべて一馬に向かってうなずいた。

 父・徹山は彼女の父親を演じ、作太郎という『孫』を可愛がる好々爺に扮していたようだ。


「……てことは、おいらの叔父さん?」


 いつの間にか一馬はお浜と姉弟の間柄にされてしまった。


「すっかり元気になったようですね」


 作太郎をみて一馬は微笑んだ。病の影もない。いまは相当なわんぱく坊主のようだ。


「高価な朝鮮人参を買い与えてくれました。なにもかも……あのひとのおかげです」


「…………」


 おのれは質素な暮らしをつづけながらも、お浜の店を建て直し、作太郎の命を救った。刺影の代金の大半はそれに費やされたのだ。


「心配はいらないから奥で手習いをしておいで。あたしはまだ、このひとと話があるから」


 お浜が作太郎の背中を返して奥に追いやった。


「いや、仔細をうかがうことはできたので、わたしはこれで帰ります」


 これ以上の長居は生業の邪魔になる。一馬は空樽から立ちあがった。


「ちょっとお待ちください」


 お浜はいったん奥に引っ込むと――


「このお金をお受け取りください…」


 切り餅(二十五両)を袱紗につつんで渡してきた。


「いや、それは……」


 一馬は固辞した。これではまるで、香典をせびりに立ち寄ったかのように見えてしまう。


 お浜は強引に一馬の袂にそれをねじ込むと低い声でいった。


「あのお仕事で亡くなられたのでしょう?」


「!……知っておられるのか?」


 意外だった。父は愛人ともいえる女性になにもかも打ちあけていたのだ。


「受け取ってもらわなければ困ります。わしに万一のことあらば、きっと息子の一馬が訪ねてくるであろう……と、いわれ、あたしにこの金子を託されたのです」




   第拾四話につづく

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